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伝統と革新の融合 承継者が変える未来 アーティスト・建築家 奈良祐希
伝統と革新の融合 承継者が変える未来 アーティスト・建築家 奈良祐希

伝統と革新の融合 継承者が変える未来 アーティスト・建築家 奈良祐希

日本には世界に誇るさまざまな芸術・伝統文化が存在します。しかしどこの分野においても多くの代表者の悩みになっているのが「継承者」「跡継ぎ」の問題です。幼少期より英才教育を受け、着実にその伝統文化を継いでいく人もいれば、あえて別の分野に向かい、才能を発揮する人もいます。そのような中で、金沢の伝統文化の跡継ぎとして生まれ、今は国内外から注目を集め活躍する若手アーティストであり、建築家と二つの道を歩む奈良祐希(なら ゆうき)さんにお話を伺いました。
金沢の歴史ある名窯の跡継ぎとして生まれた奈良さんは、あえて陶芸の道を選ばず、学生時代に憧れた建築家をめざします。その後、あるきっかけから陶芸を学び、これまでにない先鋭的な陶芸作品を制作。国内外で数多くの展示会に出展し、高い評価を集めることになります。名門の家に生まれながら、なぜ彼はこのような道を選択したのでしょうか。
現在、金沢・大樋美術館に収蔵されている「Bone Flower」 繊細なフォルムが国内外で高い評価を受けている
現在、金沢・大樋美術館に収蔵されている「Bone Flower」 繊細なフォルムが国内外で高い評価を受けている
現在、金沢・大樋美術館に収蔵されている「Bone Flower」 繊細なフォルムが国内外で高い評価を受けている

350年の歴史を持つ名窯「大樋焼」の長男として生まれる

積極的な文化奨励策をとり「加賀百万石」と呼ばれた金沢の華やかなる時代。加賀藩五代当主前田綱紀が京都から茶道文化を学ぶために裏千家四代千宗室を招聘した1666年(寛文6年)、同道した、京都・楽家に学んだ陶工師、長左衛門は金沢にそのまま残り金沢・大樋町に窯を興しました。そこから350年、十一代にわたり継承されてきた名窯「大樋焼」。奈良さんは、現当主の十一代大樋長左衛門(年雄さん)の長男として生まれました。祖父にあたる十代大樋長左衛門(年朗さん)は文化勲章を受章した名匠として知られています。
1600年代から九代目に至るまで、茶陶という茶道具だけを作り続けてきた大樋焼。十代目からは、茶道具ではない、さまざまな陶芸の作品作りが始まっています。十代目から、よく「伝統と革新」について伝えられていたそうですが、この祖父の代で大樋焼は大きな転換期を迎えています。「未来につながる新しい試みは、時間が経てばそれが伝統になる」と十代目はよく語っていたそうです。伝統的な大樋焼は手びねりで器を作ることによって、作品にその手触りや温もりが伝わり、一つひとつが違っています。それぞれが個性を持つ陶器になっているということが大樋焼の大きな魅力になっています。
初代大樋飴釉茶碗 茶道具 銘 聖1
初代大樋飴釉茶碗 茶道具 銘 聖2
初代大樋飴釉茶碗 茶道具 銘 聖

伝統文化の家に生まれた葛藤 建築の道へと進む

奈良さんは幼少期、大樋焼の家に生まれたということだけで、自分に向けられる視線にフィルターをかけて見られることに嫌気がさしていました。そのため陶芸の世界はあえて避けるようにして過ごしていたものの、祖父や父からも陶芸を強制されることはありませんでした。
奈良さんが建築に興味を持ったのは高校生の時で、「金沢21世紀美術館」がきっかけでした。当時、金沢に画期的なデザインの美術館が建つことに対し、期待が集まる一方、地元住民による反対運動もあったそうです。しかし、完成後は金沢のアートの象徴ともいえる存在になっていき、建築が社会を変えていくさまを目の当たりにしたことで、深く感銘を受けました。これを機に、建築の道に進みたいと思うようになり、父親に相談したところ、快く後押ししてくれたため、東京藝術大学建築学科に進学することになります。
三代揃っての記念写真
三代揃っての記念写真
父親とともに土を触る奈良さん
父親とともに土を触る奈良さん

大学での厳しい競争 挫折からの原点回帰

建築科では建築技術を学ぶことはもちろん、高いコミュニケーション能力も必要とされ、施主に対して論理的、体系的にどう伝えるのか、どうプレゼンテーションをするのかを徹底的に学びました。それは自分と作品に向き合い続ける陶芸の世界とは相反するものでした。
「自分が専攻した建築科はアトリエの建築家を養成するための厳しい競争社会で、同じ学科の学生同士がライバルとなり、競い合いました。そのような環境で学ぶうちに、自分の建築をどのように作ればいいのかわからなくなり、このまま卒業して就職するということに危機感を持っていました」
与えられた課題に回答を見つけるのは得意だったという奈良さんですが、大学の卒業制作に必要となる課題を自ら見つけることに苦労し、なんとか卒業はできたものの、その後進学した大学院では課題の抽出に悩み、深いスランプに陥ることとなります。
そこで多くの著名な建築家の著書を読んだところ、そこには本人のルーツとしての故郷の原風景や、家業などさまざまな背景が建築家の設計思想に影響しているということが記されていました。そこで自分も、出自である陶芸の世界へと原点回帰し、それを建築に活かそうと考え、大学院を休学して岐阜の陶芸学校の門を叩きます。その間、建築のことは一度脇に置き、徹底的に陶芸と向き合い、基礎から学びました。
陶芸学校で2年間学び、大学院へと戻った後、陶芸の考え方を建築へと応用することで、作風や、建築との向き合い方が大きく変わり、スランプから脱却。その集大成として臨んだ修士設計が認められ、大学院を首席で修了することとなります。自分の建築設計の能力に対して危機感を持ったことにより、避けていた陶芸の世界に向き合うことになった奈良さんですが、そこではどのような気づきがあり、現在の陶芸の作風へとつながっていったのでしょうか。
修士設計を発表する奈良さん
修士設計を発表する奈良さん

挫折を機に向かい合った陶芸 新たな「気づき」が作品を生む

「建築の世界はとてもデジタルで、PCで設計してPDFにしてメールで送るなど、陶芸の世界とは真逆です。ダイレクトに作る陶芸は建築の世界とはあまりに遠く、真逆だからこそ見えてくる世界があり、自分にはそれが新たな気づきにつながりました」
奈良さんの陶芸作品は、陶芸の世界には無かった建築的な技法やプロセスを当てはめて制作されています。陶芸には土を板状にする『たたら』という技法があり、それは芸術に昇華されているものではないそうですが、奈良さんは、あえて自分の作品にこの技法を使用しています。しかし、陶芸学校の先生からは、これは陶芸ではなく工作だから改めるように、と指摘されたこともあったようです。
奈良さんが創作する様子
「先生の話すことはよくわかり、自分の作品の造形は、紙でも木でもでき、決して土である必要はありません。そこに気づかされてからは、その作品にいかに土らしさや陶芸らしさを加えていくか、という新たなチャレンジができるようになりました」
奈良さんの家は、金沢の重要な伝統文化である陶芸を守っていく立場だったこともあり、ずっと茶碗を作り続けていくことがはたしていいことなのだろうか、という疑問を持っていました。たとえば縄文・弥生土器を見ると、何万年経ったとしても、その斬新なデザイン性や世界観は不変的です。一方、建築は歴史を経て、竪穴式住居から歴史的建造物まで、実に幅広い表現ができています。奈良さんはそのような建築を学んだからこそ、陶芸をこれまでの決まりきったフレームワークに当てはめて見ることはありません。
「自分の作品は良いと思われるために作っているわけではなく、否定もされて、そこで議論が起きることをよしとしています。それが社会や文化を前に進めていくことにつながるのではないでしょうか」
奈良さんの工房にて
奈良さんの工房にて

建築の知識を投影した作品が陶芸の新たな世界を拓く

奈良さんがさんが創作する様子
幼少時に家業に対して反発心を持ち、建築家という別の道を選んだ奈良さん。しかし、ひとたび陶芸の作品を発表すると、その先進性から一躍注目を集め、国内外の展覧会で高い評価を受けるようになりました。そして、今や自分自身が大きな影響を受けた、金沢21世紀美術館にも作品が収蔵されています。
「全ての立場において自分が常に意識しているのは、『誰も見たことのない新しい物を作りたい』ということです。既視感のない新しいものを作りたいという願望がずっとあって、それが自分の共通の哲学になっていると思います。建築設計は、施主からの要望や行政ルールによる指導など、さまざまな条件や制約を調整しながら進める必要があります。ただ、そのルールというのはある前例の中でできたものであり、もしかしたら時代に合っていないものかも知れません。陶芸は、これまであくまで自由で、自己顕示的な表現の芸術だったとすれば、そこに逆に制約を持ち込む、例えば飾る場所の制約を加えるのも一つの変化だと思います。どこでも飾ってくださいというわけではなく、この場所に飾りたいからその作品が欲しいというようなこと。それは建築における敷地のようなものです」
奈良さんは作品を注文された方に、制作に取りかかる前にCGを用意し、「ご要望の作品はこのようなイメージですか?」とメールで送るなど、建築を学んできたゆえの新たな発想から作品を世に送り出しています。今までにない概念や価値観、そんなスパイスを入れることで、かつて祖父が成し遂げたたような、陶芸における転換期、パラダイムシフトを興そうとしているのかもしれません。
奈良さんの作品が展示されている金沢の大樋美術館
奈良さんの作品が展示されている金沢の大樋美術館

「承継」と「継承」への想い 気持ち新たに家業を考える

奈良さんは「承継」と「継承」という言葉の意味の違いが気になり、詳しく調べてみたといいます。諸説ありますが、例えば「承継」という言葉は「事業承継」に代表されるように事業や経営者の想いといった形の見えないものを「承継」することであり、正式な法律用語としても定められています。一方、「継承」は歌舞伎の名跡など、形のあるものや権利、財産を引き継ぐこと、というように、それぞれ違う意味を持つ言葉なのではないか、と考えるようになったといいます。奈良さんのような家業を継ぐ世襲制の家では、往々にしてそれらは「継承」と思われていることがあり、奈良さん自身もそういうイメージを持っていたようです。
「先代から伝わってきたことを自分なりに変化させて継いでいくことは間違いなく『承継』だと思っています。それを間違って『継承』だと思ってしまうと、その文化は廃れていってしまうのかもしれません。まだ先のことは何も決まってはいないのですが、その時が来れば、自分自身で『継承』ではなく『承継』できるように勉強し続けていこうと思います」

奈良祐希(建築家・陶芸家)
■略歴
  • 石川県金沢市生まれ
  • 東京藝術大学美術学部建築科卒業
  • 多治見市陶磁器意匠研究所修了
  • 東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻首席卒業
  • 建築デザイン事務所 EARTHEN主宰
■受賞歴
  • 第3回金沢・世界工芸トリエンナーレ 秋元雄史審査員特別賞(秋元雄史 金沢21世紀美術館館長)
  • 東京藝術大学大学院 吉田五十八賞
  • 35歳以下の若手建築家による建築の展覧会 入賞
  • Pen クリエイターアワード 2021
  • 第79回金沢市工芸展 世界工芸都市宣言記念賞
奈良祐希(建築家・陶芸家)
  • 大樋美術館
  • PAVONE
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(2023年10月1日現在)
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