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次世代へ新たな価値を承継する歴史的建造物 東京都庭園美術館「旧朝香宮邸」
次世代へ新たな価値を承継する歴史的建造物 東京都庭園美術館「旧朝香宮邸」

次世代へ新たな価値を承継する歴史的建造物 東京都庭園美術館「旧朝香宮邸」

東京都庭園美術館は、1983年の開館以来、その個性的な空間を活かし、新たな芸術の価値を常に発信し続け、緑豊かな庭園に囲まれた美術館として、人々の憩いの場となっています。
また、当美術館本館は昭和初期に建造されたアール・デコ様式の邸宅建築「旧朝香宮邸」としても知られています。日仏の芸術家や建築家、そして職人たちが一丸となって生み出したこのアール・デコ様式の邸宅建築は、内装やディテール部分の装飾に至るまでがほぼ竣工当時(1933年)のままの状態で保存され、質・芸術的価値ともに高い水準を保っています。1993年に東京都の有形文化財に指定され、2015年には本館、正門、茶室等が国の重要文化財にも指定されていることから、歴史的建造物としての価値、重要性が感じられます。
このように東京都庭園美術館は、「美術作品の鑑賞」、「緑豊かな庭園」を同時に楽しめるアート空間であるとともに、旧朝香宮邸という歴史的建造物の資産と価値を現代に伝え、未来に承継する役割をも担っているともいえます。
本稿では東京都庭園美術館を、歴史的史跡・文化財としての建築的価値と魅力、そして、建造物の保存・承継の意義という視点から紐解いていきます。
東京都庭園美術館敷地内の日本庭園
東京都庭園美術館敷地内の日本庭園

「アール・デコの館」の誕生秘話

朝香宮家当主 朝香宮鳩彦(やすひこ)王(1887~1981)は陸軍に所属する軍人で、1922年、軍事研究のためパリに留学します。単身一年の欧州各国の歴訪滞在後、日本へ帰国予定だった殿下は、仏滞在中に交通事故に遭遇し、長期療養を余儀なくされます。その看病のため来仏した允子(のぶこ)妃殿下も加わり、最終的に1925年までの通算三年間にわたってパリに滞在しました。しかし、この事故による滞在延長が、「アール・デコの館」、すなわち旧朝香宮邸誕生の契機となります。
朝香宮鳩彦王
朝香宮鳩彦王
朝香宮鳩彦王(朝香宮旅行アルバムより) 個人蔵
朝香宮鳩彦王
(朝香宮旅行アルバムより) 個人蔵
朝香宮夫妻が滞在した1920年代のパリは、両大戦間の好況に沸いていました。そのような活気に満ちた空気感の中で開催されたのが、1925年の「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」、いわゆる「パリ万博」です。当博覧会から「アール・デコ」という新しい装飾様式の名称も誕生しました。
「アール・デコ」とは、それ以前に流行した優美な曲線が特徴的な「アール・ヌーヴォー」に対して、大量生産と工業化の時代にふさわしい新たな時代のデザインをめざした装飾美術の傾向です。当万博において、急激にオートメーション化された生活様式に適応する革新的な工芸品や工業製品が一挙に展示され、一躍「アール・デコ」様式が欧米中を席巻しました。
《欧州滞在中の両殿下》(朝香宮渡欧アルバムより) 大正14年頃 公益財団法人鍋島報效会所蔵
《欧州滞在中の両殿下》(朝香宮渡欧アルバムより)
大正14年頃 公益財団法人鍋島報效会所蔵
アンリ・ラパン(Henri Rapin 1873-1939)
アンリ・ラパン(Henri Rapin 1873-1939)
(Alexia CARRAZ『HENRI RAPIN(1873-1939)volume1(1998)』より)
画像提供: 東京都庭園美術館
1925年7月9日、朝香宮夫妻は同博覧会会場を公式訪問した際、国賓をもてなすための場であった「フランス大使館の大広間(応接室)」に立ち寄り、大きな感銘を受けました。この特別な空間の内装を手掛けたのは、フランス出身の画家であり装飾美術家としても活躍していたアンリ・ラパン(1873~1939)で、のちに誕生する旧朝香宮邸において「アール・デコの館」と称される建築空間を生みだすキーパーソンです。
朝香宮夫妻は、帰国後、アンリ・ラパンに東京・白金に建設する自邸の内装設計を依頼します。それを受け、ラパンは大広間・大客室・小客室・次室(つぎのま)・大食堂・書斎、そして殿下の居間の計7室の内装設計を手掛けることになりました。
対して、全体設計および遂行・管理を手掛けることとなった日本側のチームは、「宮内省内匠寮(くないしょうたくみりょう)」と呼ばれ、宮内省(現・宮内庁)内で主に皇室建築や儀式で使用する建築物の設計・監理を担当していました。設計・工務を担う工務課には、総勢100名を超す技師や技手が所属し、日本が誇る伝統技術の継承者・匠の集団でもありました。
このように旧朝香宮邸の建設は主要空間各室の内装デザインをアンリ・ラパンが主導し、全体の基本設計は宮内省内匠寮所属の建築係技師である権藤要吉が全面的に監督することになりました。権藤は1925年に一年間渡欧し、西洋の革新的な建築や芸術を学んだ日本建築界のホープであり、日本側チーム、および、建設プロジェクト全体の調整役として尽力しました。
宮内省内匠寮工務課の人々/1931年頃(個人蔵)
宮内省内匠寮工務課の人々/1931年頃(個人蔵)
画像提供: 東京都庭園美術館

日仏匠による技の調和と伝承

旧朝香宮邸の歴史的建造物としての価値は、建物自体が朝香宮夫妻自らの創意が反映されたアンリ・ラパン主導によるアール・デコの芸術作品であることはいうまでもありません。ここでは日仏匠による技の調和と伝承という点に着目します。
旧朝香宮邸には内装デザインを担当したアンリ・ラパンの装飾作品の他にも、香水瓶やガラス工芸作品で一世を風靡したルネ・ラリックや、鉄工芸家のレイモン・シュブをはじめ、当時仏美術・装飾界の第一線で活躍したさまざまな芸術家たちの装飾作品が多数存在します。中には旧朝香宮邸のために創作された世界で唯一の作品もあり、その芸術品としての価値は計り知れません。
東京都庭園美術館本館 正面玄関のガラスレリーフ扉(部分) ルネ・ラリック作
東京都庭園美術館本館 正面玄関のガラスレリーフ扉(部分)
ルネ・ラリック作

東京都庭園美術館本館
正面玄関のガラスレリーフ扉(部分)
ルネ・ラリック作

東京都庭園美術館本館 大客室 シャンデリア《ブカレスト》 ルネ・ラリック作
東京都庭園美術館本館 大客室 シャンデリア《ブカレスト》
ルネ・ラリック作
東京都庭園美術館本館 大客室
シャンデリア《ブカレスト》
ルネ・ラリック作
さらに旧朝香宮邸は「日本のアール・デコ」とも称される新たな潮流も生みだしました。ラパンが手掛けた純然たるフランスのアール・デコの精華に対し、宮内省内匠寮チームが設計を手掛けた空間部分の装飾には、北の間ベランダに代表されるように、京都伝統の美術タイルから生み出された布目タイル(泰山タイル)が用いられているなど、日本古来の文様や渋みのある色調や素材、そして伝統的な職人技が活かされています。
二階ベランダ
二階ベランダ
北の間ベランダの布目タイル
北の間ベランダの布目タイル
照明器具とランプシェード
照明器具とランプシェード
特に数々の照明器具やランプシェード、ラジエーターカバー、そして壁やタイル等に実現された細やかな伝統技法の美しさは、アール・デコの様式を正統に踏襲しながらも日本的な繊細さが感じられ、「日本のアール・デコ」と呼ばれるにふさわしい美意識を感じさせます。
ラジエーターカバー
ラジエーターカバー
東京都庭園美術館 本館 妃殿下居間 ラジエーターカバー
東京都庭園美術館 本館 妃殿下居間 ラジエーターカバー
東京都庭園美術館 本館 妃殿下居間
ラジエーターカバー
このように、旧朝香宮邸は「日仏匠による技の調和と伝承」という点においても貴重な価値と意義を持つのです。

旧朝香宮邸、美の空間の魅力

これまでご紹介してきたアール・デコの館としての価値を発信し続ける東京都庭園美術館 旧朝香宮邸。ここではその空間美の魅力をご紹介します。
東京都庭園美術館 本館 書斎
東京都庭園美術館 本館 書斎
画像提供: 東京都庭園美術館
正面玄関
ガラスのレリーフ扉はルネ・ラリックが朝香宮夫妻の要望を取り入れてオリジナルに制作した世界で唯一つの作品。床面のモザイクは細かな天然石で制作されており、宮内省内匠寮のデザインによるもの。日仏の匠の技と芸術性が光る象徴的な空間です。
正面玄関
正面玄関
ガラスのレリーフ扉
ガラスのレリーフ扉
床面のモザイク
床面のモザイク
大広間
正面玄関を入ると、天井の格子縁と二つのアーチなど、直線とシンメトリックな空間デザインが特徴的な質実剛健かつ華やかな空間が広がります。
東京都庭園美術館 本館 大広間
東京都庭園美術館 本館 大広間
画像提供: 東京都庭園美術館
大客室
アール・デコの粋が凝縮された空間の一つ。象徴的な大シャンデリアはルネ・ラリックによるもの。右手に見えるエッチング・ガラス扉(マックス・アングラン作)や同上部アーチ状の壁面部分に見られる鉄製装飾(レイモン・シュブ作)も空間に華を添えています。
東京都庭園美術館 本館 大客室
東京都庭園美術館 本館 大客室
画像提供: 東京都庭園美術館
東京都庭園美術館 本館 二階広間
東京都庭園美術館 本館 二階広間
画像提供: 東京都庭園美術館
二階広間
「日本のアール・デコ」空間の典型で、周辺に位置する個室空間には青海波(せいがいは)など和の文様があしらわれたラジエーターのカバーなども見られます。
東京都庭園美術館 本館 二階広間
東京都庭園美術館 本館 二階広間
東京都庭園美術館 本館 大食堂
東京都庭園美術館 本館 大食堂
東京都庭園美術館 本館 殿下寝室
東京都庭園美術館 本館 殿下寝室
北側ベランダ(北の間)
床には陶器の釉薬を施した京都伝統の美術タイルから生み出された布目タイル(泰山タイル)がモザイク状に貼られ、職人の技が光ります。この空間も宮内省内匠寮の手によるものです。
東京都庭園美術館 本館 北側ベランダ(北の間)
東京都庭園美術館 本館 北側ベランダ(北の間)

文化財保存のモデルケース的存在、そして未来へ

旧朝香宮邸は「文化財保存」という観点からもモデルケース的な役割を果たしています。当宮邸は第二次世界大戦中、幸いにも戦禍を免れ、戦後もまた国務(外務)大臣公邸、国の迎賓館を経て、最終的に美術館へと姿を変えたことにより必要以上の原状改変は行わず、文化財としての正しい保存修復措置が取られてきました。誕生から一世紀近くもの歳月を経た今もなお、この歴史的建造物を美しいままの状態で私たちが目にできるのは、施主の朝香宮家をはじめ、当建造物に関わる全ての関係者たちが、つねにその美術史的・歴史的価値を正しく認識したうえで維持管理にあたり、次の世代へと大切に承継されてきたことの証ともいえるかもしれません。
最後に日本を代表する世界的な建築家としても知られ、当美術館の館長を務める妹島和世氏に建築家としての視点から旧朝香宮邸の空間的魅力について伺いました。
「21世紀は環境の時代といわれていますが、そのような視点において美術館が果たす役割は大きいと感じています。東京都庭園美術館は建築空間と庭園から成り立っており、その一体性と調和性をさまざまなかたちで学び、楽しめる場所です。今後、既存の美術館の魅力だけにとどまらず、さらにより広い学習や体験が可能な場となればと願っています。今後の具体的な展望としましては、当美術館がより新しい創造発進の場となるよう、庭園と美術館全体をよりダイナミックに回遊できるような仕組みを提案したいと考えています。これに続き、広大な敷地全体のさまざまな場所で多様なアートや発見に出合えるような試みを新たに始めてみたいと思っています」
妹島和世氏が抱くさまざまな想いからも感じられるように、歴史的建造物が公共性を持ち、より開かれたかたちで後世へと紡がれ、承継されていくことの意義と価値を、東京都庭園美術館 旧朝香宮邸を通して私たちは身近に学び、体感することができるのではないでしょうか。
  • 妹島和世(東京都庭園美術館館長)
    1956年生まれ。1987年妹島和世建築設計事務所設立。1995年西沢立衛とともにSANAAを設立。2010年第12回ベネチアビエンナーレ国際建築展の総合ディレクターを務める。日本建築学会賞(*)、ベネチアビエンナーレ国際建築展金獅子賞(*)、プリツカー賞(*)、芸術文化勲章オフィシエ、紫綬褒章などを受賞。主な建築作品として、金沢21世紀美術館(*)(金沢市)、ニューミュージアム(*)(ニューヨーク)、ルーブル・ランス(*)(ランス・フランス)など。
    • はSANAAとして。
    撮影:Kohei Omachi
    妹島和世(東京都庭園美術館館長)
記事提供:PAVONE
取材協力:東京都庭園美術館

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