サステイナブル・ツーリズムの先進地、岐阜で知る「歴史・文化・風土」の承継(前編)
近年、これからの観光のあり方としてサステイナブル・ツーリズム(持続可能な観光)が注目を集めています。観光業の急激な拡大が環境や文化などに与える「負の影響」を減らすことを目的に、1990年代から徐々に広まってきた考え方です。国連世界観光機関(UNWTO)は、「訪問客、業界、環境および訪問客を受け入れるコミュニティのニーズに対応しつつ、現在および将来の経済、社会、環境への影響を十分に考慮する観光」と定義しています。特に2015年に国連で持続可能な開発目標(SDGs)が採択されたこと、そしてUNWTOが「観光と持続可能な開発目標」を掲げたことから、日本でもサステイナブル・ツーリズムの視点により現状の観光形態を見直す自治体・観光地が増えてきました。
そのような中、他の自治体に先んじてサステイナブル・ツーリズムに取り組んできたのが岐阜県です。岐阜県は世界遺産にも登録された合掌造りの集落で知られる白川郷、織田信長が拠点とした岐阜城が立つ金華山、山岳信仰の対象として知られる霊場・白山、多くの名建築・工芸品を生み出してきた飛騨高山など、さまざまな観光資源に富むエリアです。「日本の源流に出会える旅」を掲げて展開されてきたさまざまな取り組みが認められ、持続可能な観光を推進するオランダのNPO法人、グリーン・デスティネーションズが選ぶ「2021年サステイナブルな旅行先トップ100」に「長良川流域(岐阜県、岐阜市・関市・美濃市・郡上市)」が選出。現在、日本のみならず、世界からも注目されています。
前編となる本稿では、岐阜県の歴史・文化・風土をつなぐ「長良川流域」から、刀匠の技と心が息づく「関市」におけるサステイナブル・ツーリズムをご紹介します。
長良川流域の持続可能な地域づくり
岐阜県において、長良川流域の持続可能な地域づくりの支援に取り組んできたのが、生まれも育ちも岐阜県だという、NPO法人ORGANの理事長を務める蒲勇介さんです。大学卒業後、デザイナーとして活動したのち、2003年に岐阜で活動する仲間に合流するべくUターンし、それ以来、流域の文化や暮らしを盛り上げるために、さまざまな形の活動を展開してきました。
蒲さんは、長良川流域が「2021年サステイナブルな旅行先トップ100」に選ばれた理由について「2015年に長良川の鮎が世界農業遺産に認定されてから、流域の自然資源に起因する文化や、鮎を象徴とする地域資源を守り、未来に繋いでいこうという次世代の担い手たちの動きが広がってきました。そういった人々の動きを『流域』という単位で捉えていただけたことが、受賞の理由ではないでしょうか」と話します。
ORGANは、2005年の設立当初より「持続可能な長良川流域の観光地域づくり」を目的に活動してきました。具体的には、岐阜提灯や美濃和紙、岐阜和傘、岐阜うちわ、郡上本染、郡上木履などの職人や、鮎の漁師といった伝統文化を承継した若い世代の人々が、新たな商品や生業を作っていくためのサポートを続けています。また、町家保存活動や、長良川流域ならではの体験やアクティビティを楽しめるイベントを100以上開催する「長良川おんぱく」(2020年より休止)の事務局としても活動し、流域に暮らす新しい公共の担い手たちを繋げ、文化やものづくりの背景にある大きなストーリーを注意深く、丹念に探っていった結果、「岐阜県」ではなく、「長良川流域」というコンセプトを掲げるに至ったのだそうです。実際、美しい水で漉かれる美濃和紙や、水で刃物を鍛える関の刃物など、長良川のさまざまな文化は川の存在あってのものです。
ORGANでは、長良川流域の文化やものづくりの伝統を守る取り組みとして、流域の手仕事を紹介するオンラインショップ「長良川デパート」を設立。さらに2016年にはかつて長良川水運の川湊(かわみなと)として栄えた岐阜市湊町の町屋を再生し、実店舗として運営を始めました。2018年には岐阜和傘の専門店「和傘CASA」やギャラリー、活版印刷工房などが並ぶ「長良川てしごと町家CASA」を設立し、地域文化を発信しています。
ORGANの活動で特徴的なのは、存続の危機にあった和傘の職人や、伝統の鵜飼と岐阜の花街文化とが融合した、独特の遊宴文化「長良川船遊び」を支える芸妓の育成など、地元の人材育成にも関わっていることです。
圧倒的な担い手不足と、本来の価値で売れていないことの二重構造が伝統文化を取り巻く悪循環を生んでいます。これを変えるためには、長良川流域ならではの生業を支援することで付加価値を向上させ、魅力の高まりによって来訪者が増え、リピーターが増えることで流域内の売り上げが向上するという、新たな循環が必要です。
蒲さんはまた、さまざまな伝統文化の承継をお手伝いする中で、「長良川流域文化レッドデータブック」の制作を始めました。伝統文化は産業クラスターという塊として存在しており、それが端の方からだんだん綻び始めると成立しないということに気づいたことが、制作するきっかけとなったそうです。ご自身も、ある部品を作る職人の技術が途絶えたことにより、その部品を使った伝統工芸が作れなくなるという場面にたくさん遭遇されてきたそうで、そういう現状を理解し、みんなで共有する必要があるのだと教えてくれました。
最近はサステイナブル・ツーリズムに代表される先端的かつ地域の本質的な価値に興味がある個人の訪問者を案内する機会も増えているとのことで、そういった外部の人々との繋がりを広げていくこともまた、流域の魅力溢れる文化を次世代に承継していくのには必要不可欠な要素といえそうです。
二十六代にわたり承継される名匠の技と心
岐阜市から長良川沿いに車で約30分行くと、「五箇伝」と呼ばれる日本刀の五大鍛冶流派のひとつ「美濃伝(関伝)」の故郷、関市に到着します。長良川の水と良質な土、そして松炭に恵まれたこの町に全国から刀鍛冶が集まるようになったのは、今から800年ほど前の鎌倉時代のこと。室町時代後期には刀作りが一大産業となり、戦国時代には「折れず、曲がらず、よく切れる」美濃伝は、多くの武将たちに愛用されるようになりました。
その後、1876年(明治9年)の「廃刀令」によって日本刀の需要は一気に衰退したため、関の刃物産業は包丁やハサミなどの打刃物製造や農鍛治へと転換。同時に、その技術を現代まで受け継ぐ刀鍛冶たちが、美術品としての刀を作り続けています。「兼房乱れ」という独特の刃文で知られる、室町時代から続く「二十五代藤原兼房日本刀鍛錬場」は、そんな工房のひとつ。現在は二十五代藤原兼房の加藤賀津雄さんと、二十六代の加藤正文実さんの親子が、2人のお弟子さんとともに活動しており、鍛錬場には今日もリズミカルな鎚音やかけ声が響いています。
二十六代の正文実さんは、「家の隣に仕事場があるので、昔から刀鍛冶への憧れがありました。それで、大学を卒業した後、実家に戻って弟子入りしました」と話します。人間国宝の二代目 月山貞一に弟子入り、8年半修業したという二十五代の賀津雄さんは、「息子に指導したのは私の2番目の弟子です。最初の弟子を取った頃は、私自身がみっちりと何から何まで教えましたが、2番目の弟子からは兄弟子が弟弟子を教えるようにしました。今も同じで、入門して5年になる7番目の弟子が、昨年入ったばかりの下の弟子を見ています。教えることで自分の技術を見直す契機にもなりますし、我慢強くもなりますから」といいます。弟子たちには、技術の研鑽だけでなく、礼儀作法も大切であり、刀を跨いだり金敷に足を載せ乗せたりするのは言語道断と伝えているそうです。弟子を取る工房が少なくなってきている関において、今なお師匠から弟子たちへと、刀匠の技と心が大切に承継されています。
「全国に200数十人の刀鍛冶がいますが、そのうち関にいるのは9人だけです。刀鍛冶になるためには、資格を有する刀鍛冶の下で5年以上の修業をし、文化庁主催の美術刀剣刀匠技術保存研修会を修了する必要がありますから、気の長い話なのです。だいたい5年の修行をしたのちに試験を受け、合格したら1年は御礼奉公をし、やっと独立するという流れですが、お金や土地がなければ工房も建てられません」と賀津雄さんはいいます。さらに法律で一人の刀鍛治が日本刀を作れるのは年間24本振と決まっている上、刀を売るのは簡単なことではないため、免許はあるけれどナイフや包丁を作ったり、別の仕事をして週末のみをしながら刀鍛冶として活動する人が多いのが現状なのだそうです。
刀鍛冶の技術を途絶えさせないためには、刀剣ファンを増やすことも大事です。最近では、アニメ作品やゲームなどを通じて刀剣に興味を持つ若い人も増えています。正文実さんは「2012年にアニメと日本刀をテーマにした展覧会が行われ、私たちが参加した時には批判もありました。しかし私は、どのような入口であれ、少しでも多くの人に刀の魅力に触れてほしいと思っています」と話します。
「なぜ今、日本刀を作るのかといえば、作らなければ古来より承継されてきた刀匠の技術が途絶えてしまうからです。命を賭けて道義、信念を貫く武士のために、忍耐強く鍛錬され、切れ味を磨き上げられた刀は日本の心でもあり、次世代に大切に伝えていくべきものです」と話すお二人は、200年先、300年先をも見据えています。
続く後編では、美濃和紙の産地「美濃市」と、サステイナブル・ツーリズムの原点「白川郷」の取り組みをご紹介します。
後編はこちらをご覧ください。
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取材協力
NPO法人ORGAN / 二十五代藤原兼房日本刀鍛錬場
NPO法人ORGAN / 二十五代藤原兼房日本刀鍛錬場
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(2023年10月1日現在)
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