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本特集は、お客さまからの資産にまつわる“さまざまな想い”に、「財前誠吾」が徹底的に寄り添い、ゴールへと導くショートストーリーです。ストーリーを通じて、とあるウェルスマネジメントの世界を紐解きます。
- ストーリーはフィクションです。登場する人物・会社、エピソードは事実に基づいたものではございません。
母の死をきっかけに、看護師の森下彩香は遺産として東京の実家を相続する。しかし相続税の負担や妹との話し合いを経て実家を売却することを決める。一方、手続きを進めるうちに「母との記憶まで整理してしまうような喪失感」に戸惑いも覚える。銀行で出会った財前誠吾との対話を通じて、彩香は、資産を“ふやす”ことではなく暮らしを安定させるため“ととのえる”という考え方に触れる。そして証券担当者の説明を受けながら、自分の意志で選択肢を判断する過程を通して、誰かに預けるというより“信頼できる形を自分で選ぶ”ことを学んでいく。母の遺した言葉と想いを胸に、彩香は“家そのもの”も捉われるのではなく、自分のこれからの生活を大切にしていくという新しい受け継ぎ方に気づいていく。
のこされた想い
夜勤明けの朝、消毒液の匂いがまだ指先にのこっていた。総合病院の看護師として働く彩香にとって、夜通しの勤務はもう日常だ。
眠気と疲れが混ざる頭で玄関の鍵を開けると、家の中の空気がひやりと静かだった。窓際の鉢植えに水をやりながら、彩香は小さく息を吐く。
母がいなくなって三ヵ月。けれど、どこかにまだ母の気配が漂っている気がした。
眠気と疲れが混ざる頭で玄関の鍵を開けると、家の中の空気がひやりと静かだった。窓際の鉢植えに水をやりながら、彩香は小さく息を吐く。
母がいなくなって三ヵ月。けれど、どこかにまだ母の気配が漂っている気がした。
病院で最期の瞬間に立ち会うことも多いけれど、家に帰って、母のいない空気だけはどうしても受け止めきれなかった。
朝、簡単な食事をしようとテーブルについたとき、向かい側の椅子がいつまでも空いたままでいることに気づいた。その沈黙が、母と過ごした時間の温度を思い出させ、胸がじんわりと痛んだ。
家を片づける作業は、まるで自分の中にのこった看取りの延長のようでもあった。
朝、簡単な食事をしようとテーブルについたとき、向かい側の椅子がいつまでも空いたままでいることに気づいた。その沈黙が、母と過ごした時間の温度を思い出させ、胸がじんわりと痛んだ。
家を片づける作業は、まるで自分の中にのこった看取りの延長のようでもあった。
そうして日常をこなすうちに、現実は淡々と次の段階を迫ってきた。
葬儀と納骨を終えると、次に待っていたのは「相続手続き」という現実だった。
母が生前から確定申告を任せていた税理士に、相続税に関する手続きを依頼することになり、妹とともに通帳や登記簿を広げて向き合う時間がふえる。
葬儀と納骨を終えると、次に待っていたのは「相続手続き」という現実だった。
母が生前から確定申告を任せていた税理士に、相続税に関する手続きを依頼することになり、妹とともに通帳や登記簿を広げて向き合う時間がふえる。
ある日、その税理士から説明を受けた。
「お母さまの自宅は相続税評価額で二億円を少し超えますね。預金を合わせると、全体で三億円台前半になります。このあと名義変更などの手続きを整理していけば、ひと通り完了します。」
淡々とした声が、現実を突きつける。
彩香はただうなずき、手元の資料を見つめた。母が長い時間を過ごしたあの家が、いま数字として並んでいる――そのことが、ひどく現実離れして思えた。
「お母さまの自宅は相続税評価額で二億円を少し超えますね。預金を合わせると、全体で三億円台前半になります。このあと名義変更などの手続きを整理していけば、ひと通り完了します。」
淡々とした声が、現実を突きつける。
彩香はただうなずき、手元の資料を見つめた。母が長い時間を過ごしたあの家が、いま数字として並んでいる――そのことが、ひどく現実離れして思えた。
淡々と進む説明の途中で、ふと彩香は思った。
この人の言う“整理”の先に、自分の気持ちはあるんだろうか。
この人の言う“整理”の先に、自分の気持ちはあるんだろうか。
それでも、妹と話し合いを重ねた末、二人は実家を売却して現金化することにした。遺産を等分に分ける「換価分割」――それが公平で、現実的な方法だった。
税理士からも、「相続税を払うには、それが一番堅実です」と背中を押された。
預金の一部を先に納税に充て、のこりは売却の成立を待って整理していく。
手続きは順調に進み、書類の山が少しずつ減っていくたび、安堵と同時に不思議な空白が広がっていった。
けれど、母と同じ屋根の下で過ごした時間の重さは、書類の整理だけではとても追いつけず、胸のどこかに“片づき切らない思い”がそっとのこっていた。
ただ合理的に進めているはずなのに、心の奥に小さな棘のような違和感がのこった。
母の家を“取引”の対象として扱うこと――その現実に、どこか引っかかりを覚えたのだ。
税理士からも、「相続税を払うには、それが一番堅実です」と背中を押された。
預金の一部を先に納税に充て、のこりは売却の成立を待って整理していく。
手続きは順調に進み、書類の山が少しずつ減っていくたび、安堵と同時に不思議な空白が広がっていった。
けれど、母と同じ屋根の下で過ごした時間の重さは、書類の整理だけではとても追いつけず、胸のどこかに“片づき切らない思い”がそっとのこっていた。
ただ合理的に進めているはずなのに、心の奥に小さな棘のような違和感がのこった。
母の家を“取引”の対象として扱うこと――その現実に、どこか引っかかりを覚えたのだ。
手続きがひと段落したころ、税理士から一言、こう助言を受けた。
「売却後の資金は、銀行の方に相談しておくといいですよ。最近は、資産の管理も含めてサポートしてくれます。」
もっともだと思いながらも、彩香の胸の奥には、なぜか落ち着かない感覚がのこった。
母がのこしたお金をどう扱えばいいのか――誰かに相談して決めること自体に、どこか不安がある。しかし、手元にのこるお金を自分で動かす自信もない。結局、誰にどう相談すればいいのか分からないままだった。
「売却後の資金は、銀行の方に相談しておくといいですよ。最近は、資産の管理も含めてサポートしてくれます。」
もっともだと思いながらも、彩香の胸の奥には、なぜか落ち着かない感覚がのこった。
母がのこしたお金をどう扱えばいいのか――誰かに相談して決めること自体に、どこか不安がある。しかし、手元にのこるお金を自分で動かす自信もない。結局、誰にどう相談すればいいのか分からないままだった。
数日間、彩香は税理士からの言葉を頭の片隅で繰り返した。
仕事と家の往復の合間に、母の部屋を片づけ家具を業者に引き渡すたび、自分の手で何かを終わらせていく感覚と、埋まらない空白が交互に押し寄せた。
そんなある日、妹が言った。
「相続の手続き、ひと段落したんだよね?銀行に相談してみたら?お金のこと、そのままにしておくのも落ち着かないんじゃない?」
仕事と家の往復の合間に、母の部屋を片づけ家具を業者に引き渡すたび、自分の手で何かを終わらせていく感覚と、埋まらない空白が交互に押し寄せた。
そんなある日、妹が言った。
「相続の手続き、ひと段落したんだよね?銀行に相談してみたら?お金のこと、そのままにしておくのも落ち着かないんじゃない?」
「そのままに……」その言葉に、彩香は目を伏せた。形の整理は終わっても、気持ちの整理はまだだった。
“母のあとを整理する”とは、いったいどこまでを指すのだろう。形を手放しても、想いまでは捨てたくなかった。
“母のあとを整理する”とは、いったいどこまでを指すのだろう。形を手放しても、想いまでは捨てたくなかった。
そうして数日後、彩香は銀行の資産相談窓口を訪ねた。応接室には、柔らかな照明と落ち着いた雰囲気が漂っている。
応対してくれた男性が軽く会釈をした。手渡された名刺には「財前誠吾」とあり、そのやわらかな物腰と佇まいが少し緊張を和らげてくれた気がした。
「本日はどのようなご相談でしょうか」
穏やかな声ではあったが、彩香は一瞬考え少し言葉を探した。
「……母の家を売却して、そのお金をどうしておけばいいか、よく分からなくて。」
「なるほど。すでに売却の手続きは進めていらっしゃるんですね。」
財前は短くメモを取り、少し間を置いて顔を上げた。
応対してくれた男性が軽く会釈をした。手渡された名刺には「財前誠吾」とあり、そのやわらかな物腰と佇まいが少し緊張を和らげてくれた気がした。
「本日はどのようなご相談でしょうか」
穏やかな声ではあったが、彩香は一瞬考え少し言葉を探した。
「……母の家を売却して、そのお金をどうしておけばいいか、よく分からなくて。」
「なるほど。すでに売却の手続きは進めていらっしゃるんですね。」
財前は短くメモを取り、少し間を置いて顔を上げた。
「では、少し角度を変えてお聞きしてもいいですか。」
「角度を、ですか?」
「売却のあとの生活を、どんなふうにしていきたいですか。」
「角度を、ですか?」
「売却のあとの生活を、どんなふうにしていきたいですか。」
不意を突かれ、彩香は黙った。売ることばかりを考えて、その先を想像していなかったのだ。
沈黙が落ち、時計の針の音が響く。
――何をまもりたいのか。自分には、その答えがまだなかった。
沈黙が落ち、時計の針の音が響く。
――何をまもりたいのか。自分には、その答えがまだなかった。
想いを解く対話
応接室の静けさの中で、彩香は言葉を探していた。
「……そんなこと、考えたこともなかったです。」
自分の声が、少し頼りなく聞こえる。
仕事ではいつも冷静でいられるのに、こういう話になると何を言えばいいのか分からなくなる。
「……そんなこと、考えたこともなかったです。」
自分の声が、少し頼りなく聞こえる。
仕事ではいつも冷静でいられるのに、こういう話になると何を言えばいいのか分からなくなる。
財前は頷きながら、手元のメモに軽くペンを走らせた。
「家を売られるということは、ひとつの区切りですね。生活は今のままお続けになるご予定ですか?」
「はい。仕事は好きですし、辞めるつもりはありません。ただ……母の家を手放したあとのお金を、どう扱えばいいのか……」
「なるほど。」
財前は少し考えるように視線を落とし、やわらかく言った。
「資産を“動かす”というと、ふやすことをイメージされる方が多いですが、私たちは少し違う考え方をしています。価値を長く保つために、どう仕組みを作るか――つまり“まもる方法を設計する”という発想です。」
「家を売られるということは、ひとつの区切りですね。生活は今のままお続けになるご予定ですか?」
「はい。仕事は好きですし、辞めるつもりはありません。ただ……母の家を手放したあとのお金を、どう扱えばいいのか……」
「なるほど。」
財前は少し考えるように視線を落とし、やわらかく言った。
「資産を“動かす”というと、ふやすことをイメージされる方が多いですが、私たちは少し違う考え方をしています。価値を長く保つために、どう仕組みを作るか――つまり“まもる方法を設計する”という発想です。」
“まもる方法を設計する”。
その言葉に、彩香は自然と手元の資料を見つめた。母の家も、大切に思うだけでは支えきれない現実があった。状況によっては“形を変えて受け継ぐ”ことも必要なのだと、少しだけ理解できた。
留まることが安全ではない。そんな現実が静かに胸に広がった。
その言葉に、彩香は自然と手元の資料を見つめた。母の家も、大切に思うだけでは支えきれない現実があった。状況によっては“形を変えて受け継ぐ”ことも必要なのだと、少しだけ理解できた。
留まることが安全ではない。そんな現実が静かに胸に広がった。
「……私は、積極的にふやしたいわけじゃないんです。でも、減っていくのは抵抗があって。不安でもあって。」
彩香の声は小さく震えていた。
「かといって、自分でどうすればいいのかも分からなくて……」
彩香の声は小さく震えていた。
「かといって、自分でどうすればいいのかも分からなくて……」
財前はゆっくりと頷いた。
「ええ。多くの方がそう感じます。特に今は物価も上がりやすく、“置いておく”だけだと実質的な価値が目減りすることもあります。不安を感じるのは、とても自然なことですよ。」
言葉を切り、彼は資料を整えながら一拍置く。
ペン先を指で軽く叩き、静かな間を作ってから続けた。
「森下さまのご経験やお考えを踏まえると、いくつか方法があります。資産のご運用に関心があれば、証券の担当を交えて、預け方の選択肢を一緒に整理できます。」
「ええ。多くの方がそう感じます。特に今は物価も上がりやすく、“置いておく”だけだと実質的な価値が目減りすることもあります。不安を感じるのは、とても自然なことですよ。」
言葉を切り、彼は資料を整えながら一拍置く。
ペン先を指で軽く叩き、静かな間を作ってから続けた。
「森下さまのご経験やお考えを踏まえると、いくつか方法があります。資産のご運用に関心があれば、証券の担当を交えて、預け方の選択肢を一緒に整理できます。」
彩香は少し息を飲んだ。
「資産運用、ですか……。」
その言葉には不安だけでなく、“自分だけで決められるのか?”といった慎重さが滲んでいた。
「資産運用、ですか……。」
その言葉には不安だけでなく、“自分だけで決められるのか?”といった慎重さが滲んでいた。
「運用には、どの方法にもふえる可能性も、減る可能性もあります。ですから、判断は慎重でいいんです。そのうえで、ご自分で判断しきれない部分は、専門家に“任せる”という選択もあります。ただ、どう任せるかの仕組みは銀行では直接ご案内できないので、ご希望であれば証券会社の担当におつなぎします。森下さまのご要望やご不安を踏まえて、いくつかの方法を説明してもらえると思います。」
静かな声のトーンが、淡い照明の中で落ち着いた響きを帯びていた。
「“任せる”というのは、何も考えずに預けることではありません。自分の意志で“信頼する先を選ぶ”ことなんです。」
静かな声のトーンが、淡い照明の中で落ち着いた響きを帯びていた。
「“任せる”というのは、何も考えずに預けることではありません。自分の意志で“信頼する先を選ぶ”ことなんです。」
“信頼する先を選ぶ”という言葉が、彩香の胸の奥に落ちた。
母が最後まで自分に介護を任せてくれたのも、きっと同じことだったのかもしれない。
任せるとは、委ねる強さだ。
母が最後まで自分に介護を任せてくれたのも、きっと同じことだったのかもしれない。
任せるとは、委ねる強さだ。
財前は少し姿勢を正し、タブレットを手元に引き寄せた。
「もし差し支えなければ、今の生活のペースを少し教えていただけますか。たとえば、月々の生活費や貯蓄の使い方など。」
彩香は戸惑いながらも、家計簿アプリの画面を思い出すように数字を口にした。
財前は淡々と入力しながら、「なるほど」と小さく頷く。
数分後、画面に折れ線グラフが現れた。
「こちらは概算ですが、森下さまの今後の生活費や老後資金などを踏まえた“安心を長く保つための設計”の一例です。」
「もし差し支えなければ、今の生活のペースを少し教えていただけますか。たとえば、月々の生活費や貯蓄の使い方など。」
彩香は戸惑いながらも、家計簿アプリの画面を思い出すように数字を口にした。
財前は淡々と入力しながら、「なるほど」と小さく頷く。
数分後、画面に折れ線グラフが現れた。
「こちらは概算ですが、森下さまの今後の生活費や老後資金などを踏まえた“安心を長く保つための設計”の一例です。」
彩香は画面をのぞき込みながら、ぼんやりと未来の輪郭を見ていた。
母がのこしたお金が、ただの金額ではなく、未来の自分を支える“土台”へと姿を変えていくようだった。
母がのこしたお金が、ただの金額ではなく、未来の自分を支える“土台”へと姿を変えていくようだった。
面談を終えて銀行を出ると、冬の名残りをわずかにまとった柔らかな風が流れていた。
歩道に並ぶ街路樹の影が揺れている。
“動かすことで、結果としてまもっていく”――財前の言葉が静かに胸にのこった。
母の家を手放すことは、終わりではなく、次の暮らしを選ぶ始まりなのかもしれない。
歩道に並ぶ街路樹の影が揺れている。
“動かすことで、結果としてまもっていく”――財前の言葉が静かに胸にのこった。
母の家を手放すことは、終わりではなく、次の暮らしを選ぶ始まりなのかもしれない。
これからを支える選択
春の風が、街の色をやわらかく変えていた。
桜はほとんど散り、歩道の端に淡い花びらが寄り添うように溜まっている。
彩香はそれを横目に見ながら、これまで暮らしてきた実家へ向かって歩いた。
桜はほとんど散り、歩道の端に淡い花びらが寄り添うように溜まっている。
彩香はそれを横目に見ながら、これまで暮らしてきた実家へ向かって歩いた。
売却手続きはほぼ終わり、引き渡しの日が近づいている。
それでも、最後にもう一度だけ、自分の目でこの家を確かめておきたかった。玄関の鍵を差すのも、今日が最後になるだろう。
暮らしはすでに別の場所へ移っているが、妹と暮らす仮の部屋には最低限の荷物しかない。そのせいもあってか、実家を出てからの日々は、どこか落ち着かない時間のように感じていた。
そんな気持ちを切り替えるように、彩香は玄関の扉を勢いよく開けた。
家具も家電も運び出され、もはや広い空間に足音だけが響くのみ。壁の一部には、子どものころに落書きをして叱られた跡がまだのこっていた。薄く消えた色鉛筆の線を指でなぞると、胸の奥に懐かしさと、どうしようもない寂しさが入り混じる。
壁にのこる落書きからそっと手を離し、彩香は玄関脇に置いたトートバッグから透明のファイルを取り出した。
中には相続手続きの控えや銀行書類が挟まっていて、一番後ろに折れた端の便箋がのぞいていた。それは数日前、荷物を整理していたときに見つけた母の手紙だった。
彩香は一度息を整え、静かにその紙を開いた。
「私がいなくなっても、あなたが自分の暮らしを大切にして、穏やかに生きていけますように。」
母の筆跡は少し揺れていたが、不思議な温かさがあった。
あのときはよくわからなかったけれど、今なら、その願いの意味が胸の奥にすっと沁みていく。母は“家そのもの”よりも、私がこれから自分の力で生きていけることを願っていたのだ、と今は思える。
しばらくして手紙をたたみ、彩香は最後にもう一度部屋を見回して実家をあとにした。
それでも、最後にもう一度だけ、自分の目でこの家を確かめておきたかった。玄関の鍵を差すのも、今日が最後になるだろう。
暮らしはすでに別の場所へ移っているが、妹と暮らす仮の部屋には最低限の荷物しかない。そのせいもあってか、実家を出てからの日々は、どこか落ち着かない時間のように感じていた。
そんな気持ちを切り替えるように、彩香は玄関の扉を勢いよく開けた。
家具も家電も運び出され、もはや広い空間に足音だけが響くのみ。壁の一部には、子どものころに落書きをして叱られた跡がまだのこっていた。薄く消えた色鉛筆の線を指でなぞると、胸の奥に懐かしさと、どうしようもない寂しさが入り混じる。
壁にのこる落書きからそっと手を離し、彩香は玄関脇に置いたトートバッグから透明のファイルを取り出した。
中には相続手続きの控えや銀行書類が挟まっていて、一番後ろに折れた端の便箋がのぞいていた。それは数日前、荷物を整理していたときに見つけた母の手紙だった。
彩香は一度息を整え、静かにその紙を開いた。
「私がいなくなっても、あなたが自分の暮らしを大切にして、穏やかに生きていけますように。」
母の筆跡は少し揺れていたが、不思議な温かさがあった。
あのときはよくわからなかったけれど、今なら、その願いの意味が胸の奥にすっと沁みていく。母は“家そのもの”よりも、私がこれから自分の力で生きていけることを願っていたのだ、と今は思える。
しばらくして手紙をたたみ、彩香は最後にもう一度部屋を見回して実家をあとにした。
その夜、彩香は母の手紙を何度も読み返した。
そのうえで妹とも話し合い、「もう少し落ち着いた形でお金を管理していこう」と決めた。
彩香にとって“落ち着いた形”とは、値動きの静かさではなく、自分一人で抱え込まずに済む管理の仕方――負担の少ない関わり方を選びたい、という彩香の気持ちに近かった。
それから数日、仕事の合間にも資料を見返しながら自分なりに考えを整理した。
そして気持ちの準備が整ったころ、財前に連絡を入れ正式な契約のため銀行を訪れることにした。
証券会社の担当者とは、契約に進むまでに二度ほど面談を重ね、疑問に思った点をひとつずつ確認できた。その丁寧な時間が、彩香に自分の判断への手応えを与えていった。
そのうえで妹とも話し合い、「もう少し落ち着いた形でお金を管理していこう」と決めた。
彩香にとって“落ち着いた形”とは、値動きの静かさではなく、自分一人で抱え込まずに済む管理の仕方――負担の少ない関わり方を選びたい、という彩香の気持ちに近かった。
それから数日、仕事の合間にも資料を見返しながら自分なりに考えを整理した。
そして気持ちの準備が整ったころ、財前に連絡を入れ正式な契約のため銀行を訪れることにした。
証券会社の担当者とは、契約に進むまでに二度ほど面談を重ね、疑問に思った点をひとつずつ確認できた。その丁寧な時間が、彩香に自分の判断への手応えを与えていった。
後日、応接室に通されると、春の陽射しが差し込み柔らかな木の香りがふわりと広がっていた。
財前はゆっくりと席から立ちあがり「お待ちしていました」と穏やかに声をかけ、その隣には証券会社の担当者が控えていた。
彩香も会釈で応え、そのままテーブルに視線を落とした。
そこには、証券会社の担当者が用意した最終提案書と契約書が整然と並んでいた。
財前はゆっくりと席から立ちあがり「お待ちしていました」と穏やかに声をかけ、その隣には証券会社の担当者が控えていた。
彩香も会釈で応え、そのままテーブルに視線を落とした。
そこには、証券会社の担当者が用意した最終提案書と契約書が整然と並んでいた。
三人が席につくと、担当者は資料を彩香の方へ向け直し、静かにそして丁寧に説明を行っていった。
リスクや仕組みの要点を落ち着いた口調で伝え、彩香の質問にも一つひとつ誠実に答えていく。
財前は隣で口を挟むことはせず、ただ彩香の表情を確かめるように静かに寄り添っていた。
専門的なやり取りの合間に、彼がそっと頷く姿が、彩香の緊張を少しずつ和らげていく。
そうして説明がひと通り終わったあと、財前が言葉を添えた。
「無理に急ぐ必要はありませんが……彩香さんが“これからの暮らしをどう整えていきたいか”を軸に選んでいただくのが一番だと思います。」
リスクや仕組みの要点を落ち着いた口調で伝え、彩香の質問にも一つひとつ誠実に答えていく。
財前は隣で口を挟むことはせず、ただ彩香の表情を確かめるように静かに寄り添っていた。
専門的なやり取りの合間に、彼がそっと頷く姿が、彩香の緊張を少しずつ和らげていく。
そうして説明がひと通り終わったあと、財前が言葉を添えた。
「無理に急ぐ必要はありませんが……彩香さんが“これからの暮らしをどう整えていきたいか”を軸に選んでいただくのが一番だと思います。」
彩香は深く息を吸い、書類に目を落とした。
相続税の支払いを終え、のこった金額を見たときは不安のほうが大きかった。
だが今は、そのお金が“終わり”ではなく、自分のこれからを支える力になると、静かに理解している。
その思いをそっと胸に落とし込み、彩香はゆっくりと姿勢を正した。ペンを手に取り、署名欄に自分の名前を記す。わずかに手が震えたが、それは迷いではない。母から受け継いだものを、いま自分の責任で動かす――その重みが、静かに指先に伝わった。
相続税の支払いを終え、のこった金額を見たときは不安のほうが大きかった。
だが今は、そのお金が“終わり”ではなく、自分のこれからを支える力になると、静かに理解している。
その思いをそっと胸に落とし込み、彩香はゆっくりと姿勢を正した。ペンを手に取り、署名欄に自分の名前を記す。わずかに手が震えたが、それは迷いではない。母から受け継いだものを、いま自分の責任で動かす――その重みが、静かに指先に伝わった。
財前は書類を証券担当へ手渡し、彩香に向けて丁寧に一礼した。
「今日のご判断が、森下さまのこれからの暮らしを整えていく大切な一歩になると思います。私たちも、その歩みを一緒に支えていきます。」
その言葉に、彩香は穏やかに微笑んだ。
「今日のご判断が、森下さまのこれからの暮らしを整えていく大切な一歩になると思います。私たちも、その歩みを一緒に支えていきます。」
その言葉に、彩香は穏やかに微笑んだ。
銀行を出ると、春風が頬を撫でた。
彩香は一歩、歩みを進める。
ふと見上げた空はやわらかく澄み、どこか新しい始まりの匂いがした。
――これでいい。私は、自分のこれからを自分で選んでいく。
彩香は一歩、歩みを進める。
ふと見上げた空はやわらかく澄み、どこか新しい始まりの匂いがした。
――これでいい。私は、自分のこれからを自分で選んでいく。
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財前誠吾プロフィール
財前 誠吾(ざいぜん せいご)
長年の海外赴任を経て、現在は国内大手金融機関のウェルスマネジメント部門に所属。
財前の顧客へのアプローチは、まず人生のゴール(想いや願い)を聞くことから始まる。その中において、資産はあくまでもゴールへの到達手段の一つに過ぎない。それよりも資産にまつわる“さまざまな想い”を徹底的に紐解き、より具体的なゴールへの道筋を組み立てていく。財前の元には多岐にわたる相談が日々舞い込む。顧客の真の想いとは何なのか。ゴールへの道筋をどのように描くのか。財前の挑戦は続く。
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(2026年1月30日現在)
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