平成8年(1996年)6月6日 NO.7

通貨統合を目指すスペインの経済情勢

(1) スペインは、EU通貨統合の参加国第1陣入りを目指しているが、マーストリヒト条約の経済収斂基準を達成するための現在の最大の課題は、財政赤字の大幅な削減である。
(2) 今後の赤字削減手段としては、公務員賃金の抑制、民営化の促進が挙げられるが、このほかに国民の反発が予想される社会保障支出の削減に着手する必要がある。 通貨統合第1陣参加を目指して財政赤字を削減することは有意義であるが、単なる数字の辻褄合わせではなく、スペイン経済の長期的発展を念頭に置いた方策を講じることが肝要であろう。

はじめに
 
1.スペイン経済の現状
 
2.財政事情
 
3.財政面での特徴と赤字削減余地について
 
4.新政権の政策
 
5.今後の課題と展望


はじめに
 
 スペインでは、本年5月、13年ぶりに政権が交代し、新政権が誕生した。国民党アスナール党首を首相とする新政権は、欧州通貨統合への参加を目指し、マーストリヒト条約に定められた経済収斂条件の達成に積極的に取り組む姿勢を見せている。 スペインは、98年に決定される通貨統合参加国の第1陣入りを強く望んでいるが、これは、通貨統合参加による経済的メリットへの期待もさることながら、 スペインの欧州内先進国としての立場を確実なものとしたいとの政治的意志を強く反映したものであるとみられている。

 スペイン経済をマーストリヒト条約の経済収斂基準に照らした場合、従来は物価の低下と為替相場の安定が大きな課題であった。 しかし、近年、物価は安定をみせており、また、相場についても、89年のERM加盟後、4回の切り下げを実施したスペイン・ペセタは、金融引き締め政策が奏功し、 4回目の切り下げである95年3月以降は、最強通貨からの乖離幅は2%程度と安定している。 現時点では、経済収斂基準達成のために超えなければならない最も高いハードルと見られているのは、93年に急激に悪化した財政赤字である。

 そこで、本稿では、スペイン経済の現状を踏まえたうえで、最大の問題である財政赤字削減に焦点を当てつつ、新政権の政策を概観し、今後の動向を展望してみたい。

1.スペイン経済の現状
 
(1)景気
 90年代始めより減速基調を辿り93年にはマイナス成長に陥ったスペイン経済も、94年前半以降は回復基調に転じた(第1図)

 92年から93年にかけて、スペイン・ペセタは、ERMにおいて3回にわたる切り下げを実施し、スペイン・ペセタの実質実効相場は、約20%減価した。 これを反映し、輸出等は93年には8.3%、94年には17.7%の大幅増となり、従来、成長率に対し、マイナスに寄与していた外需は、93年にはプラス寄与に転じた。 しかし、一方で、設備投資、個人消費など内需の落ち込みが大幅であったため、結局は93年の実質GDP成長率は、▲1.1%となった。

 94年に入ると、景気は回復基調に転じた。個人消費の回復は緩やかで、牽引役は設備投資であった。 これは、輸出の増加により企業業績が上向いたことを主因として設備投資意欲が回復したものであり、その意味で輸出に主導されたものであった。一方、93年には▲5.2%と前年比減少した輸入等も景気の回復に伴い、 94年には11.0%と増加したため、純輸出(輸出等マイナス輸入等)でみると、ほぼ均衡した。この結果、94年の実質GDP成長率は2.1%と、緩やかながら景気は上向いた。

 このように、スペイン経済は、90年代初頭に比べると、やや明るさを増している。

 しかし、懸念材料もないわけではなく、昨年後半から、ドイツ、フランスなど、周辺諸国の景気低迷が顕著となってきていることから、輸出が伸び悩み、設備投資など内需面にも影響を及ぼすことが予想される。 因みに、95年全体の成長率は3.0%と上向いたが、四半期ベースでみると、そうした外需の不振を背景に、年初より緩慢ながら減速傾向を辿っている。

(2)物価
 スペインの物価は、近年、概ね低下基調を辿っている。92年には5.9%であった消費者物価上昇率は、93年には4.6%まで低下し、 94年には4.7%とほぼ横這いであった。 95年前半は、同年1月の付加価値税(VAT)の引き上げ(15.0%→16.0%)および3月のスペイン・ペセタ切り下げの影響といった要因から、 一時5%台の上昇を記録したが、後半に入って再度低下し、96年3月時点では前年同月比3.4%と、70年5月以来26年ぶりの低水準を記録した。

 このように、現状では96年の政府目標である3.5%という水準を達成する可能性がでてきている。 しかし、95年時点でEU加盟国のうち、もっともインフレ率の低い3か国の平均は1.4%であった。 従って、スペインがマーストリヒト条約の経済収斂基準を達成するためには、一段のインフレ抑制が必要であるといわれている。 具体的には、工業製品価格の上昇の抑制、賃金上昇の抑制の必要性が指摘されている。

(3)雇用情勢
 スペインの失業率は、92年第1四半期には17.5%と既に高水準であったが、その後の景気低迷により、94年第1四半期には24.6%に達した。 これは、同年のEU平均11.5%の2倍以上の水準であった。その後、景気の回復に伴い、雇用が増加し、失業率は緩やかながら、低下傾向をみせた。 これは、雇用創出を意図して94年に成立した労働市場改革法に負うところが大きく、雇用の増加分の大半は、パート・タイマーや期限付き契約労働者であった。 しかし、95年前半以降は、景気減速を反映して失業率は横這いないし、緩やかながら上昇している。

2.財政事情
 
(1)財政の現状と経済収斂計画
 スペインの財政赤字は、 主に景気低迷による税収減や社会保障給付の増加などにより、93年に急激に悪化した。 赤字幅は前年のGDP比4.2%から7.5%へと大幅に拡大し、また政府債務残高も前年のGDP比46.3%から14%ポイントも拡大し、 60.4%と、マーストリヒト条約の経済収斂基準である60%を一挙に超えてしまった(第2図)。 この政府債務残高の急増により、GDP比4%前後であった利払い費は、93年以降5%を超えるようになった。

 こうした状況から、政府は94年以降、歳出抑制を中心とする緊縮財政を堅持し続けている。 94年の財政赤字は6.6%、95年は5.9%とそれぞれ0.8%ポイント、0.7%ポイントの赤字削減を順調に成し遂げ、当初の目標を達成している。

 しかし、マーストリヒト条約の収斂基準達成を目指してたてられたスペイン経済収斂計画(94年に改訂、第1表)では、 今後は、4%前後の高い成長率を前提に、財政赤字削減目標を96年4.4%、97年3.0%としており、 その削減幅は、95年は1.5%ポイント、96年も1.4%ポイントと、95年までのほぼ倍の幅を目標としている。欧州委員会の最新の見通し(5月発表)によれば、96年の成長率は2.0%と減速する見込みであり、 このことをも勘案すると、97年までに3.0%を達成するための道は、かなり厳しいと言わざるを得ない。

 さらに、この経済収斂計画では政府債務残高を97年までに60%まで低下させることを想定していない。 従って、 マーストリヒト条約の経済収斂基準を完全に達成するためには、前述の経済収斂計画以上の一層の赤字削減努力が必要とされることになる。

 そこで次に、財政赤字削減の余地を探りつつ、スペイン財政の特徴をみていくこととする。

3.財政面での特徴と赤字削減余地について
 
 まず、スペイン財政を歳入面からみると、最大の収入源は個人所得税で、付加価値税(VAT)がこれに次ぐ。 スペインの個人所得税を他の欧州諸国と比べると、税率は比較的高いにもかかわらず、歳入に占める割合は8%程度とほぼ他の欧州諸国並みにとどまっており、徴税効率はあまりよくない。 また、付加価値税については、標準税率は16.0%と、欧州諸国内では決して高い水準ではない。 しかし、前述のように、95年に税率を1%ポイント引き上げたばかりであり、またその影響により物価の上昇を招いたとの経験に照らすと、 収斂基準達成のため一段の物価抑制が求められている現状では、税率引き上げの余地は大きいとはいえない。

 従って、赤字削減の手段は、歳出の抑制に重点が置かれることになり、公共投資など政府支出は、94年から97年までにGDP比1.5%ポイント強、削減される予定である。 スペインは、他の欧州諸国以上に今後ともインフラの拡充を必要としているという点を考慮すると、EU平均を若干下回る程度の現行の公共投資額の水準を、これ以上削減することは困難な状況である。 こうしたなかで、赤字削減の余地が見いだされる主な分野としては、 (1)公務員賃金の抑制、(2)国営企業への補助金の抑制、(3)社会保障支出の抑制、などが挙げられる。

(1)公務員の賃金について
 1970年には、労働者全体の5%を占めていた公務員は、94年には15%まで増加した。 このため、公務員の賃金に係わる支出は94年時点ではGDP比11.7%と、社会保障支出に次ぐ大きな支出項目となっている。 93年、94年の財政では公務員賃金の凍結が実施されており、94年については退職者2人につき、1人を補充することで公務員を削減する努力がなされてきた。 公務員数の年間1%の削減はGDP比0.1%の支出削減に繋がるとされ、今後とも継続的に削減されていくものとみられる。

(2)国営企業について
 政府はこれまで、国営企業に対し巨額の補助金を投入してきた。現状のままでいくと政府は、99年までに総額1兆ペセタ(約80億ドル)を支払うこととなり、財政赤字削減の観点からは極めて大きな足枷となる。 このため政府は、巨額の補助金削減を目指し、国営企業の運営体制を再編した。不採算部門の損失を採算部門の収益で補填することにより、政府予算から投入される補助金の削減を図っている。 また、民営化収入への期待から、国営企業の民営化を促進し、5月初めには、国内の全ての企業を2000年までに民営化する方針を打ち出している(注参照)。

(注)@国営企業の運営体制の再編
 スペインの国有企業の大半は、国家産業公社INI(Instituto Nacional de Industria;国家産業公社)によって統括され、その傘下となっている。

 このINIの傘下には、赤字体質の企業が多く、91年に採算部門と赤字体質企業を主体とする非採算部門の2部門に分けられた。 92年には、テネオ(TENEO)と呼ばれる会社をINI傘下に設立し、TENEOが採算部門の統括を行うこととなり、政府支援の削減と民営化を目指した。 赤字企業を抱える不採算部門については、政府支援強化の方針が打ち出された。

 しかし、INIグループ全体の累積赤字は95年までに7000億ペセタ(57億ドル、GDP比約1%相当)に及び、国営企業の運営体制はさらなる改編が必要となった。 95年6月には、INIの廃止が決定され、代わって本年1月にはSEPI(Sociedad Estatal de patricipaciones Industriales;国家産業出資公社)、 およびAIE(Agencia Industrial del Estado;国家産業管理公社)が設立された。 SEPIは優良国営企業を統括するのに対し、AIEはリストラ、産業転換を必要とする国営企業を統括し、政府の資金援助を受ける。 従って、INIの採算部門であるTENEOはSEPIに、またINI不採算部門はAIEにそれぞれ譲渡された。そして、SEPI側より上がる収益により、AIE側の赤字を補填していくこととした。

 この統括組織の再編により、96年から98年までの期間に、国家予算からAIEに投入される補助金は5190億ペセタから3660億ペセタまで減少するものとみられている。

A国有企業の民営化
 5月に、ピケ工業相が、発表したところによると、レプソル(石油化学)については、10%の政府保有株式を97年2月以降に売却、完全民営化する予定である。 このほか、66%を政府が保有し、好業績を挙げているエンデサ(電力)、3.6%の株式を政府が保有するガス・ナトゥラル(ガス)も売却される予定である。  さらに、政府は、870億ペセタの公的資金投入ほかの再建策で問題となった、TENEOグループ傘下のイベリア航空などの民営化も行うとしている。

 また、経済省が株式を保有し、経済省の管轄である、スペイン第4の銀行であるアルヘンタリアについても、民営化が発表されている。 政府は既に、93年に2回、96年3月に株式放出を行っており、3回合わせて4420億ペセタ(34.5億ドル)の収入を得ている。 この結果、現在の政府株式保有率は25.1%まで低下しているが、政府は96年9月以後に、残りの保有株式も売却すると発表している (第2表)

(3)社会保障支出について

 社会保障赤字の削減という課題自体は、欧州各国にみられ、スペイン独自の問題ではない。 スペイン特有の問題としては、70年代以降、先進諸国に追いつくべく、支出抑制努力なしに急激に社会保障制度の充実を図ってきたため、手厚い制度を確立した現在も、 社会保障支出が急増し続けていることが指摘できる(第3図)。 80年代前半には前ゴンザレス政権が、特に教育、医療、年金、失業給付の拡充に力を入れてきたため、現在は、こうした分野での支出抑制が必要となっている。

 現在、スペインの社会保障関係支出は、中央政府予算の歳出のうちの最大項目となっており、94年ではGDP比16.9%に相当している。そのうち、約2割が失業給付に充てられ、残りの大半は年金及び医療費によって占められる。

 失業給付については、いくつかの改革が奏功している。92年から94年にかけて実施された改革では、適用範囲が狭められ、93年には失業者の82.7%をカバーしていたが、94年には68.8%まで低下した。 また、94年に成立した労働改革法により雇用創出が刺激され、景気の回復と相俟って失業率が低下傾向を示したことなどから、失業給付は抑制されてきている。

 一方、今後とも支出の増加が懸念されるのは、年金および医療費である。80年から93年までに、老齢年金の支出はGDP比3%から5%へ、また医療費の支出は5.7%から7.3%へと増加した。 現状では、制度が破綻するほどの状況ではないものの、双方とも給付が手厚く、今後ますます社会が高齢化することを勘案すると、将来的には支出が大幅に増加することが予想される。 ちなみにOECDの試算によると、現状のままでは、社会の高齢化に伴い、20年間は支出が増加し続け、年金部門だけで、2050年には実質GDP9%に相当する赤字を出すものと予想されている。

 一方、社会保障会計(失業給付は含まれない)の歳入は、基本的に社会保障貢献費で賄われ、不足分については、中央政府予算からの移転によって補うことにより、収支の均衡を目指してきた。 しかし、近年の医療費を中心とする支出の増加は、中央政府移転分を大幅に増加させている。 80年には、社会保障貢献費は歳入全体の90%、政府移転は9%であったが、95年予算では、それぞれ66%、28%と、移転分の割合が大幅に増加している。

 社会保障支出の抑制の必要性については、政府部内でも認識が高まっており、94年には、議会にて資金繰りや制度改革が検討された。 しかし、その結果として翌95年3月に発表されたトレド条約(Toledo Pact)では、多少の改革はあったものの、基本的システムは不変で、抜本的改革はみられなかった。

 また、5月に発足したアスナール新政権もその選挙公約に照らして、社会保障水準を維持すること、さらに雇用創出に係わる支出の削減は行わないこと、 支出削減余地があるとみなされている教育の分野の削減は行わないと主張しており、国民及び労組の反発が予想される分野での支出の抑制については消極的な姿勢を見せている。

4.新政権の政策
 
 本年3月の総選挙を経て、5月始め、13年に及んだ中道左派のゴンザレス政権に代わり、アスナール首相率いる新政権が誕生した。 新政権は、97年にスペインが通貨統合への参加第1陣入りを果たすことを最優先課題として掲げ、財政赤字削減目標の達成を目指し、 発足1週間後には、96年予算に関し、2000億ペセタ(約16億ドル)の歳出削減を実施するとの補正予算を発表した。

 しかし、新政権が発表したこの2000億ペセタという削減額も、中央政府歳出の1%に相当するに過ぎず、十分な額であるとは言えない。 政府部内でもさらなる歳出削減を要求する声が強く、政府は現在、さらに4000億ペセタの歳出削減を検討中であると伝えられている。

 新政権がこれまでに発表した歳出削減の手段は、公共事業を中心とするインフラ投資の削減および投資計画延期といった漠然としたもので、具体的な詳細については明示されていない。 いまのところ、政府は、年間2〜3兆ペセタ(160〜240億ドル)に相当する課税控除対象のうち、 住宅、個人年金、医療費などを中心に削減することを検討している。 但し、これは、個人消費の足を引っ張ることになるのではないかとの懸念もある。 また、このほかに、国有企業民営化を促進し、これによる収入をも財源として期待している。

 また、特筆に値することとしては、近年の財政赤字削減対象のほとんどは中央政府予算に集中していることが挙げられる。 にもかかわらず、新政権は、国民党を中心に、カタルーニャ同盟をはじめ3党の地方政党の協力による連立政権として成り立ったため、国民党は連立の条件として、 地方政府については、個人所得税からの還付金を従来の15%から30%に引き上げるという譲歩を強いられた。 これは、地方主義政党との連立の上に成り立っている新政権が抱える問題点のひとつであると言えよう。

5.今後の課題と展望
 
 現在のスペイン経済は、景気の観点からは、最悪期を脱しており、その財政事情も、欧州の他国に比して特に深刻な状況にあるとはいえない。 そうしたなかで、収斂基準の達成を果たすためには、これまで以上に大幅な財政赤字削減を実行していかなければならない。

 しかし、財政赤字削減を巡る環境は決して順風であるとはいえない。景気は緩やかとはいえ減速基調にあり、大幅な自然増収は期待し難い。 また、アスナール新政権は選挙公約のなかで減税を主張してきた手前もあり、増税の余地も小さいとみられる。 こうした状況の下で、赤字削減を断行するためには、これまで以上に有効な赤字削減手段を講じる必要があろう。

 新政府はその政策のなかで、社会保障水準の維持を掲げており、社会保障面での改革は国民の強い反発を招きかねない。 しかし、将来に亘って、スペイン経済の健全な発展を成し遂げようとするならば、公務員の削減、民営化といった方策に加え、社会保障制度面での改革に着手すべきであるといえよう。 こうした認識を、政府のみならず国民にも浸透させ、国民の理解を求める必要があろう。

 欧州委員会の発表によれば、96年のスペインの財政赤字は、4.8%、97年は3.7%と、基準達成が確実視される状況ではない。 しかし、通貨統合第1陣参加を目標とすることは、財政赤字を削減するに当たり、大義名分を立てやすくもあり、また有意義でもある。 重要なことは、赤字削減を単なる数字の辻褄合わせに終わらせることなく、スペイン経済の現状を踏まえたうえで、その長期的発展を念頭に置いた方策を講じることであり、新政権の政治的手腕が注目されるところであろう。

 
(5月23日 経済調査部 中島)