平成8年(1996年)12月27日 NO.24

急速に進む中国の金融改革

改革・開放政策下で激しい景気変動に見舞われるなか、従来型のインフレ抑制手法の効果も薄れてきたことから、中国当局は、近年、本格的な金融制度改革に取り組んでいる。 銀行制度面では、中央銀行の金融管理機能の強化、国家専業銀行の商業銀行化が追求されている。 当局は、金融・資本市場の育成・整備にも尽力しているが、課題は少なくない。インフレも落ち着いてきたこの機を捉えて、金融改革を一段と促進していくことが必要であろう。

はじめに
 
銀行制度改革の進展
 
金融・資本市場の発展
 
金融改革進展のための課題


はじめに
 
 中国では、1978年末の改革・開放政策への転換以降、生産面の中央管理を緩和し、政府との契約量を上回った生産に基づく利益の留保を認めるという形で、各地方政府・企業の自主性を引き出した。 この結果、79〜95年に年平均9.8%という高度成長を果たした。しかし、詳細にみると、景気過熱の度にインフレを引き起こし、これを急激な需要抑制で引き締めた結果、景気が冷え込むという激しい景気変動を繰り返してきた。 さらに、近年では、市場経済化、地方への権限委譲促進を受けて、インフレに対し、中央政府が従来のような強権的な引き締め策を実施すること自体が困難になりつつある。 こうした状況下、中央政府は、インフレなき安定成長を実現するためには、効率的な資源配分を促す金融システムとこれに適応したマクロコントロール手法の確立が不可欠であるという認識に至った。

 こうした経緯から、93年11月に第14期共産党中央委員会第3回全体会議(三中全会)で採択された「社会主義市場経済の確立についての若干の決定」では、 「政府の機能の転換とマクロ経済のコントロールシステムの確立と健全化」と題された章において、金融改革の目標が示された。その後、この「決定」に従って、 これまで遅れていた金融制度改革はかなり速いペースで進められつつある(第1表)

 そこで、以下では、主として「決定」以降を中心に、中国の金融制度改革の進捗状況についてみていきたい。

銀行制度改革の進展
 
(1)中央銀行機能の強化

 中国人民銀行は、83年9月の「中国人民銀行が中央銀行の機能を専門に行使することに関する決定」を受けて、中央銀行として金融政策運営にあたってきた。とはいえ、人民銀行は融資総量規制以外に有効な金融調節手段を持っていなかった。

 そのうえ、近年、人民銀行が引締めを意図して融資量を抑制する旨決定しても十分な引締め効果が挙がらないという事態が表面化した。 これは、地方政府・企業の権限拡大のなかで、銀行の支店がそれらの意向に従って融資を行わざるを得ないこと、ならびに、金融面の自由化の結果、銀行にとって様々な手段による資金調達と子会社経由などの融資が可能となったことによるものである。 93年後半から中央政府が引き締め政策への転換を掲げた後も、銀行貸出増加額は新規貸出枠を93年27.5%、94年9.4%、95年36.7%上回る形で推移した。 そうした状況下、消費者物価上昇率は94年11月に27.7%のピークをつけるまで上昇を続けた。消費者物価上昇率がようやく1桁台にまで落ち着いたのは、引き締め政策実施後2年以上経過した96年1月になってのことである。

 こうしたことから、すでに「決定」でも示唆されていたとおり、中央銀行としての権限・機能の強化、ならびに金融調節手段の直接的手法から市場メカニズムを反映した間接的手法への移行の必要性が改めて認識されることとなった。

 まず、最初に実現されたのは、「中国人民銀行法(中央銀行法)」の策定による中央銀行としての機能の強化であった。同法は、95年3月18日、全国人民代表大会(全人代、国会に相当)における採択を経て即日公布、施行された。 同法7条にて、「国務院(政府)の指導の下に」あるものの、「地方政府、政府官庁、社会団体、および個人の干渉を受けない」という形で一定の独立性が保証された。 さらに、支店に対して、人民銀行本店よりも地方政府の方が影響力をもつ傾向にある現状に対しては、12条で「人民銀行は、その支店に対して集中した統一的指導と管理を行う」という形での改善を試みている。

 しかし、中銀の独立性強化の方向性に対する地方政府の反発は強く、全人代の採決にあたっては33%もの無効・反対票が投じられた。ここからしても、中銀の権威の定着が容易でないことは明らかといえよう。

 次いで、実施されたのは、融資総量規制に代わる間接的金融調節手段の導入である。後述の様々な国債市場の改革を経て、当局は、96年4月、短期国債を対象とした公開市場操作に踏み切った。 「決定」では公開市場操作の他、預金準備率操作、中銀貸出金利操作があげられている。これらは以前から存在していたものの、銀行に採算意識が乏しく、かつ、政策融資を理由として中銀から資金供給を受けることが容易であったという状況の下では、 両者の変更による融資量の調整効果は薄かった。このうち、預金準備率操作については、国家計画委員会の報告でマネーサプライ目標を反映して機動的に調整する形へと段階的に改善される方向が示されたとの報道がなされている(96年8月)。

(2)銀行機能の整備

 中国の銀行界では、本来異なる任務を担うべく人民銀行から分離独立した4大国家専業銀行[中国工商銀行、中国人民建設銀行(96年3月より中国建設銀行に改称)、中国農業銀行、中国銀行]が広範な支店網を有し営業展開していた。 80年代半ば、政府は、国有企業の採算意識の向上を求めて、資金供給源を財政から銀行に切替える一方で、銀行間競争を促すために銀行別の融資使途の制限を大きく緩和した。 これらは、資金の効率的活用を促進する目的をもった試みであったにもかかわらず、現実には、国有企業に対する不採算な融資を助長する結果となった。 元来、地域との密着度が強い銀行支店が、地方政府、大手国有企業から要請される融資を拒否することは極めて困難であったうえに、銀行は採算意識も審査機能も不十分なまま、融資拡大競争に走ったためである。 こうした結果、専業銀行の不良資産は、現在、総資産の約20%にのぼるとみられている。

 このような状況に鑑み、「決定」は、政策金融と商業金融を分離することで、不採算な融資を余儀なくさせる政治的圧力の緩和を図った。 すなわち、政策金融専門銀行を新設し、従来の国家専業銀行は、商業銀行業務に特化させることとした(第1図)。

 具体的には、94年4月に、国家開発銀行、中国輸出入銀行、11月に中国農業開発銀行と、3つの政策金融専門銀行を設立した。これを受けて、当局は、これまでの国家専業銀行を国有商業銀行と呼ぶようになった。

 続いて、95年7月1日から、商業銀行法が施行された。 商業銀行は、収益性、安全性、流動性を経営原則とし、自主経営、リスク自己負担、損益自己負担および自己責任の体制をとり、他の機関、企業、団体、個人の干渉を受けないものと規定された(注)。

(注)国務院の承認を受けた特定融資事業については、国家全額出資の商業銀行は貸出を義務付けられている。ただし、貸付に伴う損失については、国務院が救済措置を講じることとなっている。

 自己資本比率8%以上、預貸比率75%以下、流動比率25%以上、大口融資規制(資本の10%以下)などの健全性規制も盛り込まれた。当局は、来年からは新規貸出枠による規制を取止める意向との報道もある。 そうなれば、こうした比率規制が一段と重要な管理指標となろう。ちなみに、94年のバランス・シートをみると、国有商業銀行の自己資本比率(注)は4.9%、預貸比率は123.8%と、 その他商業銀行が各々9.0%、73.7%であるのに比べ、健全性の面ではかなり劣っている。

(注)自己資本/総資産による。資産のリスク・ウェイトを考慮したBISベースではこの数値よりかなり上昇する。ちなみに、“Banker”誌によれば、工商銀行(3.33→9.10%)、 中国銀行 (4.13→13.99%)、交通銀行(7.47→11.78%)、招商銀行(6.35→14.21%)とされている。

 さらに、95年7月27日には、貸出行為の規範化の目的で、貸付の種類、期間、利率、借り手・貸し手の権利・義務、貸出の管理などを規定する貸出通則が試行された。 これは、商業銀行に加えて、信託投資会社、金融会社、ファイナンスリース会社、都市・農村信用協同組合、などの貸し手のみならず、借り手をも拘束するものである。 その後、ほぼ1年を経て、96年8月1日より、貸出通則は正式実施された。

 このように銀行の経営責任意識と採算性の向上を追求すべく間接金融システムの整備が進められる一方で、人民銀行による預金・貸出金利の決定 (運転資金貸出金利のみ、公定金利から一定の幅で各金融機関独自の調整が可能となっている)は残された重大な規制であるのみならず、主として政治的配慮から市場に歪みをもたらすものとなっている。 例えば、93年7月から95年6月まで、かなりの種類の期間物について預金・貸出金利が同一水準に設定された(第2図)。 これは、預金金利はインフレによる預金の実質的な目減りに対する預金者の不満に配慮して高く設定しようとする(それでも実質金利は大幅にマイナスの状況ではあったが) 一方、貸出金利は、すでに不振が目立っていた国有企業の状況を考慮して抑制しようという当局の政治的理由から、銀行マージンをゼロにするという事態を引き起こしたものである。 加えて、94年3月から、期間3年以上の個人名義の定期預金に対しては、インフレ補填のための金利上乗せが課せられ(注)、銀行マージンは完全な逆鞘状態となった。 この結果、例えば、都市部の商工業向け貸付を中心業務とする工商銀行は、総資産利益率を92年の1.13%から95年の0.15%まで低下させた。 社会の安定のためとはいえ、銀行の採算意識向上を促すべく改革を進めようとしていた金融当局自らが、利益を生み出しようもない金利体系を設定したことの孕む問題は大きいと言わざるを得まい。

(注)インフレ補填金利は、94年3月に導入されて以降毎月変更されている。1.2%から引き上げられ続け、95年12月には13.2%にまで達した。その後は、これをピークに引き下げが続き、96年12月には3.72%まで低下している。 尚、96年4月以降に預けられた預金には付与されないことになっている。

 また、96年11月、商業銀行の住宅・自動車消費抵当貸付について業務を中止するよう通達が出された(前者は中銀が管理規則を出すまで)。さらに、同通達は、中銀の承認を得ずに、新規の重要な業務を開始しないことを求めている。 しかし、当局が新規業務に対しあまりに警戒的であると、商業銀行の収益機会は著しく限定される懸念がある。

金融・資本市場の発展
 
(1)インターバンク市場

 80年代半ば以降、専業銀行間ならびに専業銀行系列間で資金の過不足の調整が開始されたことを追認する形で、銀行管理暫定条例でもインターバンク取引を規定する条文が現れた。 やがて、各地で数百にのぼるインターバンク取引センターが設立され、それぞれ独立して取引が行われるようになった。 93年前半、景気過熱のなかで、期間・使途・最高金利などの面で人民銀行の規定に反する違法なインターバンク取引が横行したため、人民銀行は「インターバンク取引の整備と標準化のための通達」を出し本格規制に踏み切った。 これに従って、95年末までに、人民銀行支店により省・市・計画単列都市毎に43の融資センターが、さらに、商業銀行によって50以上の融資センターが開設された。 しかし、人民銀行は、95年11月の「商業銀行による融資センター創設を禁じる通達」において、既存の商業銀行によるインターバンク市場を96年4月までに閉鎖するよう求めた。 こうした作業を経て、96年1月、人民銀行は、全国統一のインターバンク市場コンピュータ・ネットワーク・システムを導入した。 これは、12商業銀行と15地域融資センター、および、15地域融資センターと地域金融機関という2つのネットワークから成っている(注)。

(注)96年3月以降、参加メンバーは20銀行35地域融資センターに拡大している。

(2)国債市場

 81年に財政赤字補填の目的で、国債発行が再開されたが、当初、国債は個人ならびに企業に対して強制的に割当てられ、売却が認められていなかった。 88年から個人向けの国債の店頭取引という形で流通市場取引が開始された後、90年の上海証券取引所の開設とともに全国的なコンピューター・ネットワークによる証券取引自動相場システム (Securities Trading Automatic Quotation System、STAQS)が導入され、取引の集中化が図られるとともに、地域間の価格差が解消されていった。

 このような流通市場の発展を背景に、国債の投資対象としての魅力が高まったことを受けて、91年にシンジケート団引受が開始された。 93年には景気過熱を背景とした金融混乱の影響で、金融債や株式への投資が選好され、国債消化が不調であったことから、強制割当が一時的に復活したが、その後は再び停止されている。

 94年から中銀借入による財政補填を取り止めたことから、国債発行額が急増した結果、残高は95年末現在で3,300億元(GDP比では5.7%)に達している(第3図)。 こうした市場規模拡大を背景に、当局は、短期国債、無記名債、登録債など、多様な種類の発行を進めたうえで、96年4月より新たな金融調節手段として期待を寄せていた公開市場操作を開始した。 但し、流通可能な国債が国債残高の3分の1程度に過ぎない現状では、流通市場は厚みに乏しく、これが、当面、公開市場操作の効果を限定しそうである。

 なお、国債先物取引は、93年10月に上海証券取引所に導入されて以来、極めて活発であった。しかし、違法取引の発覚を契機に市場の投機性が露呈された結果、95年5月以降取引が停止されたまま今日に至っている。

(3)株式市場

 中国では、90年12月に上海、91年7月にシンセンにおいて、証券取引所が開設された。 株式時価総額(96年6月現在)は、上海証取が4,147億元とシンセン証取(1,823億元)の倍以上であるが、1日当り取引高(96年上半期)では、前者が18億元、後者が15億元とほぼ拮抗している。 両者合計の市場規模(時価総額)は、インドネシア、フィリピンに近づいている。

 国内投資家向けのA株と外国投資家向けのB株(株価・決済通貨は上海証取では米ドル、シンセン証取では香港ドル)に分かれるが、 時価総額でも取引高でも圧倒的にA株の方が大きい(第2表)

 A株は国内投資家に、大きなキャピタル・ゲインが見込める投資対象として受入れられた。 とくに、92年から93年前半にかけては、景気過熱のなかで、地方政府・政府機関・企業が違法な資金調達を行って、不動産同様株式にも巨額の投資資金を注ぎ込んだことから、A株価は高騰した。 しかし、93年後半以降の引き締め政策への転換を受けて、違法な資金調達は厳しく制限されたうえ、企業業績も全般的に低迷したため、A株価は大きく値を下げ、その後も94、95年と低迷を続けてきた。 96年に入ると、5月、8月と2度の利下げが行われるなか、急回復に転じている(第4図)

 一方、B株には、中国市場における取引の煩雑さ、情報開示不足、流動性の乏しさなど、外国投資家にとって投資対象としての魅力を削ぐ問題が少なくない。 加えて、外国投資家は主として香港市場において中国関連株の投資が可能であることから、あえて未整備な中国市場に参入する必然性に乏しい。 90年代に入って、香港株式市場に、中国関連企業が、子会社上場、ないしは香港上場企業の買収という形で参加するケースが目立ってきたうえに、93年7月以降、中国企業自体の香港上場(H株と呼ばれる)も開始された。 加えて、94年からニューヨーク市場に、95年からシンガポール市場にも中国株が上場されている。

 こうした背景から、B株価は低迷を続けてきたが、96年5月の利下げ以降、シンセン市場ではB株価の回復が目立ち始めた (シンセンのB株価指数は96年5月末の71から12月初には160台まで上昇)。 これは、株式に付帯する権利・義務は同じでありながら、ほとんどの銘柄でA株価の方がB株価よりも大幅に高値となっていることから、国内投資家の投資資金がB株市場に流入してきたためとみられている。 そこで、96年9月、証券監督管理委員会は、上海・シンセン両取引所に対し、国内投資家の購入を禁ずる旨を命じた。 しかし、禁止令が市場に十分浸透しないまま、12月には、A株とB株の統合が促進されるとの観測(これまで何度か浮上しては株価上昇の材料となってきた)のもとに、B株価はシンセン、 上海ともに急騰している(A株価も同様に両市場で急上昇)。

 こうしたA株とB株の統合の他にも中国の株式市場の課題として、以下のものがあげられよう。 第1に、優良企業ほど銀行融資が好条件で受けられることから上場されにくい傾向にある点は、株式市場の健全な発展にとって大きな制約条件となっている。 第2に、配当性向が著しく低く、投資収益の源泉はキャピタル・ゲインに求めざるを得ないなか、合理的な株価が形成されるには投資家の知識も情報開示も未だ不十分と考えられる点も市場関係者に対し早急な対応策が求められるところである。 最近の株価高騰も、中国企業の業績を反映したものとは言い難いように思われる。

金融改革進展のための課題
 
 以上述べてきたとおり、90年代に入り、金融制度改革はいよいよ本格化してきた。 間接金融面では、中央銀行法、商業銀行法も施行され、市場経済に合致した銀行制度へ向けての法的枠組みは整えられつつある。 不採算な融資を引き出す地方政府・有力国有企業などの圧力を回避するように方向付けるためには、これらの法を厳密に運用して、遵法精神を浸透させていかなければなるまい。 しかし、国有銀行が、社会主義体制下で長期にわたって担ってきた国有企業への資金供給源という役割から脱却するのは容易ではない。 また、国有銀行が抱える巨額の不良資産も深刻な問題であるが、これは体制の要請ゆえに膨らんだという要素も大きい。 国民に多様な消費機会、資金運用手段が与えられてくるなかで、GDPの67%に及ぶ国有銀行預金残高(95年)が今後も維持され、銀行経営を下支えしていくかどうかは、はなはだ不透明である。 これらを考慮すれば、いずれは、不良資産に対して財政資金を投入せざるを得なくなる可能性も否定できない。

 一方、直接金融に関しては、歴史の浅さゆえ資本市場が未発達であるのは当然ながら、依然政府のなかで資本市場に対して警戒感を抱く声が少なくないと思われる点が、発展の阻害要因として懸念されよう。 このため、適正な監督が行われにくい一方で、行き過ぎたと判断されると、例えば、国債先物市場のように取引停止という極端な措置がとられ、投資家の信頼を損なう結果となる。 中国の場合、今後莫大なインフラ資金が必要となる(世界銀行の推計によれば、その額は1995〜2004年に7,400億ドル、GDP比7.4%)。 とすれば、これまでのように海外からの資金流入を直接投資に依存するだけでは不十分であろう。 こうした状況に鑑みれば、資本市場も外国資金を惹き付け得るよう魅力を高めていくことが不可欠であるという認識をもって改革を急ぐべきではなかろうか。

 市場メカニズムを取入れていく過程において、最近まで二桁インフレに悩まされてきただけに、金融当局が自由化に警戒感を抱くのはやむを得ない面もあるが、現実問題として、 すでに従来の手法では、資金の効率的な配分はもちろんのことインフレ抑制も困難となっている。これを考慮すれば、市場メカニズムが働くよう市場を整備していく以外に有効な方法は見出せまい。

 インフレ時には社会不安を抑えるために緊急避難的に市場を無視した対策を取入れがちである。 しかし、最近では、5月、8月と2度の利下げ後も金融当局は「適度に引締め気味の金融政策」の持続を明言しており、消費者物価上昇率は10月現在で7%という水準で安定している。 この機を捉えて、国有企業改革・財政改革とも合わせて、金融改革を一段と促進していく必要があろう。

 
(12月16日 経済調査部 萩原)