平成8年(1996年)12月2日 NO.22

英国労働党の経済政策

(1) 来年上期の英国総選挙では労働党政権が誕生する可能性が高いが、経済政策において現政権のスタンスから大きく軌道修正される見込みは薄い。
(2) 労働党の経済政策の特徴は、投資の活性化による経済再建と、労働者の技能の汎用性を高めることによって、雇用の確保、創出を図ろうとする点である。
(3) 財政政策は緊縮型志向であり、金融政策では、インフレ抑制策を重視しイングランド銀行の権限強化を検討している。
(4) 欧州政策は、世論自体が2分して大きな対立を見せており、労働党としても難しい対応を迫られよう。

はじめに
 
経済政策の基本理念
 
長期的な政策ビジョン=投資の活性化と職業技能訓練
 
投資活性化のための施策
 
競争の促進と消費者の利益保護
 
雇用政策
 
税制改革
 
財政・金融政策
 
欧州政策


はじめに
 
 英国では、来年5月までに総選挙が実施されることになっている。現保守党政権は、英国の景気が他の欧州諸国に比べ相対的に良好であり、失業者も3年以上にわたって減少を続けていることをあげて、 これらは保守党の経済政策、より具体的には健全な金融政策と国営企業民営化の勝利であると力説している。 しかしながら、一方では、欧州経済・金融統合(EMU)への取り組み姿勢をめぐって露になった党内の確執(親欧州派と欧州懐疑派)や、その結果としての有力党員の離党、といった一連の出来事が、政権政党としての威信を著しく傷つけ、 メージャー首相の指導力に対する疑念を呼び起こしていることも否定できない。

 これに対し労働党は、ニュー・リーダーとして人気の高い党首トニー・ブレアを中心に、党に残る古い既成観念(例えば企業の国有化に代表される過大な政府干渉やインフレ的な放漫財政など)を払拭して、 新時代に相応しい政党としての変貌ぶりを強く国民にアピールしており、保守党内の不協和音も追い風となって、10月末に行われたギャロップ世論調査では、保守党の支持率を28.9%ポイントも上回った。

 両党は9月下旬から10月初旬に、相次いで総選挙前最後の党大会を開催し、選挙へ向けての党意の集結を図ったが、ここでも保守党は、親欧州派(代表格はブリタンEU委員会副委員長)と欧州懐疑派(代表格はハワード内務大臣) の対立を解消しえず、国民に対し効果的なプロパガンダを打ち出すことはできなかった。一方、労働党は、投資の活性化と教育・訓練の充実を軸に、英国経済を長期的な観点から建て直すという基本政策を改めて明確にした。 この中で保守党に対しても痛烈な批判を浴びせ、例えば保守党がその成果を自賛している「健全な金融政策」に関しては、日和見的で長期的なビジョンに欠けると一蹴し、「民営化の成功」に対しても、 国営企業時代から引き継がれた寡占的体質が民営化後の高収益に寄与するのは当然であり、所詮は‘fat cat’にすぎないと揶揄している。

 このように、労働党が攻勢を強めるなかで保守党が党内の意見統一さえ満足になし得ないという情勢では、世論調査の結果をみるまでもなく、総選挙における労働党の優位は動かしがたい。 しかし、“旧労働党”の既成イメージを塗り替えたということは、“保守党もどき(Tory Lite)”という皮肉にも表されるように、労働党が独自性を失い、 保守党との主張の違いが判然としなくなったという一面をもつことも事実である。 92年の選挙では、同様に事前の優勢を伝えられながらも労働党は結果的に敗れており、保守党に幻滅した多くの保守党支持者が、おそらくは自由民主党や右派の独立系政党に鞍替えすると予想されることも考え合わせると、 来る総選挙の帰趨はまだ予断を許さない。

 本稿では、こうした不確実性を念頭に置きながらも、なお労働党政権誕生の可能性は高いものと判断して、労働党大会において示された公約等を参照しながら、政権交替に伴うあり得べき経済政策の変化について考えてみることにしたい。

経済政策の基本理念
 
 従来の労働党の経済政策は、生産・分配手段の国有化の必要性を謳った党綱領(いわゆるclause 4)に象徴的に示されるように、社会主義的な色彩を色濃く滲ませたものであった。 しかし、そのclause 4は既に放棄され、現在の労働党は、市場メカニズムに立脚しながら競争を促進し、インフレなき持続的成長をめざす姿勢を鮮明にしている。 この意味から、基本的な政策理念において、保守党と労働党の間にはほとんど差異がないということができる。

 しかし、労働者の生活権益をより積極的に擁護し(例えば最低賃金の設定)、弱者と強者の間の格差是正に政府が主体的に関与しようとする(例えば職業訓練に関するコスト負担を雇用主に義務づけている)点では、 なお労働党は保守党と距離を隔てている。国営企業の民営化に対しても、国民の利益に反しない限り、これを継続することを明らかにしながらも、一方では、質の高い公共サービスを維持するために、 相応の公有サービス部門を残すことは不可欠としている。ただ留意すべきは、こうした政府の干渉が、市場メカニズムを歪曲しない範囲にとどめられねばならないと釘をさしている点であり、上記の最低賃金の設定も、 国際競争力を損なわないということが重要な前提となっている。

長期的な政策ビジョン=投資の活性化と職業技能訓練
 
 労働党はかねがね、79年から引き続く保守党の長期政権のもとで、英国経済は著しくその潜在成長力を損ねてしまったと主張している。とりわけ大きな問題とされているのは、経済政策の長期ビジョンを欠いていたために、物的投資が低迷を続け、 生産能力の向上が阻害されてきたという点である。労働党は95年度予算編成時(94年11月)に、保守党の経済政策に対するカウンター・プロポーザルとして、“Budget action for inves-tment,jobs and fairness”を発表しているが、この中で、 英国の製造業投資が他の先進国に比べていかに不振を極めているかを示した研究成果を紹介している(図参照)。

 これによると、減価償却後のネットでみた製造業の実物資本ストックは、80年代の10年間に日本では70%近くも増加しているのに対し、英国のそれはほとんど不変であり、むしろやや減少しているほどである。 このことは、製造業の生産能力が需要に見合って成長しておらず、これが供給面の隘路となって、潜在的なインフレ圧力を形成していることを表している。

 このため、労働党の経済政策の主眼は、長期的な観点に立って経済を建て直すべく、生産的投資をいかに活性化するかに置かれている。 これは単に生産設備に対する物的投資にとどまらず、ヒトや技術力に対する投資や、通信設備等のインフラ投資 (昨年の党大会で発表された、学校、病院、図書館等を網羅的にひとつの情報システムの下に連結する‘インフォメーション・スーパーハイウエイ’の構想は脚光を浴びた)など多岐にわたっている。 なかでも、雇用の安定と労働者の生活水準の向上を目指して、職業技能訓練の重要性を強調し、このコスト負担を雇用主に義務づけようとしている点は、労働党に固有の政策として注目されよう。 かかる訓練の機会は全ての雇用者に対し平等に与えられ、予め訓練日として一定の労働日数がこれに充当されなければならないとされており、こうしたプロセスを通じて、 職業技能訓練に対する肯定的な文化を英国に植え付けようというのが労働党の究極の狙いである。

投資活性化のための施策
 
 英国の生産的投資が長期に亘って低迷している大きな原因として、労働党は次の2つをあげている。

  • 企業戦略のなかで、資本収益率の向上よりも配当支払いに重点が置かれていること
  • 経済活動が大手の上場企業に偏っていること
第一の点を是正して真に収益率の高い企業に対する長期的投資を促進するためには、年金基金等の大口機関投資家が適切な投資判断基準をもてるよう投資環境を整備してやることが必要である。労働党は具体的な施策として、

 @ 機関投資家が年次総会において、役員選任に対して積極的に関与できるようにする。
 A 年金基金受託者は、ファンド・マネージャーの投資政策や活動に関する規約を作成しなくてはならない。
 B 企業は年次報告書のなかで、将来のために行った投資に関する情報を開示する。

等の項目をあげている。また、制度面から長期投資を促すべく、

 C キャピタル・ゲイン税制の改革を通じる長期的投資の優遇
 D より多くの情報共有を条件として、株主が企業との間で一定期間、保有株式を売却しないことを約すノン・アクセプタンス契約を奨励すること
 E 株式の公開買い付けを行う企業は、その買収が効率性と公共の利益の増進に寄与することを立証しなければならないとする規則を制定すること

等も検討中である。

 また第二の問題点、すなわち経済活動の大手企業への集中を是正するには、何よりも中小企業の育成が肝要である。労働党はこれを政策的に援助すべく、

 @ 地域経済の発展を促進するために、地域開発機関のネットワークを確立し、ベンチャー・キャピタルと共に官民協調の中小企業ファイナンスを実施する。
 A 中小企業が輸出信用や保険を利用する際の問題点を見直す。
 B 中小企業が短期債務で倒産を余儀なくされることを防止する。

といった新たな施策を公約している。

競争の促進と消費者の利益保護
 
 前述のとおり、新時代の労働党の経済政策運営の基本は市場メカニズムに則った競争の促進にある。これまで英国では、独占合併委員会(MMC)や公正取引委員会(OFT)の下に健全な市場経済機能のモニタリングが行われてきたが、 複数の監督組織があるために意思決定の効率性が阻害されることも少なくなかった。労働党はこの点を考慮して、消費者の利益を守るための新たな組織の設立を提案している。

 消費者の利益を守るという観点からは、民営化された公益事業に対する規制を改正することも検討されている。保守党は民営化企業の業績の改善(民営化企業全体の年間利益は民営化前に比べ倍増)を自賛しているが、 労働党は、これは効率的な競争の成果ではなく、寡占がより進んだ結果にほかならず、そのコストは最終的に消費者サイドにしわ寄せされていると批判している。これを改善するには、 民営化企業のより内部に立ち入って古い慣行を打破することが必要であると強調されており、具体的には、

 
 @ 消費者に負担を強いる一方で役員が高額の報酬を受取る慣行を是正する。
 A 企業は役員の報酬パッケージを全面的に開示し、株主から事前の承諾を得る。
 B 価格設定に先立って、価格や提供されるサービスの基準等について、企業に公聴会を開催させる。

といった施策が検討されている。

 このように、現在の労働党は、民営化企業の経営のあり方について、消費者の利益を保護するという立場から、かなりドラスティックな改善を求めてはいるが、民営化の路線そのものは否定しておらず、 これら企業の再国有化の必要性を訴えるような論調は今のところ見当たらない。ただし、質の高い公共サービスを提供するには、相応のサービス部門の公有は維持する必要があるともしており、 さもなければ、決定事項の開示や実務経験を積んだ管理者の養成を通じて責任ある対応をなし得る企業体制を作るべきであると主張している。

雇用政策
 
 雇用政策は、労働者のための政党を標榜する労働党にとって、一連の政策パッケージの中でも中心的な位置を占めるものである。 労働党は、雇用を最大限に増加させるには、持続的な経済成長をベースとして、中小企業の発展および地域の共同組合、非営利法人による職業技能訓練が不可欠であるとしている。 大企業と中小企業、大都市と地方の間にある経済的格差を是正し、職業技能訓練を通じて、どこでも通用するように技能の汎用性を高めようとする発想は、既に述べた中期的な諸政策の運営方針と軌を一にしており、 この意味では、政策パッケージに盛り込まれたひとつひとつの政策は互いに一本の糸で固く結ばれているといえよう。

 失業の救済に関しては、労働党は94年に、2年以上の長期失業者をフルタイム労働者として雇用し、訓練した企業に、半年間に限って1人当たり週75ポンドの税金を割戻すことを提案しているが、これを実行することにより、 民間部門全体で最高30万人の雇用を創出できるものと期待している。

 雇用政策のなかで、最低賃金水準をいかに決定するかは、これまでにも大いに議論を呼んだ問題であるが、これをめぐっては、いまだに党と労働組合の間にかなり大きな意見の隔たりがあり、 仮に労働党が対応を誤って組合の支持を失うようなことになれば、総選挙にも重大な影響が及ぶのは必至である。この問題に関し、労働党は市場メカニズム重視の立場に立って、 賃金水準の決定は基本的には労働力に関わる市場の需給関係に委ねるべきであり、硬直的な最低水準の設定は、結局は労働者の利益にならないとしているのに対し、組合は欧州大陸で既に最低賃金制の導入が支配的となり つつあることをバックに、最低賃金を特定レベルに制度化すべしとして譲らない態度をみせている。もっとも、労働党も労働者の権益を擁護するという観点から最低賃金制度を設けること自体には賛意を示しており、 これを組合が主張するような特定水準に固定するのではなく(一部労組は男子労働者賃金の中位数の50%にこれを定めることを提唱)、国際競争力を損ねないことを念頭に、より柔軟なスキームのなかで設定したい意向である。

税制改革
 
 労働党は、79年から引続く保守党政権の下で実行されてきた減税措置は貧富の差の拡大に寄与したとして、これに批判的である。労働党が考えている税制改革の基本原則は主に以下の点に集約される。

           
 @ 課税は納税能力に基づいて累進制とし、男女平等に扱う。
 A 税制は企業の長期の生産的投資を促進し、汚染や資源の浪費を抑制するものでなくてはならない。
 B 直接税と間接税、個人部門と企業部門で公平に税負担を配分する。
 C 投資や技術革新を行う企業を優遇する。また、ループ・ホールを塞いで徴税基盤を強化する狙いから、
 D 企業役員のストック・オプションや民間医療保険等に対する不公正な税負担軽減を改正、廃止する。
 E 一部の富裕階層が充分な税金を支払うことなく英国内に居住し、働くことを可能にしている現行システムを見直す。といった点も重点項目に加えられている。

 このほか、より具体的な改革案として検討されているものとしては、

     
 @ 低所得層の税負担を軽減するために、新たに10%の最低所得税率を導入すること
 A 年収10万ポンド以上の所得層に対する50%の最高税率の適用
 B 11月の予算で実現が見込まれる相続税やキャピタル・ゲイン税の減税の撤回(既に公約済み)をあげることができる。

財政・金融政策
 
 労働党は保守党の金融政策を、インフレ抑制のために金利を引上げようとするばかりで、中長期的な観点から経済の根本的弱点を克服しようとする姿勢に欠けていると批判している。 これは保守党の経済政策の長期的なビジョンの欠如を攻撃したものであるが、マクロ不均衡の短期的な調整手段として金融政策の役割を重視している点では労働党も同じである。 しかし、インフレなき持続的成長という基本的目標の下で機動的に金融政策を発動するためには、イングランド銀行を改革し、同行の金融政策の決定に対する影響力を強め、政策遂行に関わる責任を明確にする必要があると強調している点は特筆される。 もっとも、これは従来からしばしば採り上げられている、イングランド銀行に中央銀行としての独立性を付与するという問題には必ずしも直結しないとみられている。

 過去の労働党のマクロ経済政策の最大の問題点は、経済的弱者の救済という旗印の下に、放漫な財政支出を継続し、国家財政を破綻に追い込んだことにあった。 ‘新’労働党の財政政策スタンスは、自ら財政支出に厳しい制約を課そうとしている点で、‘旧’労働党のそれとは一線を画する。 例えば、@借入れは投資目的に限る、とか、A財政赤字の対GDP比率を適切かつ安定した水準に維持する、といった明確な行動規範を掲げているところにも、同党の決然とした姿勢がよくあらわれている。

 労働党はこのほか、

 
 @ 毎年の予算提出前にグリーン・ペーパーを発表し、経済状況や政府目標の達成度、翌年の見通し等を報告する。
 A 大蔵省の経済見通し委員会を存続させ、その責任を強化する一方、政府は大蔵省と行政事務部特別委員会のアドバイスに耳を傾ける。

といった公約も盛り込んでいる。

 こうしてみると、'新’労働党の経済政策は、これまでのよい点はそのまま踏襲しながら、より民主的で透明性の高い行動指針を打出そうとするところに特色があるのだといえよう。

欧州政策
 
 EMUへの参加の是非をめぐる党内の確執から多くの支持者を失った保守党に対して、労働党がいかなる欧州政策を打出すかは、一連の経済政策パッケージとは性格を異にするとはいいながら、最も注目を集める問題のひとつであろう。 これまでの労働党首脳の発言を整理すると、労働党が保守党に比べて欧州統合に前向きであることは確かであるが、総選挙を前にして余分な政治的リスクを取りたくないという意識も手伝ってか、なお不透明な部分を多く残している。 例えば、労働党はEMUへの参加を国民投票にかけることを発表しているが、現在では、労働党政権の誕生、即国民投票の実施と結びつけて考えられることは選挙対策として賢明でないとの判断から、 党首脳は国民投票の早期実施には消極的であるといわれる。また、EU各国の経済的収斂は必要としながらも、それは経済成長や雇用水準の改善があってこそ意味のあるものであり、 マーストリヒト条約の収斂条件はあくまで柔軟に適用されるべきであると述べている。いずれにせよ、内外の流動的な経済情勢を睨んで、この問題に関しては可能なかぎり、裁量の余地を大きく残しておきたいというのが労働党の本音であろう。

 以上の労働党の経済政策を踏まえた上で、97年総選挙における労働党勝利のリスクシナリオを考えてみよう。まず、保守党の経済政策への批判であるが、 確かに労働党の打ち出す政策はこれまでの保守党の政策にはない具体性をもった目新しさが幾つか見受けられる。しかし、経済環境をみてみると、現在景気は順調に拡大しており、 この批判がはたして国民に対してどれほど訴える力を持っているものか疑問が残る。次に欧州政策であるが、現在の労働党の人気は、保守党内の分裂と、それを統合できないメジャー首相のリーダーシップの弱さによるところが大きい。 そしてそのような保守党内の分裂の背後にあるのは、通貨統合に対する英国世論の分裂そのものであり、岐路に立たされているのは英国そのものである。従って、労働党にとっても対応を誤れば同じ窮地に陥る可能性は十分考えられる。 選挙を控えて労働党がどのタイミングで欧州政策の議論を開始するのか、そしてそれが英国の通貨統合に対するコンセンサスを形成していくことにつながるのか。ブレア党首の率いる‘新’労働党の力量が問われるところである。

 
(11月18日 ロンドン駐在)