平成8年(1996年)9月24日 NO.18

軟調に推移するわが国の物価動向

(1) わが国の物価は、下落幅こそ縮小しつつあるが、総じてマイナス基調を持続している。 円高修正や緩やかな景気回復を背景に一部で下げ止まりの兆しも見え始めているが、今後も大幅な需給ギャップが続くとみられることや、輸入増による物価押し下げ効果、世界的なディスインフレ傾向などから、物価は上昇基調に転じることなく、 消費税率引き上げの一時的効果を除くとゼロ近傍の上昇率で安定的に推移するものと予想される。
(2) こうした物価情勢を勘案すれば、当面インフレよりも景気に配慮し、需要不足による物価下落圧力を和らげるような政策スタンスが望まれよう。

はじめに
 
総じてマイナス基調を持続する物価動向
 
物価が上向きに転じない背景
 
今後もゼロ近傍の推移が予想される物価上昇率
 
消費税率引き上げが物価上昇に与える影響は一時的かつ限定的
 
おわりに


はじめに
 
 わが国の物価は軟調に推移してきた。国内卸売物価が91年第4四半期から前年比マイナスの伸びを続け、 また、企業向けサービス価格指数が93年第4四半期から、GDPデフレーターも94年後半から、消費者物価も95年第4四半期に入り前年比マイナスを記録した。 こうしたなか、急激な円高などで景気停滞色が強まった昨年は、我が国経済が「物価下落→景気悪化→物価下落」という経済の悪循環、すなわち、デフレ・スパイラルに陥るのではないかとの懸念が大きくなった。 その後の政策対応や円高修正の効果を追い風に景気が緩やかに回復するなか、こうした懸念こそ薄れつつあるが、依然として物価が軟調に推移している状況に変化はなく、 併せて景気の先行きに不透明感が強い現状にあっては、引き続き物価の動向に注視していく姿勢が必要であることは言うまでもない。

 本稿では、まず物価の現状を整理しその先行きを展望する。加えて、97年4月に導入が予定されている消費税率の引き上げが物価に与える影響を検討した後、今後望まれる政策スタンスなどについても考えてみたい。

総じてマイナス基調を持続する物価動向
 
 わが国の物価は、下落幅こそ縮小しつつあるが、総じてみれば依然としてマイナス 基調で推移している(第1図)

 まず、国内卸売物価をみると、引き続き下落基調を持続している。91年第4四半期に前年比マイナスに転じた後、94年第1四半期にはマイナス幅が▲2.0%まで拡大した。 その後、下落幅は縮小に転じたものの、95年第1四半期に▲0.9%を記録した後目立った縮小をみず、直近の96年7−8月でも▲0.8%を示している。 この下落を素原材料、中間財、最終財といった段階別でみると、まず、92年から94年にかけて円高による安価な海外原材料の波及効果から中間財価格が大きく下落した。 その後、中間財価格の下落幅は小幅化してきたが、それが川下に波及する形で、最終財価格の下落幅が徐々に拡大し、95年に入ってからの国内卸売物価の下落は主に最終財価格の下落によるものとなった。 足元の動きをみると、中間財が96年第1四半期に再び下落幅を拡大させたがその後、商品市況などを反映して下落幅の小幅化がみられる。しかし、最終財段階では依然として顕著な下落幅縮小の動きは窺われない。

 次に企業向けサービス価格をみると、景気の谷にあたる93年第4四半期に前年比マイナスに転じてから95年第1四半期までは下落幅を拡大させ、その後95年第3四半期にかけてやや縮小したものの、それ以降は▲1%近傍のマイナス幅で推移している。 内訳をみると、リース・レンタル価格が91年第4四半期に下落に転じてから足元に至るまで、全体のマイナスに大きく寄与しているほか、不動産賃貸料も94年第3四半期以降下落基調で推移している。

 また、GDPデフレーターについては、89年から91年にかけて前年比2%程度の上昇率が続いたが、その後急速に低下し、94年第3四半期以降7四半期連続で前年比マイナスを記録した。 これは、構成項目である消費デフレーターと設備投資デフレーターの下落が大きく寄与した結果であり、足元96年第2四半期においては、円高是正の影響などから外需デフレーターが高い上昇率を示したため、 2年振りに前年水準を上回ったが、内需デフレーターは設備投資デフレーターの下落を中心に、依然としてマイナスにとどまっている(注)。

(注)GDPデフレーターは、国内卸売物価指数や消費者物価指数と異なり、算出の際のウエイトが各品目の取引額に応じて変動する。 このため、情報関連機器のように価格下落幅の大きい品目のウエイトが取引額の増加に応じて上昇すると、デフレーターの下落率が大きくなることには留意する必要がある。

 さらに、消費者物価をみると、商品(除く生鮮食品)価格が下落する一方で、サービス価格の上昇が続いているため、結果として総合ベースでは、足元96年7月は、生鮮食品の上昇もあって、96年第2四半期に続き前年比小幅プラスを記録している。 しかし、生鮮食品および公共料金を除くベースでみた消費者物価は、足元96年7月こそ緩やかな景気の回復もあって前年水準をわずかに上回ったものの、95年第2四半期以降96年第2四半期まで、5四半期連続でマイナスの推移を示している。

物価が上向きに転じない背景
 
 このように、我が国の物価が下落幅こそ縮小させつつあるものの、総じてマイナス基調を持続させている背景には、以下のことが考えられる。

 まず第1の背景は、マクロ的に大幅な需給ギャップが続いており、物価押し上げ圧力がかかりにくい状態にあることである。 マクロ的な需給ギャップを示すGDPギャップ率(潜在GDP(注)と現実のGDPの乖離率)は、拡大に歯止めはかかりつつあるものの、過去との比較でみると依然として高水準のままである。

(注)潜在GDPとは、資本設備や労働力などの生産要素をインフレを加速させない範囲で十分に活用した場合に実現するGDPのことであり、マクロ的な一国の総供給能力を意味する。

 第2の背景は、輸入増による物価押し下げ効果が働いていることである。90年代以降の製品輸入を中心とした輸入急増は、安価な輸入品の増加を通じて、また、国内の製品需給を緩める効果を通じて、物価抑制ないし押し下げ効果をもたらした。 この輸入急増の背景の一つが、輸入の内外価格差への感応度が90年代に入って構造的に高まったとみられることである。 第2図は83年以降の輸入浸透度と内外価格差との関係を散布図に示したものであるが、輸入浸透度は、83年(8.5%)から92年(11.1%)の9年間で2.6%ポイントしか上昇していないのに対し、 その後の92年から95年(15.0%)の僅か3年間で3.9%ポイントもの上昇を示している。 これに対して内外価格差の拡大ペースには、輸入浸透度のような加速的な動きはみられない。その結果、図に示した輸入浸透度と内外価格差の関係は、80年代は傾きが緩やかな直線上にあったが、90年代はより急傾斜になっている。 このことは、90年代は80年代に比べて輸入が内外価格差に対してより感応的になったことを示している。 また、内外価格差が短期的な為替相場の変動で大きく振れることを考慮し、為替相場の変動の影響を除去した内々価格差(第2図注参照)との関係でみても同様のことがいえる。

 もっとも、最近の動きをみると、円高是正の効果により内外価格差が縮小し、内々価格差も小幅ながら縮小しているにもかかわらず、輸入浸透度は上昇し続けている。 これは、内外価格差が若干縮小しても水準自体が依然として高いことや、様々な構造要因によって円高是正の輸入数量押し下げ効果の浸透が遅れているためとみられ、 輸入増が物価押し下げ効果をもたらすといった構図に大きな変化はないものと思われる。

 第3の背景は、世界的なディスインフレ傾向である。IMFの世界経済見通しによれば、先進国の平均消費者物価上昇率は94年が2.3%、95年が2.4%と安定した推移を描いており、 続く96年、97年もそれぞれ2.3%、2.5%と引き続き落ち着いた動きを持続する見通しとなっている。これは世界景気の減速による面もあるが、アジアを中心とした発展途上国の急速な工業化や冷戦終結による共産圏の市場経済化などが、 供給力拡大を通じて、財・サービスの世界的な需給を緩和させる要因として作用してきた結果とみられる。

 第4の背景は、国内のいわゆる価格破壊現象である。実際、価格破壊の動きを示す流通マージンの推移をみるために、簡便法として国内卸売物価上昇率(消費財)と消費者物価上昇率(商品)の格差をみると (第3図)、その格差は93年第4四半期に減少を始め、95年第1四半期以降はマイナスに転じており、流通マージン圧縮の動きが続いていることを示唆している。

 これらに加えて、技術革新や経営の効率化を通じた生産性向上も、一部の分野では物価下落の背景となっている。これは物価動向と生産動向の関係から読み取ることができる。 すなわち、生産と物価が同時に下落ないし低迷している場合は、需要不足による物価下落と解釈できる。しかし、生産が増加しながらも物価が下落している場合は、需要不足では説明できない。 これは需要は拡大しているのだが生産性向上などの供給要因から物価下落がもたらされていると解釈すべきであろう。この関係を実際に図にしてみると、消費財については需要不足による物価下落と読み取れるが、 資本財については、物価下落と生産拡大が同時進行している傾向が強くあらわれており、物価下落の背景が生産性向上である可能性が高いことを示唆している(第4図)。 ちなみに、この生産性向上は主に情報化関連資本財にみられる顕著な技術革新ペースを反映しているものとみられる。

今後もゼロ近傍の推移が予想される物価上昇率
 
 以上に示した背景のもと、今後についても物価の上昇圧力は限られたものにとどまる公算が高く、上昇率は引き続きゼロ近傍で推移するものと予想される(注)。

(注)ここでの議論は、後で述べる消費税率引き上げによる国内卸売物価や消費者物価の押し上げ効果を除いて行っている。

 まず、需給ギャップについていえば、四半期毎の振れを除けば拡大に歯止めがかかりつつあるとはいえ、その水準は過去との比較で依然として大きく、先行きについても浮揚力に欠ける景気展開が予想されることから、 今後も需給ギャップの捗々しい縮小は望めず、物価を押し上げる力は弱いままで推移する可能性が高い。 実際、中長期的な供給力を示す潜在GDP成長率を今後2.5〜3.0%と想定しても、当面の実質GDP成長率がこれを上回ることは難しく、その結果大幅なGDPギャップは今後も継続するとみられる。

 さらに、先に述べた構造的な物価抑制要因は、今後も根強く存在し続けるであろう。まず、構造変化による輸入増加がもたらす物価押し下げ効果は、今後も継続するものと思われる。 この構造変化の背景には、東アジア諸国の工業化の進展と、経済のグローバル化を反映したわが国の企業行動や消費者行動の変化があり、急激な円高による一過性の動きではないとみられるからである。 また、世界的なディスインフレ傾向に関しても引き続き継続する可能性が高い。省力化技術を始めとした技術革新の進展、先進国共通にみられる労働組合の組織力の低下、民営化や規制緩和、 各国のインフレ警戒的な政策スタンス、低賃金国からの輸入の増加などの潮流が、世界的なディスインフレ傾向を継続させ、結果として、わが国の物価安定にも寄与するであろう。 加えて、国内における価格破壊現象に関しても、これまでのように単に安ければ売れるというような状況は続かないであろうが、その背後にある生産構造の変化や流通構造の変化は更に進展していくとみられることから、 今後も価格破壊現象は継続するものと思われる。

 もちろん、円高是正による輸入物価上昇を通じた、物価押し上げ効果がある程度顕在化する可能性はある。実際、国内卸売物価の素材・中間財段階の一部の品目で物価上昇の兆しが見られる。 しかし、昨年来の円高是正局面(95年第2四半期以降)と前回の円安局面(88年第4四半期〜90年第2四半期)とを比較してみると、今回の円安の国内物価全体への波及は限定的なものにとどまる可能性が高い (第5図)。 まず、円安率自体は今回は前回の約2倍であるが、海外市場における需給緩和を背景に契約通貨建てでみた輸入物価が下落基調で推移しているため、円建て輸入物価の上昇率は今回も前回とほぼ同率となっている。 しかも、前回は円安が始まってから1四半期を経ると国内物価への波及が始まったのに対して、今回はそれがみられない。 これは、マクロ的な需給ギャップが依然として高水準であることや既述の構造的な物価抑制要因のため、輸入物価の上昇を国内物価に転嫁しづらい構図が続いていることを反映した結果とみられる。 したがって、今後についても円安の国内物価押し上げ効果は限られたものになると予想される。

消費税率引き上げが物価上昇に与える影響は一時的かつ限定的
 
 このように、物価上昇率はゼロ近傍で推移するとみられるが、97年4月に導入が予定されている消費税率の引き上げにより、国内卸売物価や消費者物価などは一時的に押し上げられる(注)。 ただし、それは一回限りのものであり、前年比上昇率で考えると、押し上げ効果は1年を経過すると剥落しよう。実際、89年4月の消費税導入の物価押し上げは、当時がバブル景気の拡大期にあたり需要が強く、 便乗値上げを招きやすい環境にあったため、一部にそうした動きがみられたものの、前年比でみた上昇幅の拡大は国内卸売物価、消費者物価とも概ね1年限りのものであったと評価できる(第6図)。

(注)経済企画庁の試算によれば、消費税要因によるCPIベースの拡大幅は+1.5%となる。

 今回についても、便乗値上げを招き持続的な物価上昇へと波及するか否かが問題となるが、その可能性は低いものと考えられる。 なぜなら、今回は89年当時のバブル景気の拡大期に比べて、需要の足腰は脆弱であり、先に述べた構造的物価抑制要因も引き続き残存するとみられるため、前回と同様の価格の引き上げは難しく、 むしろ十分な価格転嫁すらできないと予想されるからである。

おわりに
 
 以上みてきたように、わが国の物価は下落幅こそ縮小しつつあるが、依然としてマイナス基調を持続しており、先行きについても上昇基調に転じることなく、消費税率引き上げの一時的効果を除くとゼロ近傍の上昇率で推移するものと思われる。 こうした物価動向を考慮すれば、景気の足腰が脆弱で、かつ先行き不透明感が強い現状においては、景気回復の手応えがはっきりと確認できないうちは、インフレ・リスクよりも景気に配慮した金融政策運営が求められることとなろう。

 一方で、既述のように需要不足ではなく、技術革新や経営の効率化を通じた生産性向上などの供給要因を背景とした物価下落が、一部にはみられるようになってきている。 このような物価下落は経済に好影響を及ぼす「良い物価下落」であり、こうした動きを今後も進めるべく、規制緩和などによる競争促進策や、民間部門での構造改革を推進することが不可欠である。

 これらの対策を通じて我が国経済が巡航成長ペースに復する努力を続ける姿勢が、今求められているといえよう。

 
(9月12日 経済調査部 小林)