平成8年(1996年)9月5日 NO.16

最近におけるドイツのマネーサプライの動向について

(1) ドイツのマネーサプライ(M3)が昨年後半から高い伸びを示している。 これは主として、税制変更に伴う住宅ローンの駆け込み需要などの特殊要因から民間銀行貸出の増勢が強まったためであり、必ずしも急ピッチの景気回復を示唆するものではない。
(2) 現在のM3伸び率は、ドイツ連銀が金融政策上の中間目標として設定している目標圏を上回っているが、上のような特殊要因の剥落から本年末までには目標圏内に向けて低下するとみられる。 加えて最近のマルク高傾向などを勘案すれば、ドイツ連銀は金融緩和を当面継続する公算が高いといえよう。

はじめに
 
M3の定義と金融政策上の位置付け
 
M3前年比伸び率の要因分解
 
企業・個人向け貸出の動向
 
マネーサプライと景気との相関性
 
M3に対するドイツ連銀の考え方
 
今後のドイツ金融政策


はじめに
 
 最近のドイツの経済動向をみると、昨年第4四半期と今年第1四半期に2期連続でマイナス成長を記録するなどいわゆる「ミニリセッション」に陥った。 今年第2四半期になってようやく景気底打ち感は出てきたものの、本格的回復には程遠い状態にある。ところが、ドイツのマネーサプライの動向は、こうした実体経済の展開とは必ずしも整合的ではない。 すなわち、ドイツの代表的なマネーサプライ指標であるM3の伸び率の推移をみると、昨年後半以降、景気が失速し本格的回復に至っていないにもかかわらず、前年比マイナスから反転上昇して足元では同7%台 (7月時点で7.7%)まで回復している(第1図)。こうしたマネーサプライの拡大ぶりに着目して、「M3の急成長は景気が年後半に急回復する兆しであり、 さらなる金融緩和の可能性は低い」とする見方も一部で現れている。

本稿では、ドイツのマネーサプライ変動の背景にある要因を明らかにして、そうした見方の妥当性を検証するとともに、当面のマネーサプライの動向を見通しつつ、ドイツ連銀の金融政策運営について考察してみたい。

M3の定義と金融政策上の位置付け
 
 ドイツのマネーサプライ指標は、算入対象となる預金の範囲によって、M1、M2、M3に分けられる(第1表)。 このうち、中央銀行であるドイツ連邦銀行(以下、ドイツ連銀)が、「通貨価値の安定」すなわちインフレの抑制という政策目標のために中間目標として最重視しているのがM3である。

 具体的には、ドイツ連銀は毎年12月の定例理事会において、当年第4四半期から翌年第4四半期へのM3(季調値、平均残高)伸び率に目標圏を設定している(第2図)。 そして、実際の金融政策運営上は、毎月のM3の前年第4四半期からの伸び率を年率換算してこの目標圏と照らし合わせ、公定歩合やレポ金利といった政策金利の引き上げ、引き下げの判断材料としている。

 このようなM3の前年第4四半期比伸び率(年率)を中間目標とする金融政策は、88年より始められた。 同伸び率の過去の推移を88年まで遡ってプロットすると、91年までは各年の目標圏内ないしその近傍に収まっていたが、近年は乖離が目立つ(第3図)。 とくに昨年は目標圏をかなり下回り、今年に入ってからは逆に7月時点で8.6%と目標圏(4〜7%)を大幅に超過している。 先に見た前年比伸び率だけでなく、こうした前年第4四半期比伸び率(年率)が高い数値を示していることも、「今年のM3の伸びはかなり強い」という金融為替市場における認識につながっている。

M3前年比伸び率の要因分解
 
 それでは、こうした足元のM3の高い伸びは、どのような要因によって生じているのであろうか。 第2表のとおり、金融機関部門(ドイツ連銀と民間銀行の合計)の統合バランスシート上、M3は短期債務であり、長期債務である金融資本形成などと共に負債サイドを構成している。 一方、資産サイドを構成するのは、民間銀行やドイツ連銀の貸出と対外純資産である。 したがって、M3は金融機関部門の資産全体(金額的に負債全体と等しい)から負債サイドの金融資本形成、連銀預金、その他純負債を控除したものとなる。 そこで、M3の前年比伸び率(注)をこの恒等式の項目毎に寄与度分解すれば、M3の変動の背景をさらに詳しくフォローすることが可能となる。

(注)統計の制約上、資産・負債の各項目について季調済み月中平均残高が入手できないため、それぞれの前年第4四半期比は算出できない。そこで、本稿では前年比を主たる分析対象とした。

 第4図は、91年半ばまで遡ってM3の前年比伸び率を寄与度分解したものである。以下ではこれに基づいて、94年以降のM3伸び率のかつてない落ち込みとその後の急回復を中心に、その背景を探ってみたい。

 M3伸び率は94年1月をピークに低下傾向を辿ったが、そのピッチがとくに強まったのは同年12月以降であった。95年2月には統計上初のマイナスへと落ち込み、同年8月までそのまま水面下で推移するという低迷ぶりであった。 しかし、9月にプラスに戻った後、96年初にかけて伸び率は一気に上昇し、94年後半の水準まで回復して今日に至っている。

 こうした94年12月以降の激しい変動は、主として金融資本形成と、民間銀行貸出のうち企業・個人向け貸出の寄与度の変動を反映したものである。

 まず、金融資本形成は94年末頃から増加ピッチを強め、M3に対するマイナス寄与を拡大させている。 これは、政策金利の相次ぐ引き下げから短期金利が低下傾向を辿る一方、米国長期金利の上昇に伴い国内長期金利が上昇に転じた結果、長短金利差が拡大して長期の預金や銀行貯蓄証券などへの投資に適した金利環境になったためであった。

 その後、95年後半になると金融資本形成の増勢は鈍化し始め、M3へのマイナス寄与は緩やかな縮小傾向に転じた。 これは、同年前半より低下基調に転じていた長期金利が長期債投資の目処値(国債10年物利回りで6.5%程度といわれる)を割り込む水準まで低下し、長期運用の魅力が相対的に低下したことによるものとみられる。

 次に、企業・個人向け貸出の寄与度をみると、94年末から95年初にかけて急低下し、95年末以降拡大に転じている。第4図からもわかるように、 複数の項目別要因の中で企業・個人向け貸出がM3の動向を最も説明している。 一方、民間銀行貸出のうち公共機関向け貸出は、企業・個人向け貸出とは逆に94年末から95年半ばにかけて寄与度が拡大気味に推移している。 これは、旧東ドイツ地域復興のための財政支出が高止まりしているうえ、景気減速もあって税収が伸び悩み、政府部門の資金繰りが逼迫したためである。

 そこで次節では、M3のトレンドを規定している企業・個人向け貸出の変動の背景を詳しくみるために、ドイツ連銀が3ヵ月毎に発表している詳細な貸出統計を元に、同貸出の前年比伸び率を分析する。

 なお、94年1月から94年11月までのM3伸び率の比較的緩やかな低下は、民間銀行貸出や金融資産形成の動向とはさして関係なく、むしろ一旦増加した対外純資産が減少傾向に転じたことが主因であった。 すなわち、まず94年初には課税制度の見直しや預金準備率の引き下げが実施され、非金融機関部門の国外資金がドイツ国内に還流した(注1)(金融機関部門の対外純資産の増加要因)。 その後、94年半ば以降は、国外中心に設定されたMMF(マネー・マーケット・ファンド)の販売が開始されたことから、非金融機関部門の国内資金が国外へ流出した(注2)(金融機関部門の対外純資産の減少要因)。

(注1) 94年1月に源泉利子課税制度が変更され、外国の投資信託から得る配当所得への課税が強化された。このため、課税回避を目的にルクセンブルク等へ流出していた資金が一斉に国内に還流した。 また、94年3月に国内預金の最低準備率が引き下げられた結果、ユーロ預金の有利性が相対的低下し、ユーロ市場から国内へ資金が還流した。
(注2) M3対象外の短期金融商品であるMMFは、94年8月より販売が認可されたが、その8割近くがドイツ金融機関の国外現地法人や支店で設定されたものであった。 MMFは、95年1月から財産税(保有資産に課税する富裕税の一種)の税率が他の金融資産よりも優遇されることを主因に、M3対象資産の資金を大量に吸収した。

企業・個人向け貸出の動向
 
 以下では企業・個人向け貸出を幾つかの項目に要因分解して、最近の特徴を探ってみた。ドイツの企業・個人向け貸出には、連銀の統計上、 @住宅ローン、A連邦鉄道・連邦郵便(ポスト)・ドイツテレコム向け貸出(以下では便宜上「公共事業体向け貸出」と称する)が含まれている。 そこで、企業・個人向け貸出全体から@とAを除いたベースとなる部分を、以下では便宜上、B「民間事業資金貸出」と称することとする。 ちなみに、96年3月時点の全体の貸出残高に占める@、A、Bの比率はそれぞれ、41.1%、0.4%、58.5%となっている。 また、本統計では住宅ローンの中に個人に対する住居資金の貸付だけでなく、法人を主な対象とするアパート・ローンなど事業性の強い貸出も含まれている。 そこで、住宅ローンをさらに、前者に対応する@′住居を担保とする住宅ローン(以下、「住居担保・住宅ローン」)と、後者に対応する@″住居を担保としない住宅ローン(以下、「非住居担保・住宅ローン」)に二分した。

 第5図は、企業・個人向け貸出全体の前年比伸び率を、@(@′と@″からなる)、A、Bで要因分解したものである。 企業・個人向け貸出全体の伸び率が94年末〜95年半ばに落ち込み、95年末から足元にかけて回復した要因として、「非住居担保・住宅ローン」と「公共事業体向け貸出」の寄与が大きかったことがわかる。

 このうち、「非住居担保・住宅ローン」が94年末から急減したのは、旧西ドイツ地域を中心とする住宅ブームの終焉に伴うものと思われる。 また、95年末から急回復したのは、主として96年から賃貸用住宅の税優遇措置が一部廃止されることに伴い、アパートローンの駆け込み需要が発生したことによるとみられる。 一方、「公共事業体向け貸出」が94年末から急減したのは、連邦鉄道民営化に伴い、同法人の借入債務が公的基金である「連邦鉄道基金」に付け替えられたことにより企業向け貸出統計から落ちたためである (もっとも、これは公共機関向け貸出の増加につながったたため、民間銀行貸出全体としては項目の振り替えにすぎず中立要因であった)。すなわち、いずれも一時的、かつ、特殊な要因に基づくものであったといえよう。 こうしたなか、企業・個人向け貸出残高の中で最大シェアを占めている「民間事業資金貸出」は、95年初を底に寄与度が上向いてはいるものの、そのピッチは現状極めて緩やかなものにとどまっている。

マネーサプライと景気との相関性
 
 以上より、今年に入ってからのドイツのマネーサプライ(M3)の高い伸びは、主として、税制変更に伴う「非住居担保・住宅ローン」の増加など特殊要因による企業・個人向け貸出伸び率の回復を反映したものといえよう。

 ところで、「名目成長率はマネーサプライ伸び率によって決定される」というマネタリスト的な考え方があるように、確かにドイツにおいても両者をプロットすると、 ある程度連動していることが窺われる(第6図)

 しかしながら、名目成長率との連動性をみる目的に用いるのであれば、マネーサプライよりもむしろ、国内民間需要の強さを金融面から反映する企業・個人向け貸出 (マネーサプライの構成項目の1つ)の方がより高い相関性がある(第7図)。 この点を検証するために、マネーサプライ、貸出の前年比伸び率と名目成長率の相関係数を算出してみた。なお、マネーサプライ関連の統計値としては、M3だけでなく、企業・個人の資産選択の影響を受けない“M3+金融資本形成”も用いた。 また、貸出関連の統計値としては、企業・個人向け貸出に加えて、特殊要因を排除した前述の「民間事業資金貸出」も用いた。 計算の結果、名目成長率との相関度は「民間事業資金貸出」が最も高く、M3はむしろ他の統計に比べて相関度が劣後していた(第3表)

 以上の結果は、ドイツの景気動向をみるうえで、先にみたように特殊要因の影響を受けるM3は必ずしも最適な指標ではなく、むしろ企業・個人向け貸出、 なかんずく住宅ローンと「公共事業体向け貸出」を除いた「民間事業資金貸出」が重要であることを示唆している。

 こうしてみると、今年に入ってのマネーサプライの高い伸びは、年後半の急ピッチな景気回復を必ずしも意味するものではないといえよう。

M3に対するドイツ連銀の考え方
 
 無論、ドイツ連銀はM3を景気の先行指標として重んじているのではなく、あくまでも「通貨価値の安定」という政策目標達成のために注目している。

 ドイツ連銀は今年1月号の月報の中で、金融政策上の中間目標としてM3を重視する理由として、

@ 実証分析において、ドイツのM3とインフレ率には長期的にみると安定的な相関関係が認められる、
A M3伸び率に目標圏を設定する現行の方式は、単純で分かり易いうえ金融政策運営上の透明性も高い。 その結果、他の方式と比べて、市場参加者が当局の金融政策のスタンスをより良く理解することができる、

という2点を挙げている。

 確かにこうした主張に沿って考える限り、金融政策上の中間目標としてのM3の地位が損なわれることはない。とはいえ、 M3は短期的には様々な撹乱要因によって94年前半の上振れや95年前半の下振れにみられたようにトレンドから大きく乖離することがある(前出第2図)。 このため市場参加者は、毎月発表されるマネーサプライ統計を、時々の特殊要因に配慮しつつ解釈しなければならない。現に、94年2〜5月や96年4月の公定歩合引き下げのように、 当該月のM3の前年第4四半期比伸び率(年 率)が目標圏を超えているにもかかわらず利下げに踏み切ったケースは決して少なくない(前出第3図)。 つまり、M3伸び率と目標圏とを単純に比較するだけではドイツ連銀の金融政策運営を読み切れないわけである。 したがって、「M3伸び率に目標圏を設定する現行の方式は、…金融政策運営上の透明性も高く」「市場参加者が当局の金融政策のスタンスをより良く理解することができる」 という連銀のコメントに対しては、額面通り受け取るのではなく、幅を持って解釈する必要があろう。

今後のドイツ金融政策
 
 最後に、高目に推移しているM3伸び率(7月時点で前年第4四半期比年率8.6%)の今後を検討しつつ、ドイツ連銀の金融政策を展望してみよう。

 第8図は、ドイツ連銀が中間目標に用いている季調済み平均残高ベースで、M3の前年比伸び率をプロットしたものである。前年比でみると7月のM3伸び率は7.8%となる。 連銀の目標圏を達成するためには、今年10〜12月時点でこの前年比伸び率が7%以下に収まればよい。 前出第4図(ただし、原数値、月末残高ベース)からわかるように、足元におけるM3の前年比の動きをほぼ規定している企業・個人向け貸出の動向は、 ここにきて昨年末の住宅ローンの駆け込み需要という特殊要因の剥げ落ちが始まり、プラス寄与が明らかに頭打ちとなっている。 また、公共機関向け貸出の寄与度は横這いであるし、94年にみられた資産選択に影響を及ぼす税制等の変更は予定されておらず、対外純資産もM3伸び率の撹乱要因となっていない。 このような諸要因から、M3伸び率は現在、横這い圏内で推移している状況である。

 問題は今後の動向である。企業・個人向け貸出は、そのベースとなる「民間事業資金貸出」の回復ピッチが景気の停滞を反映して弱いこと、 公共機関向け貸出についても財政赤字をGDP比3%以内に抑えるという欧州通貨統合の参加基準を達成する必要があることから、 いずれも寄与度が拡大傾向に転じるとは考えにくい。このようにみると、M3の前年比伸び率は、今後上振れするよりも、むしろドイツ連銀の目標圏の上限7%に向かって低下する可能性の方が大きい。

 こうした事情に加えて、現在ドイツ経済を取り巻く環境をみると、金融緩和姿勢を継続させる要因が出揃っている感がある。例えば、最近の消費者物価上昇率は1%台半ばとドイツ連銀の目標値(2%)を下回っている。 また、7月半ばよりマルク高が進んでおり、輸出主導の景気回復というドイツ連銀の描いていたシナリオが崩れる懸念も生じている。 さらに、欧州通貨統合に向けて、自国だけでなくフランスなど周辺国にも「財政赤字をGDP比3%以内」といった参加条件を達成させる必要があり、 ここへきてドイツには欧州の基軸通貨国として金融面からの景気下支えが強く求められている。

 以上の諸点を考慮すれば、ドイツ連銀は当面金融緩和を継続する公算が高いといえよう。

 
(8月21日 経済調査部 矢口)