平成8年(1996年)8月22日 NO.14

米国の雇用動向

(1) 米国の雇用情勢は、失業率、新規雇用者数などでみるかぎり好調であるが、企業の雇用コスト削減の動きから雇用不安は依然根強く、雇用者個人個人にとっては強いストレスが賦課されている。
(2) しかし、こうした負の側面もある一方で、労働コストの抑制はインフレなき長期安定成長を可能にし、流動性の高い労働市場は、経済の活性化を通じて雇用の量的な拡大に資している。

はじめに
 
変質する失業の内容
 
賃金の伸び悩みと雇用
 
生産性主導の景気回復
 
インフレなき安定成長の実現
 
産業構造の転換・新規産業の開拓に適した雇用システム
 
おわりに


はじめに
 
 米国経済は、クリントン大統領が政権についた93年1月以来今年7月現在の段階で、一千万人以上もの新規雇用を生み出しており、マクロ的には先進国のなかで際立ったパフォーマンスを示しているが、 雇用者個人個人のレベルをみると、雇用不安はかつてないほどの規模で広がっているとみられる。特に、中高年ホワイトカラーの間では危機感が強く、新聞、雑誌等でも頻繁に特集されるなど、人々の関心も強い。 共和党の大統領候補予備選で候補者が企業のリストラ行動に批判を浴びせたのも記憶に新しく、雇用は米国国民の最大の関心事の一つとなっている。

 こうした、マクロ統計での好調とミクロレベルでの雇用不安が併存している経済とはどのような経済なのであろうか。本稿では、米国の雇用動向を巡る様々な事象を整理し、今後の米国経済をみる一助としたい。

変質する失業の内容
 
 米国の失業率は、94年9月に6%を切って以来、1年半以上の間5%台半ばにとどまるなど、顕著なインフレもみせないまま、歴史的にみてもかなり低い水準を続けている。 しかし、このようにマクロのパフォーマンスとしては一見好調な雇用統計も、詳細に見ると90年代の雇用不安の高まりを裏付けるようなものが少なくない。

 まず、その顕著な例として、失業の中身の変化を見てみよう。第1図は、年齢別にみた失業率の構成比の推移である。 これによると、90年代に入り、35歳から54歳までの働き盛りの世代の比率が拡大している様子がうかがわれる。 もちろん、米国の人口構成上一大勢力であるいわゆる「baby boomer」(1946年〜1964年生まれ)の高齢化に伴い、失業者に占める35〜54歳の層の割合も上昇するのは必然的な流れである。 しかしながら、90年以降の失業者に占めるこの世代の割合の上昇ペースは、全人口における当該世代の割合の上昇ペースを大きく上回っており、中高年への風当たりの厳しさを示唆している。

 また、職種別に失業者をみると、「作業労働者」「熟練工、技術者」など生産現場に近接した職種の割合が減少する一方、「管理職、専門職」や「営業スタッフ」といったホワイトカラーの割合は90年代にはいってからも確実に上昇している。 例えば、88年初頭に失業者の29.8%を占めていたホワイトカラーは、96年初頭には35.0%まで上昇している。 ホワイトカラー失業者の増大は、経済のサービス化を反映して80年代から一貫して続いている傾向といえるが、年齢別失業者の内容と合わせて考えると、90年代にはホワイトカラーの中高年が受難の時代を迎えたというのは間違いなさそうである。 これは、米国の企業が、この時期、情報化など大規模なリストラを通じ、間接部門を中心としてかなりの数の中間管理職の削減に踏み切ったことの結果であろうと考えられる。

 一般に米国の労働市場は、日本よりは流動性が高いと考えられるものの、大企業の中間管理職は内部昇進であることが多く、逆に中間管理職で職を離れた場合、前職と同程度の再就職は簡単ではない。 失職といった事態になると、ブルーカラーのような勤続逆順といったレイオフ基準もなく、当然それとセットになる再雇用制度もほとんどない。 こうしたことから、ホワイトカラーが一旦失職すると、ブルーカラーに比べて事態はより深刻である場合が多く、ホワイトカラーの失職の増大が雇用不安を高めている可能性が高い。

 実際、失業者の平均失業期間を見ると、90年代に入ってから、失業率の低下にもかかわらず、平均失業期間が高止まっている様子がうかがわれる(第2図)。 これは、主として27週以上の長期失業者の割合が増えているせいであるが、その背景には再就職難に苦しむ中高年ホワイトカラー層が相当程度いるものと考えられる。

 理由別失業者の割合をみても、雇用不安とその裏返しである労働市場における企業側優位の実態が浮かび上がってくる。 職に就いていたものが失業者になる場合、レイオフや解雇などの対象となった非自発的失業者(job loser)と、自ら職を離れた自発的失業者(job leaver)の2つのタイプに分かれるが、 元来米国の労働市場は流動性が高く再就職がしやすいため、好況になると、より待遇の良い新たな就業機会を求める自発的失業者が相対的に増加するのが従来一般的であった。 ところが、今回の景気拡大局面では、この自発的失業者の割合は依然として低水準にとどまっており、再就職の困難な状況を暗示している。

賃金の伸び悩みと雇用
 
 次に、賃金の伸びに目を転じてみよう。第3図は、消費者物価でデフレートした実質週当たり平均賃金の推移である。 これをみると、今回景気拡大局面では、景気の立ち上がり局面に特有な実質賃金の力強い伸びはみられず、94年前後に幾分前年を上回っているのが目立つ程度にすぎない。 また、同期間の労働分配率をみると、90年代のピークは過去と比較して見劣りのするレベルであり、企業側の雇用に対する厳しい姿勢を示しているといえよう。

 賃金の伸び悩みには、産業構造の変化も見逃せないファクターとなっている。米国の雇用者数の伸びをみると、近年サービス業の寄与率が上昇してきているのが目につく。 ただ、サービス業の賃金水準が、製造業などに比べて相対的に低いことを考えると、雇用の伸びは必ずしも賃金の伸びをもたらさない。

 第4図は、70年代、80年代、90年代の各景気回復局面においてもっとも雇用の伸びが高かった年(それぞれ1978年、1984年、1994年)の産業別雇用者数伸び率とその週当たり賃金とをみたものである。 これによると、製造業の賃金は相対的にますます高くなっている一方、雇用者数の伸びは低下している。 他方、サービス業は雇用者全体に占めるウェイトが上昇しているせいもあって、賃金水準は全体平均に近づいているものの、依然として全体を下回っている。 また、小売業については、いずれの時期も雇用の伸び率は全体より高いものの、賃金水準は相対的に低下している傾向がうかがわれる。

 このように、平均賃金水準の高い業種は伸び悩んでいる一方で、平均賃金水準が低い業種の雇用が伸びていることは、マクロの賃金統計の伸び悩みの一因であるとともに、雇用者のマインドが必ずしも好転しないことの理由の一つに挙げられよう。 また、こうしたことから所得格差拡大も目立ってきており、事実、米国での所得分配の不平等度を示すジニ係数は90年代に急激に上昇している。

生産性主導の景気回復
 
 このように、米国では、雇用者個人個人にとっては、厳しい雇用情勢が続いているといえるが、その一方で、こうした雇用情勢が、労働生産性の向上や賃金・物価の安定などを通して、 良好な経済パフォーマンス実現の一翼を担ってきたのも事実である。

 第5図は、過去4回の景気回復過程において、雇用者数、実質GDP、単位時間当たりGDPの推移をそれぞれ景気のボトムを100としてみたものである。 これによると、90〜91年リセッションにおいては、雇用の回復が特に鈍かったことがみてとれる。これがいわゆる「雇用なき回復(Jobless Recovery)」である。 この背景には、経済活動の回復に対しても、なるべく雇用は抑制したままで対応しようという企業側の姿勢が特に強かったことがあったのは前述の通りである。 しかし、さらに注目すべきなのは、今次局面が、他の3回と違って、ボトムアウト後2年近くにわたって実質GDPと生産性がほぼパラレルに推移したことである。 GDPの伸びと生産性の伸びが大きく乖離している場合、その差は労働投入量で補われていると考えられ、80年代までの景気回復局面では、生産性の伸びの低さを補って、労働投入量の増加で経済成長が達成されていたことがわかる。 それに対し、90年代には、景気が底を打ってから2年近くの間は経済成長をほぼ生産性の向上だけで達成しており、合理化を目指した企業の雇用抑制姿勢は厳しかったことが推測される。

インフレなき安定成長の実現
 
 さらに、こうした企業側の雇用への厳しい姿勢が賃金上昇圧力を抑制し、結果として物価の安定に寄与している面も忘れてはならない。

 従来では、失業率があるレベルを下回って低下し、労働力不足が顕在化すると、企業側は労働力確保のため賃金アップを、雇用者側は売り手市場であることの強みを背景に高賃金要求を、それぞれ行うため、賃金インフレが招来されるとされてきた。 これがいわゆるNAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)の考え方で、労働力不足が賃金インフレを招かない範囲の失業率の下限は経験則的に6%前後と見られている。 実際、70年代、80年代には失業率と物価の間には負の相関関係が認めうるし、NAIRUの目安である6%という水準にも妥当性がある。 しかし、今次景気拡大局面では、6%を下回ってからすでに1年半ほど経過しているが、今のところ顕著な賃金の上昇は抑えられている(第6図)。 こうしたことから、近年では、NAIRUは6%をかなり下回って低下したのではないかとみる向きが多くなっている。

 こうしたことの背景には、企業の労働コスト抑制姿勢が強く、労働市場が引き締まっても簡単には賃金上昇に応じなくなってきたという事情があるほか、雇用者側もまた、雇用を確保するため賃上げに対し自制的になっているということが考えられる。 例えば、民間非農業部門の労働者の組合加盟率は83年の16.8%から95年には10.4%まで低下しているし、70年代には年間数百件あったストライキ件数も近年では50件を切るまでの大幅な減少をみせている。 こうしたことは、雇用者の交渉力の低下を意味し、結果として賃金インフレの抑制要因となっているとみられる。

 このような雇用面からの物価安定へのサポートが、冷戦構造の崩壊に伴う世界経済の一体化による競争の激化、アジア諸国を中心とする発展途上国からの安価な輸入品の大量流入といった要因と相まって、 インフレなき安定成長の実現に資しているものと考えられる。

産業構造の転換・新規産業の開拓に適した雇用システム
 
 一方、近年の経済成長のパフォーマンスについてみても、国内の雇用不安という要素を抱えながらも、米国のパフォーマンスのよさは際立っている。 企業のレイオフが慣行となっている米国が、低失業率と新規雇用創出に成功する一方、終身雇用制度を中心とする日本が戦後最高の失業率を記録し、労使の社会協約のあるドイツでも約400万人の失業者を抱えている状況である。

 米国では、先任権制度など比較的秩序だったレイオフが行われていることに加え、企業年金を転職先に引き継ぐことが可能なシステムなど、制度面でのサポートは大きい。 また、競争原理が労働市場にも貫かれており、能力のある者にとっては再就職もしやすく、チャレンジ精神を評価する国民性に合致している。このように、制度・慣行面だけでなく、国民性も労働市場の流動性を支えていると考えられる。

 こうした雇用の流動性の高さが、米国をして他国に比べ、産業構造の転換や新規産業の開拓などに果敢に取り組みやすくさせているといえよう。 さらに、一旦立ち上がった新規産業は、それ自体新たな雇用の受け皿ともなり、まさに好循環を構成している。こうした新規産業の多くはサービス業に集中しており、近年のサービス業雇用の高い伸びを支えている。 サービス業全体での賃金水準は、まだまだ全体比見劣るレベルであるが、こうした新規参入のサービス産業には高賃金の専門的職種も少なくなく、今後ますますの発展が期待される分野である(第7図)

 また、人材の活用という面でも、米国の労働市場は優れており、多彩な人材を米国企業に引き付け、その才能を開花させている。 例えば、カリフォルニアのシリコンバレーには全米だけでなく、全世界からハイテク技術者が集まってきているが、これも米国の労働市場の流動性の高さと実力主義の原則がなければ、ありえない話であろう。 米国企業が情報・通信の分野で圧倒的な競争力を保っているのも、それに適した人材を集めることのできる労働市場を備えている点に負うところが大きい。

おわりに
 
 以上みてきたように、米国経済は90年代に入ってから、激しい競争に伴う雇用不安や実質賃金の伸び悩み、所得格差の拡大といった痛みを伴いながらも、 新規雇用の創出に成功し、5年を超える景気拡大を持続するなど、先進国のなかで飛びぬけたパフォーマンスを達成してきた。

 世界的な大競争の時代に入って、今後も企業の雇用コストに対する厳しい姿勢は続くものと考えられる。また、前述のような所得格差の拡大も、不安定材料として米国社会に影を落とし続けることは間違いない。 米国社会の成熟度を考えると、これらが社会基盤を揺るがせるような事態に発展することは考えにくいものの、いずれにせよ何らかの措置は必要となってこよう。

 しかしながら、流動性の高い労働市場が、新規産業・雇用の創出を可能にしているのも事実であり、今後とも、こうした雇用面での米国経済の強みが、生産性の上昇および国際競争力の向上に資することが期待される。

 
(8月20日 経済調査部 佐藤)