平成8年(1996年)7月11日 NO.11

新政権下のイタリア経済

(1) 高インフレ、財政赤字という構造問題を抱えていたイタリアでは、90年代に入り不安定な政局が続いたにもかかわらず、スカラ・モービレ廃止によって構造的なインフレ要因が是正され、 巨額な財政赤字も年金制度改革によって改善の方向に向かっている。こうしたなかERM離脱後下落を続けたイタリア・リラは95年から上昇に 転じており、本年5月に発足したプロディ新政権はERM復帰交渉を開始した。
(2) ERM復帰、EU通貨統合参加を目指すイタリアにとって、今後の課題は、財政再建に加え、リラ安に頼らない真の国際競争力を生産性向上を通じて向上させることである。

はじめに
 
経済の現状
 
政局動向と構造問題の推移
 
インフレ動向
 
財政問題
 
ERM復帰への動きと最近のリラ相場動向
 
今後の課題と展望


はじめに
 
 イタリア経済は名目GDPでみると、EU内で約15%のウェイトを占め、ドイツ、フランスに次ぎ第3位の規模である。現在、EU加盟諸国はドイツ・フランスを中心に経済・通貨統合に向け経済パフォーマンスの収斂に注力しているが、 イタリアの動きにも注目する必要がある。

 従来、イタリア経済がドイツ、フランスなどEUの中核諸国と異なる特徴として、自国通貨の下落を梃子に輸出主導の景気回復を遂げながらも、巨額の財政赤字や高インフレといった構造問題を抱え、安定性に欠ける点が挙げられてきた。 しかし、90年代に入り、これらの構造問題もその要因が改善の方向に歩み始めている。すなわち、インフレについてはスカラ・モービレ(賃金の物価スライド制)が廃止され、また財政面についてはまだ十分とは言えないものの、 年金制度改革に一応の目処が立ってきたのである。こうしたなか、本年5月に発足したプロディ新政権は、積み残しとなっている財政再建等の問題に本格的に取り組む姿勢を示すとともに、 イタリア・リラのERM(欧州為替相場メカニズム)復帰交渉を始めている。

経済の現状
 
 イタリア経済は第1図のように、92年第4四半期以降景気後退に転じ、93年には実質GDP成長率は▲1.2%へと落ち込んだものの、翌94年には2.2%とプラスに転じた。 これは、92年9月のERM離脱以降の大幅なリラ安を主因に輸出の増加傾向が続いたことに加え、低迷していた内需も機械設備投資が輸出の増加に後押しされて拡大するなど、94年第2四半期から回復に転じたためである。 ERMからの離脱を機に自国通貨の減価を梃子に輸出拡大を図り、他のEU諸国の低迷を横目に景気回復に成功したことは、英国と共通するパターンであり、欧州内でのイタリア経済のパフォーマンスを特徴づけた。

 続いて95年には輸出、およびそれに誘発された設備投資が牽引役となり、実質GDP成長率は3.0%と主要先進国の中で最も高い伸びとなった。

 同年の景気展開をまず内需についてみると、個人消費は実質賃金の落ち込みや増税の影響を受けて伸び悩む一方で、機械設備投資は11.5%の増加を示した。 これには、再投資に対する税制優遇措置(投資額の50%を控除対象)も寄与したとみられる。また、政局混乱から92年以降大幅に落ち込んでいた公共事業投資について、ディーニ内閣がこれまでの未実行分の再開を打ち出した(95年8月)ことから、 建設、公共事業に対する投資も4年振りにプラスに転じた。

 外需についてみると、輸入等が内需の拡大に伴い前年比9.6%増加したものの、輸出等はリラ安を背景に前年比11.6%と引き続き高い伸びを示したことから、95年の外需のGDP寄与度は0.7%となり、前年の0.4%を上回った。

 ただし、96年のイタリア経済については@再投資に対する税制優遇措置が95年末で終了したこと、A95年後半からリラ相場が上昇しており、輸出の伸びが鈍化していることなどから、成長の鈍化が予想される。

政局動向と構造問題の推移
 
 以上のように、イタリア経済は輸出主導の景気回復を遂げる一方で、長年の構造問題とされてきた高インフレと財政赤字に対しても、政権のめまぐるしい交代にもかかわらずメスが入れられ、次第に改善の方向に向かってきた。

 ここ数年のイタリアの政局動向をみると、戦後一貫して政権を担当してきたキリスト教民主党が92年の一連の政界汚職で国民の批判を受けて分裂・後退し、その後政界再編が進んだ。アマート内閣(92年6月〜93年4月)、 チャンピ内閣(93年4月〜94年1月)、ベルルスコーニ内閣(94年5月〜12月)など、いずれの政権も短命に終わり、こうした政局不安が、ERM離脱後の潜在的なリラ安要因にもなっていた。 しかし、以上のような不安定な政局の中でも、アマート内閣によるスカラ・モービレ(賃金の物価スライド制)の廃止、チャンピ内閣のもとでの選挙法改正(一部小選挙区制導入)など、政治・経済面で抜本的改革が進んだことは注目に値する。 また、ベルルスコーニ内閣は財政赤字の構造的要因である年金制度の改革に対して積極的に取り組み、95年1月に発足した次のディーニ内閣のもとで同改革が実現した。ちなみに同内閣は年金制度改革だけでなく、地方選挙制度改革、 補正予算の成立を実現させるなど予想以上の改革を進めた。そうした当初の予想を上回る改革が進んだこともあり、下落が続いたリラ相場は95年後半以降回復に転じた。

 しかし、ディーニ内閣も比較的短命に終わり、続いてプロディ政権が本年5月に正式に発足した。新政権は重要課題として@財政赤字削減、A失業対策、BEU通貨統合参加、を挙げ、リラのERMへの早期復帰の方針を表明した。 閣僚にチャンピ氏(国庫大臣)、ディーニ氏(外務大臣)といった首相経験者2人を要職に据えたことは、構造問題解決に向けたプロディ政権の本格的取り組み姿勢をうかがわせる。

 このように90年代に入り、歴代の政権が取り組んできたインフレと財政赤字問題について、これまでの推移をみてみたい。

インフレ動向
 
 イタリアでは、石油ショック以降インフレの元凶といわれてきたスカラ・モービレが91年末に適用停止となり、アマート内閣下の92年7月に完全に廃止された。スカラ・モービレに代わる新しい賃金決定方式が盛り込まれた新労働協約については、 93 年7月に合意に達した。この労働協約は、@全国ベースのガイドラインとして今後4年間、賃金引き上げ率は政労使間で定める予測インフレ率の範囲内に収める、A個別企業ベースの労使契約にあたっては、 労働生産性や収益向上分が賃上げの基準となる、などが規定され、スカラ・モービレに比べると180度方向転換した先進的内容となった。これにより、生計費上昇率を常に上回っていた賃金上昇率も92年以降急速に低下した。 第2図のように、スカラ・モービレ廃止後は賃金上昇率とインフレ率の連動がみられなくなり、インフレ構造が是正されたといってよい。ちなみに、 92年からの景気低迷もあって生計費上昇率(インフレ率)は91年の6.5%から年々低下、94年には3.9%と20年振りの低水準となった。

 以上のように、構造的なインフレ要因は是正されたものの、今度はERM離脱後のリラ安がインフレにはマイナスの影響を及ぼすようになった。ERM離脱以降、95年12月までのリラ相場は対ドイツ・マルクで約30%も減価したのである。 こうした大幅なリラ安による輸入インフレ圧力を主因に、95年以降卸売物価上昇率は趨勢を強め、95年の卸売物価上昇率は10.3%、と前年(3.8%)から大きく上昇し、生計費上昇率も5.4%と前年(3.9%)を上回ることとなった。

 しかし、この昨年来のインフレはリラ安という一過性の要因に基づくものであり、リラ相場が上昇すれば低下に向かう性質のものである。その意味でスカラ・モービレ時代のような構造的インフレとは明らかに異なる。現実に、 年金制度改革の合意を受けてリラ相場は95年半ば以降回復し、年末には対マルク1,105リラ台で推移した。こうしたリラ相場の回復を受けて、本年に入ると卸売物価上昇率、生計費上昇率ともに低下傾向にある。

財政問題
 
 スカラ・モービレに基づく構造的高インフレに一応の目処をつけたイタリアにとって、目下の課題は財政赤字削減である。イタリアの財政収支(一般政府、すなわち中央政府、地方政府、および社会保障基金の合計でみた収支)は、 95年には127兆リラの赤字(GDP比7.2%、約1,120億ドル相当)と絶対額では欧州最大であり、また政府債務残高も95年末で2,082兆リラ(同117.9%、約1兆8,840億ドル相当)に達するなど、 マーストリヒト条約で規定された通貨統合の移行基準(財政赤字額がGDPの3%以内、政府債務残高が同60%以内)から大きく乖離している。OECDによれば、95年のイタリアの財政赤字(GDP比7.2%)は、 そのうちの大部分である6.6%が構造的赤字(実際の財政収支から、税収や失業手当など、景気循環的要素を除いた部分)によって占められている。

 このような構造的財政赤字が生じた要因として、以下2点が指摘できる。第1に、歳出に占める社会保障費や人件費の比率が高いことである。寛容な社会保障制度を背景に、社会保障費は歳出全体(一般政府)の34.9%を占めている(95年)が、 その構造的要因である年金制度を改革することは長年の懸案であった。92年にアマート内閣、94年にベルルスコーニ内閣が年金制度改革に取り組んだものの、労組の反対もあり、十分な改革が進められなかった。 しかし、ディーニ内閣は95年8月、年金制度の抜本的な改革について労組との合意に達した(注1)。これにより、96年から10年間で計108兆リラの歳出削減が見込まれることとなった。

 第2に、巨額の政府債務残高を背景に利払い費が多額にのぼっていることが挙げられる。95年の利払い費は歳出全体(一般政府)の20.3%を占めている。

 以上のような要因に加え、税の捕捉強化も十分な成果が上がっていないとの指摘もあり、イタリアの財政状況は依然深刻であるが、年金制度改革に一応の目処がついたことは評価に値する。実際に一般政府財政赤字はこのところやや改善がみられる。 すなわち、90年に対GDP比で10.9%であったものが95年には7.2%となるなど、低下傾向を辿っていることに加えて、財政収支を利払い費の部分とそれを除いた本源的収支部分に分けてみると、近年の好景気による歳入増もあるが、 92年から本源的収支が黒字に転じているのである(第3図)。国家財政赤字(中央政府および政府関係機関)についても95年度予算、補正予算で計69兆リラの大幅な財政赤字削減が図られた結果、 130兆リラと、予算作成時の目標額(139兆リラ)を下回る結果となった。

 ディーニ内閣による96年度(1月〜12月)予算では、16兆7,000億リラの歳出削減と15兆8,000億リラの歳入増により、32兆5,000億リラの財政赤字削減を図り、 財政赤字額を109兆4,000億リラ(対GDP比5.8%)に抑制することになっている。主な歳出削減策は、@企業純資産課税の延長、A過去6年間(87〜93年)の申告所得が過小とみなされる自営業者の所得税の追徴を94年にまで延長、 B固定資産税や自動車税の引き上げ、などである。また、年金制度改革により4兆リラの歳出削減が見込まれた(注2)。

(注1)主な合意内容は、
 @ 現行52歳の退職年金受給最低年齢を、1998年から2年に1歳ずつ引き上げ、2006年に57歳とする。
 A 年金の算出方法を、報酬額をベースにしたものから、積み立て実績をベースにしたものに変更する。
 B 57歳以下で支給を受けたい場合については、年金積み立て期間を現行の35年から徐々に拡大し、2008年に40年とする。

(注2)ただし本年に入り、予想以上の景気鈍化による歳入不足、経営危機に陥ったナポリ銀行への支援、高金利の影響による利払い増が見込まれたことから、6月にプロディ内閣は96年度補正予算案を発表した。それによると、 財政赤字を109兆リラに抑制すべく、国鉄、道路への支出削減等により11兆リラの歳出削減と、税制合理化、銀行預金への一律27%の源泉税徴収等から5兆リラの歳入増を図り、合計16兆リラの財政赤字削減を計画している。

ERM復帰への動きと最近のリラ相場動向
 
 ERM離脱当初は早期復帰を目指していたイタリアであるが、財政赤字、インフレ面で復帰への環境が整っていなかったため、目処は立っていなかった。

 そうしたなか、ディーニ首相は95年6月にリラのERM早期復帰の方針を打ち出した。この背景には、年金制度改革による財政赤字削減にある程度見通しが立ったこと、およびこのような財政赤字削減問題に対するディーニ政権の取り組みが評価され、 リラ相場が回復したことが挙げられる。また、インフレ面ではすでにスカラ・モービレが廃止されて構造的インフレが是正されており、ERM復帰の布石は打たれていた。また、リラ安に起因する輸入インフレに対しては、 95年5月にイタリア中央銀行が公定歩合引き上げを実施して、インフレ抑制とリラ防衛を図る姿勢を示していた。

 そうしたなかで、ERM離脱後、下落を続けたリラ相場も95年後半から回復に転じ、本年4月の総選挙における中道左派の勝利を受けて、市場では財政赤字削減、民営化推進などディーニ政権の政策が踏襲される点が好感され、リラ高が進行した。 そしてプロディ内閣成立後の6月には一時999リラと94年8月以来の高値をつけるなど、リラはさらに上昇した。このようなリラ高は、構造問題へ真剣に取り組みERMへ復帰しようとする現政権の姿勢に対する市場の信頼の高まりともいえよう。

 こうしてイタリアのERM復帰が現実味を帯びてくるなかで、次にはリラ相場の適正水準が問題となってきた。この適正水準をめぐる評価についてはイタリア内外の産業界、および国内の産業界と銀行界の間等でも、 各々の利害をめぐって認識が異なっている(注)。ちなみに、これを購買力平価の観点からみると、リラはERM離脱以降、購買力平価を大きく下回って推移してきたが、本年に入り実勢相場との乖離幅は急速に縮小している。基準年を73年とすると、 消費者物価指数で算出した購買力平価は現時点では900〜1,000リラ近辺であり、過小評価とみられていたリラの実勢相場の水準はかなり修正されているといえよう(第4図)

(注)5月下旬以降のリラ相場(1,000〜1,010リラ台で推移)についての内外各界の見解は以下の通り。
 @ イタリア産業界(輸出競争力維持に関心)
 Fiat社会長「対マルク1,000リラレベルでは輸出競争力がなくなる」
 A 独仏などの産業界(自国産業に打撃を与えるリラ安の修正を期待)
 仏プジョー社会長「リラはまだ15%過小評価されており、現状ではERMに復帰するべきではない」
 B イタリア中銀(リラ安のインフレ圧力を懸念)
 中銀総裁「リラは現状、過大評価されていない」

今後の課題と展望
 
 先にみたように、90年代に入り、高インフレの構造要因であったスカラ・モービレの廃止、および財政赤字の構造要因であった年金制度の改革など、イタリアにとって長年の課題が実現したが、こうした経済改革は、 EU統合といういわば外圧なしには実現しなかったと考えられる。イタリアの目下の焦点はERM復帰であるが、その延長上にEUの通貨統合参加を視野に入れていることは確かであろう。ERM復帰には政局の安定が不可欠であったが、 プロディ新政権は久しぶりの安定政権になると期待されており、同政権に対する信認は最近のリラ相場の上昇に表れている。インフレ沈静化、財政赤字の改善がみられる現在、年内のERM復帰の可能性は小さくないとみられる。

 このように、イタリアがERMに復帰し、将来的にはいずれ欧州通貨統合に参加するケースを想定した場合、取り組むべき課題は、財政赤字問題だけにとどまらない。輸出依存度の高いイタリアにとって重要なことは、 リラ安に頼らない真の国際競争力を向上させることである。すなわちERM、ないし通貨統合に参加すると、これまでのような通貨下落を梃子にした輸出拡大は見込めなくなるため、 今後は労働生産性向上を通じた単位労働コストの低減を一層図ることによって、国際競争力を高めていく必要がある。

 イタリアの単位労働コストの伸び率を自国通貨ベースでみると、欧州主要諸国のなかでは最も高い(第5図)。これはイタリアの輸出競争力が本質的には向上していないことを意味する。 確かにドイツ・マルク換算でみたイタリアの単位労働コスト指数は、92年以降大幅に低下しているが(第6図)、これは、ERM離脱後のリラ安の効果が極めて大きかった。従って、現状のままだと、 リラが対マルクで上昇すればマルク換算でみた単位労働コストも上昇に転じて、輸出競争力が低下する公算が高い。先にみたように、イタリアでは93年の新労働協約によって、賃上げの基準の1つに労働生産性向上が挙げられているため、 最近は生産性を上回る賃上げに起因する単位労働コスト上昇には一応歯止めがかけられている。従って、第5図のような自国通貨ベースでの単位労働コスト上昇は、 賃上げ率が大きかったためというよりも労働生産性の低迷に起因するとみるのが妥当である。そこで労働生産性を高めるためには、民間投資を活発化し、労働者1人あたりの資本量を一層向上させる必要がある。

 以上のような課題は、イタリアがERMへの復帰、通貨統合への参加を果たすためにやむなく取り組むというのではなく、本来イタリア経済自体の健全化のために克服しなければならない問題である。 財政建て直しを中心とする残された構造問題の解決は、今後数年が正念場であると考えられ、プロディ政権の粘り強い取り組みが期待されよう。

 
(7月8日 経済調査部 篠原)