平成8年(1996年)7月14日 NO.10

ミャンマー経済の現状と課題

(1) 88年以降の経済改革が奏功し、ミャンマー経済は92年以降平均7%台の高成長を続けている。これは民間貿易の解禁による国内のモノ不足の解消や積極的な外資の導入が、国内の経済活動を活発化させたことによるものである。
(2) ただ、ミャンマー経済が今後も持続的な発展を遂げていくためには、チャット相場の過大評価の是正、インフレ体質の改善など、克服すべき課題も多い。こうした問題の解決のためにも、 現在中断されている国際援助の再開を実現させるための努力が必要とされている。

はじめに
 
ビルマ式社会主義の破綻
 
SLORCの成立と経済改革の着手
 
経済改革後の経済動向
 
ミャンマー経済の課題
 
課題克服のカギを握る国際援助の再開


はじめに

民主化運動の激化によるネ・ウィン体制の崩壊を機に88年に政権を掌握した国軍は、SLORC (国家法秩序回復評議会)を設立し、四半世紀あまり続いたビルマ式社会主義の放棄を宣言、経済改革に着手した。 特に、SLORC 議長にタン・シュウェ上級大将が就任した92年以降のミャンマー経済は、それまでの停滞を脱して成長テンポを加速させている。 本稿では、ミャンマーにおける経済改革の進展と現状を顧みたのち、同国経済が抱える課題について考えてみたい。

ビルマ式社会主義の破綻
 
 ミャンマーでは、62年以降88年までの26年余りにわたって、ネ・ウィンの指導の下でビルマ式社会主義と呼ばれる対外閉鎖的な経済運営が行われてきた。 同体制においては、外資が排斥されて金融部門や鉱工業部門を中心に国有化政策が採られたほか、海外との貿易も国家統制とされ、民間業者の取扱いは認められていなかった。 また、農業については、国営にこそならなかったものの、低い買い上げ価格での農産物供出が義務づけられるなどの統制が行われたことから、農民の生産意欲が減退し、主要輸出品であった米は生産・輸出ともに低迷を続けることとなった。 60年代以降、東の隣国タイが外資導入型の高成長を遂げ、80年代には北に接する中国も経済改革に着手するなど周辺諸国が大きく変化を遂げるなか、ミャンマーの統制的諸政策に変化はなく、同国経済は長期にわたって停滞を余儀なくされた。

 さらに、80年代後半になると、経済の長期低迷に加えて、米やチーク材など主要輸出品の国際市況の悪化を背景に輸出が大きく落ち込んだことから、大幅な外貨不足に直面することとなった。 85〜87年の外貨準備高は同年輸入額の2ヶ月分にも満たない水準にまで低下した(第1図)。 政府はこれを輸入の抑制により乗り切ろうとしたため、資本財と原材料の供給不足を招き、新規開発投資の遅れに起因する国内石油生産の減少によるエネルギー不足も相まって、国営企業の生産は一段と停滞することとなった。 さらに農業生産の落ち込みも加わった結果、実質GDP 成長率は86年から88年にかけて3年連続のマイナス成長を記録するに至った(第2図)

 このような状況を打開すべく政府は、87年に対外債務軽減を狙って、国連に対し自らLLDC(最貧国)認定を申請したほか、国内の経済改革に向けてようやく一歩を踏み出し、同年9月に米などの農産物取引を自由化して価格統制を緩和した。 しかし、流通の混乱により既に米価が高騰していたところへ、自由化措置がかえって買い占めや売り惜しみを生んだため、米価はむしろ一段と上昇することとなった。 こうした農産物価格の上昇は、輸入抑制に伴うモノ不足とも相俟って消費者物価の急騰につながり、87年の首都ヤンゴンの消費者物価上昇率は前年の水準を10%以上も上回る25%にまで達した(第3図)。 政府はインフレ抑制を狙って高額紙幣を廃貨にして流通通貨量を減少させる政策(注)を実施したが、この措置には補償が伴わなかったことから国民の間に強い不満を生む結果となった。

(注)闇市場や密輸で蓄えられたブラック・マネーの無効化を狙って、高額紙幣を無効とした措置。64、85年に実施された同様の措置の際には、小額紙幣との交換が認められたが、87年 の措置の際には、小額紙幣との交換も一切認められなかった。

SLORCの成立と経済改革の着手
 
 モノ不足と物価高に対する国民の不満は88年になって遂に国民的規模の民主化運動へと繋がった。 民主化運動の激化による混乱の中、同年9月、ソウ・マウン大将率いる国軍は、国家分裂の回避と治安回復を目的として政権を掌握し、SLORC (国家法秩序回復評議会)を設立した。 しかし、軍政の民主化運動に対する抑圧とNLD(国民民主連盟)書記長であったスーチー女史を自宅軟禁とした措置、さらに90年選挙でNLD が圧勝したにもかかわらず政権移譲を先送りしたことは国際的非難を生み、 世界銀行・IMF ・アジア開発銀行といった国際機関からの融資ならびに最大の援助国であった日本からの ODA 新規供与が停止されることとなった。外貨不足にあえいでいたミャンマーは一層の苦境に置かれることとなった。

 このような状況下、SLORC は経済の回復を促すべく、ビルマ的社会主義の放棄を宣言し、様々な経済開放政策を打ち出した。 88年には100%外資をも認める内容の外国投資法を制定、資源開発などの分野での投資を呼び込むことに成功した。 また、民間貿易も合法化され、輸入拡大によりモノ不足の緩和がもたらされた。89年以降は外資との合弁企業の設立や民間企業の創設も相次いだ。 ただ、これらの新政策は民間部門を活性化させはしたが、すぐには経済回復には結びつかなかった。

 経済開放政策の効果が顕在化して経済成長が加速したのは、タン・シュウェ上級大将がSLORC の議長に就任した92年以降のことである。 新政権は、戒厳令の解除や政治犯の釈放を行ったほか、憲法制定国民会議を創設するなど柔軟路線を打ち出して軍政に対する国際世論の緩和に努めた。 その後、少数民族反政府組織との和解も進展させ、さらに95年7月にはスーチー女史の軟禁を解除した。 こうした一連の政策は、外国投資家に歓迎され、対ミャンマー投資の機運を高めることに繋がった。 次節ではその後の経済状況の好転と、外国投資流入の様子についてみていきたい。

経済改革後の経済動向
 
(1)経済成長の回復
 SLORC 発足直後のミャンマー経済は、民主化運動の余波から実質成長率が▲11.3 %の大幅マイナスを記録した88年度の混乱状態からはさすがに脱したものの、 89、90年度の成長率が2〜3%台にとどまったあと、91年度には再びマイナス成長(▲0.6%)を記録するなど、引き続き冴えない展開が続いていた。

 しかし、タン・シュウェ上級大将が SLORC 議長に就任した92年度以降は、94年度にかけて平均7%台の比較的高い成長を続け、95年度にも7.7%の成長を記録したと見込まれている。 この間(92〜94年)の生産部門別の成長寄与率をみると、農業:41%、商業:21%、製造業:12%となっており、特に農業部門の寄与の大きさが目立っている。 これは、第4図にみられるように、ミャンマーの経済構造が農業を中心としたものとなっており、GDP 全体に占める製造業部門のウェイトが1割に満たない状況にあることを反映している。 農業国ミャンマーでは、農業の好不調が経済全体の成長率を大きく左右している(第2図)

 農業部門では自由化以後、農民の増産意欲が確実に高まっているものとみられる。潅漑により作付け面積が拡大しているほか、二期作化も進行しつつある。 また、貿易自由化により化学肥料や農薬の入手が可能となったことの効果も無視できない。 主要農産物である米は着実に増産傾向を辿っており、一時は20万トンを割るまでに落ち込んでいた輸出量も94年度には122万トンを記録、60年代半ばの水準を回復した。また、豆類など他の農産物の生産も増加しつつある。

 製造業部門は、精米などの食品加工業が中心であり製造業生産額の85%を占めることから、近年の製造業の成長は農業部門の拡大と密接な関係にあるとみてよいだろまた、貿易の自由化により原材料の入手が容易となったことも、 工場稼働率の上昇に寄与したものとみられる。製造業部門内における変化として特筆すべきは、国営企業・工場数が減少する一方で民営企業・工場数が増加していることであり、これは自由化により民間部門が活性化していることの現れとみられる。 ただ、民間企業のほとんどは未だ従業員数10人未満という小規模にとどまっており、また業種的にも食品加工業に集中している。

(2)貿易の拡大と外貨準備の増加
 88年に民間貿易が自由化されたのを機に貿易額は急拡大に転じた(第1図)。 とりわけ輸入の伸びが顕著で、91年以降は、輸入が輸出を上回る状態が続いており、貿易収支は赤字基調にある。95年も▲4.2億ドルと5年連続の赤字を記録している。

 輸出の中身を品目別にみると、農林水産物を中心とする一次産品が輸出の大宗を占めている。 輸出額の3割を占める農産物の中では、豆類・米・胡麻などが主要品目となっており、 揃って堅調に増加しつつある。 林産物ではチーク材・堅材が有力な外貨獲得品目である。 鉱産物では、ルビー等宝石類の輸出増加が目立つ。主な輸出相手国は、 近隣アジア諸国であり、タイ・インド・中国など国境を接する国々や、 シンガポール・香港への輸出が多く、以上5ヶ国・地域への輸出で全体の7割に達している。

 輸入については、輸送機器をはじめとする資本財や工業用原材料の輸入が6割以上を占めている。 また最近では、食料品など消費財の輸入もウェイトを高めつつある。 相手国別に輸入額をみると最大の輸入相手国は日本となっており、中国、タイ、 シンガポールがそれに続く。輸出と同様、アジア諸国が主要な輸入相手国となっている。  なお、かつて輸入の制約要因であった外貨準備高は、 最近の輸入拡大にもかかわらず輸入額の5ヶ月分程度の水準で安定推移している。 これは貿易収支の赤字拡大をサービス・移転収支の黒字拡大および外国からの投資流入によって賄っているためである。 第5図をみると、90年度以降、 貿易収支が悪化して赤字が拡大する一方で、旅行収支の黒字や、 在外ミャンマー人からの送金によるものとみられる民間サービス・移転収支黒字、 さらに外国投資勘定の黒字が拡大していることがわかる。 とりわけ、近年の観光業の発展は、旅行客がもたらす外貨の増加、 ならびにホテル・観光投資流入の拡大などを通じて、ミャンマーの外貨獲得に大きく寄与している。

(3)外国投資流入の増加
 88年の外国投資法制定後、対ミャンマー投資は着実に拡大しており、 95年末までの認可件数は165件、金額は30.8億ドルに達している。 投資対象国としてのミャンマーのメリットとしては、@低廉な労働力の存在、 Aイギリスの植民地であったことから英語が通じやすく、 法体系も比較的整備されていること、B天然資源や観光資源が豊富であること、 などが注目されているが、第6図の部門別投資累積額が示すとおり、 これまでのところ、特に三番目の点に着目した石油・ガス開発投資やホテル・ 観光投資が中心となっており、一番目の点を活かした製造業投資は決して多くない。

 石油・ガス開発投資は、政府が外貨獲得手段として鉱区開発権売却に注力したため、 英国・フランス・米国・日本などの先進国から多くの投資が入ったが、 探索に成功せず撤退した企業も多い。 外国投資法制定後、新規油田開発の成功は未だ報じられておらず、石油生産は低迷を続けている。

 エネルギー開発投資と並んで、ホテル建設など観光関連の投資も重要な位置づけを占める。 ホテル・観光投資は件数(34件)・金額(6.5億ドル)ともに全体のおよそ2割に達しており、 シンガポール・タイなどの華僑資本によるものが多いといわれている。 ミャンマーには、数多くの仏教遺跡が保存されており、 政府も外貨獲得を睨んで観光客誘致に力を入れている。

 一方、製造業投資は、件数では52件と全体の3割強を占め最大となっているが、 金額では1.8億ドルと5%程度を占めるにすぎない。業種別では縫製業、食品加工業、 木材加工業などが大宗を占めており、国別ではシンガポール・タイ・ マレーシアなどアジア諸国からのものが中心となっている。

ミャンマー経済の課題
 
 経済改革への着手以降、ミャンマー経済は確実に成長の基盤を整え始めている。 ビルマ式社会主義の破綻の原因ともなった輸出不振・外貨不足とその制約による原材料輸入の減少 ・工業生産の低迷・物資不足といった問題は緩やかにではあれ解消の方向に進みつつある。 しかしその一方で、インフレが依然高率で推移するなど未解決の課題も多い。 以下、ミャンマー経済が取り組むべき課題について指摘したい。

(1)チャット相場の過大評価
 ミャンマー経済が抱える最大の問題として、まずチャット相場の過大評価の問題があげられる。

 現在、政府の公定レートはSDR にペッグされており、1ドルに対しては6チャット程度となっている。 しかし、この水準は大幅なチャットの過大評価となっており、事実、 実勢レート(闇レート)ではチャットの価値は公定レートの20分の1以下にとどまっている (96年5月末現在、1ドル=135チャット程度)。 公定レートと実勢レートの間にこれほど大幅な乖離が生じた最大の理由は、 ミャンマーの高インフレ体質である。 前掲の第3図が示すとおり、 ミャンマーでは87年以降急激なインフレが続いており、 首都ヤンゴンの消費者物価上昇率は、87〜95年平均で25%に達している。 同期間のアメリカのインフレ率が4%程度であったことを考慮すれば、 物価上昇率格差の観点からだけみれば、チャットは米ドルに対して毎年20% 程度ずつ切り下がるのが自然であるとも考えられる。 にもかかわらず、公定レートは81年以降1SDR =8.51チャットに固定され続けてきたため、 長年のインフレ格差の蓄積が公定レートと実勢レートの大幅な乖離を生むこととなったのである。

 こうしたチャットの過大評価は、外国投資流入の大きな障害となっている。 まず、第1の障害は、海外企業にとってドル表示でみた投資コストが大きく押し上げられてしまうことである。外資は現地法人の運営にあたって、 事務所・工場の賃借料、従業員への給与、電力・通信の使用料などをチャットで支払うこととなるが、 そのためのチャット調達に割高な公定レートを使用しなければならないため、 外資が持ち込む外貨(ドル)の価値は実勢の20分の1以下に目減りしてしまう。 「低廉な生産要素価格」というミャンマー投資の大きな魅力のひとつが削がれてしまう格好となっている。

 また、外資が現地市場向けに販売活動を行うことで生じるチャット建ての収益を外貨 (ドル)に交換するのが困難である点も、大きな問題となっている。 公定レートが大幅なチャットの過大評価となっていることから、 ドルをチャットと交換するモチベーションが働かないためで、実際、 銀行からチャットでドルを購入することはかなり困難な状況となっているようだ。 こうした事情が、外資流入を、生産分与契約を利用できるエネルギー開発投資や、 観光客から直接外貨を得ることのできるホテル観光投資に集中させている大きな要因のひとつであることは間違いない。

 ただ、政府も為替を巡るこうした問題に対して無策というわけではない。 昨年12月、政府は、それまでの公定レートしか認めないという立場を変更し、FEC (Foreign Exchange Certificate、外貨兌換券)公認交換所を開設、 FEC を媒介として実勢レートでのドル・チャット交換を合法的に行える道を開いた。 FEC とは、もともと外国人観光客の便宜を図るために導入されたもので、 FEC 1単位を1ドルと等価なものとして中央銀行が発行するものである。 ミャンマーに入国する外国人は外貨をFEC に交換し、 国内での支払い手段として直接使用することによって、 外貨の目減りを回避することができるわけである。 また、FEC は外国人・ミャンマー人ともに所有可能で、 銀行に持ち込めばドル預金口座に入金することもできる (FEC をドルに交換することができる)。

 昨年12月までは、チャットからFEC への交換については認められていなかったが、 これをチャットとFEC の交換市場を設立することで合法化したわけである。 これにより、FEC を介在させることで、 チャット建投資収益をドルに交換することが形の上では可能となった。 ただ、FEC はそもそも旅行者向けの外貨兌換券であることから流通量が限られており、 商業ベースでの利用には問題も多いと言わざるをえない。

 このようにチャット相場の過大評価による弊害は多く、今後外資導入型の経済発展を遂げるには、 公定レートの切り下げによる為替レートの一元化は欠かせない。 だが、チャット切り下げの実施は、@輸入価格上昇によるインフレの加速懸念、 A原材料等の輸入に公定レートが適用されている国営企業の原材料等調達コストの急増による経営悪化、 などの問題を引き起こすことが見込まれ、 ミャンマー政府としても容易に実施するには至れない状況にある。

 いずれにせよ、公定レートの切り下げのためには、インフレの抑制や国営企業改革・ 財政改革の進展がその前提となることは間違いあるまい。 また、IMF などの国際機関による金融面での支援も不可欠であろう。

(2)インフレ抑制と国営企業・財政改革
 インフレ体質の改善も大きな課題のひとつである。 かつてインフレの主因は物資不足であったが、現在では流通通貨量の膨張が主因となっている。 87年には廃貨措置によって一旦マイナスを記録した通貨量増加額は、 以後増勢を強めつつあり(第7図)、 これが物価上昇へとつながっている。

 通貨膨張の主因は、国営企業赤字、ひいては財政赤字が、 紙幣増刷によって補填され貨幣化されていることにある。 実際、図をみると、通貨供給量の増加分と各年の財政赤字はともに歩調を合わせるように増勢を強めている。 従って、インフレ抑制のためには、国営企業経営の効率化・民営化による赤字削減、 および租税体系の整備と節度ある財政運営による財政赤字削減、 さらに中央銀行の独立性の強化が実施される必要がある。 国営企業の民営化問題に限っていえば、既に民営化委員会が設置されるなどの動きはあるものの、 国内民間資本が十分に育っていないことを考えれば、 国営企業と外資との合弁を進めるなどの方法がより現実的であるとみられる。 ただ、不採算国営企業の民営化といっても、 社会情勢の安定のためには引き続き多くの職員の雇用を確保する必要もあり、 急ピッチな推進は難しいものと思われる。

(3)金融市場の整備と貯蓄率の向上
 政府は、中央銀行法や金融機関法等の法整備を進めるなど金融市場整備にも取り組んできたが、 依然課題は多い。

 89年には12年ぶりに金利水準の改訂が行われ、それまで低く抑えられていた公定歩合および預貸金金利が大幅に引き上げられた。 また、その後も小幅な金利引き上げが実施されており、96年5月末現在、 公定歩合は15%、貸付金利上限は21%、定期預金金利下限は12%となっている。 しかし、消費者物価上昇率が25%(95年)を超える状況下では実質金利は依然マイナスであり、 国民の資金余剰は銀行預金ではなく実物資産の保有や消費に向かいがちで、 貯蓄率は11.1%(94年)と他のアジア諸国と比べかなり低い水準にとどまっている。 今後、貯蓄という国内資源を吸収して投資主体へと効率的に配分する金融制度を確立するためには、 実質金利のプラス化は不可欠であると言えよう。

 一方、証券市場の設立や外国銀行の参入に関しては、一定の成果が生まれつつある。 まず、証券市場については、96年 6月に「ミャンマー証券取引センター」が開業した。 同センターは、第一段階としてまず株式と債券の店頭市場としてスタートしたが、 将来は証券取引所に発展させる計画という。また、外国銀行の参入に関しては、 従来は駐在員事務所の開設のみ認められていたものが、95年12月に、 新たに外国銀行と民間銀行との合弁が認められることとなった。

(4)インフラの整備
 現在、外国投資の導入を図る途上国の多くは、程度の差はあれインフラの整備が課題となっているが、 ミャンマーについてもそれは同様である。橋梁や道路の整備のほか、港湾・空港、通信など整備すべきインフラは多い。 特に電力の不足は深刻となっており、ポテンシャルが高いと見込まれている水力発電の開発が期待される。 しかし88年以来、日本からのODA をはじめとする種々の国際援助が停止されていることもあり、 インフラの整備は遅れている。

課題克服のカギを握る国際援助の再開
 
 以上みてきたように、ミャンマー経済は、88年以降の経済改革の進展に伴い急ピッチな成長こそ示しているものの、 製造業部門の発展段階が低いなど、未だ自力のみで経済発展を実現しうる段階にまでは達していないといえる。 また、克服しなければならない課題を数多く抱えた状況にもある。 こうしたなかで、ミャンマー経済が今後も持続的な成長を着実に継続していくためには、やはり継続的な外資の流入による産業の勃興、 インフラ基盤の整備が是非とも必要とされている。

 そうした意味でも、現在中断されている国際援助の再開を実現することは、ミャンマー経済の今後を占う上で極めて重要な意味を持っていると言わざるをえない。 国際援助の再開は、チャット相場の過大評価の問題やインフラ不足の問題など、ミャンマー経済が抱える課題の解決に直接寄与するだけにとどまらず、 外国資本の投資マインドにも大きくプラスに働くものと期待されるからである。 国際援助の再開を実現させるための努力がいま必要とされている。

 
(7月1日 経済調査部 鮫島)