平成8年(1996年)4月11日 NO.1

米国の労働生産性と潜在成長率

−依然慎重なスタンスが予想される米国の金融政策運営−

(1) 米国の潜在成長率は90年代に高まったとの見方が一部にあるが、労働生産性の上昇率は若干高まったもののまだ不十分であり、試算結果は潜在成長率は2%台前半との一般の見方を裏付けることとなった。
(2) 米国の連邦準備当局は金融政策の運営上、現実の経済成長率と潜在成長率との乖離を重視しているとみられる。今後については金融緩和の継続が予想されるが、 需給ギャップは現状さほど大きくないとみられるため、そのスタンスは依然慎重なものとなろう。

はじめに
 
潜在成長率の試算
 
労働生産性のトレンドは改善されたか
 
労働生産性の停滞の背景
 
必要な労働生産性向上努力の継続
 
FEDの金融政策の行方


はじめに
 
 潜在成長率とは一般に「インフレを加速させない範囲内での最大の成長率」と定義されている。 景気循環の過程で、潜在成長率を上回る成長の実現は短期的には可能であるが、 いずれは物価上昇加速を引き起こすこととなり、中長期的に持続することはできない。 すなわち潜在成長率は景気循環をならした中期的に維持可能な成長率であり、 供給面からみた一国の経済の実力とみなすことができよう。

 本稿でとり上げる米国の潜在成長率についての判断は、連邦準備当局(FED) の金融政策運営を予測する上で非常に重要と考えられる。 直近の政策運営の例でいえば、94年2月よりFEDは金融引き締めに転じ、7度にわたる利上げを行ったが、 この背景となった経済成長の実績をみると、93年第4四半期の実質GDP成長率は前期比年率4.7%、 94年通年では3.5%に達した。FEDは潜在成長率を上回る成長がインフレ懸念をもたらすと判断し、 引き締めに転じた。このようにFEDは潜在成長率の把握に大きな関心を寄せており、 現実の経済成長率と潜在成長率との乖離(需給ギャップ)を金融政策変更の目安としていると考えられる。

 従来米国の潜在成長率は2%半ばとみられていたが、昨年12月の実質GDP推計方式の変更に伴い、直近期の実質GDP成長率が下方修正されたこともあって、現状では潜在成長率は2%台前半との見方が一般的である(注)。 FEDも概ねこの線に沿った政策運営を行っているものとみられる。 これに対し、近年の半導体・コンピュータなどでの米企業の世界シェアの回復に代表される「米国産業の再生」および90年代の景気拡大の持続を背景に、 「近年の急速な技術革新は労働生産性を飛躍的に上昇させており、それを考慮にいれれば、潜在成長率はもっと高い」という主張も多くなされるようになった。 たとえば、全米製造業協会(National Association of Manufacturers) は、米国経済はインフレを加速することなく3%以上の成長が可能であり、現状のFEDの金融政策は引き締めすぎであると主張している。 また大統領選挙を控えたクリントン大統領も、2月中旬の講演のなかで、潜在成長率が2.7%程度まで上昇している可能性を指摘し、FEDの金融緩和を促すような発言を行っている。

(注)米国では従来固定ウエイト方式(87年基準)によって実質GDPが推計されてきた。 この方式によればコンピュータなど価格の低下が著しい分野については価格指数が実態以上に低下を示し、 実質ベースの生産の伸びを過大評価することになる。基準年から離れるほどこの乖離は大きくなる。 このため、商務省は連鎖年次ウエイト方式(chain-type annual-weighted measures)による推計に変更した。 連鎖年次ウエイト方式とは、名目GDPを実質化する際に、前年の価格ウエイトを用いて計測した実質値と当該年の価格ウエイトを用いて計測した実質値を幾何平均することで求められるもので、基準時点を逐次移動させることで、 2時点間の変化をより忠実に反映させることになる。この改定により、93年以降の実質GDP成長率は大きく下方修正された。 この結果、従来2%半ばとみられていた潜在成長率も2%台前半へシフトしたとの見方が一般的である。なお、本稿で言及する成長率はすべて連鎖年次ウエイト方式による。

潜在成長率の試算
 
 こうした議論の背景にある米国の潜在成長率の変化を時系列的に試算してみることとする。 ここでは、経済成長率と失業率との逆相関関係に着目したオークン(Arther Okun) の法則を利用して推計した。オークンの法則とは、簡潔にいえば、 「潜在成長率を上回る成長は一定の関係で失業率を低下させる」というものである。 第1図で示されたように、 トレンド直線と縦軸との交点が潜在成長率を意味している。 80年から95年までについて同図から推計された潜在成長率は2.4%と、 一般的に考えられている潜在成長率の水準とほぼ一致している。 ところがこのトレンド直線を80年代(80-89年)と90年代(89-95年)に区切ってみると、 潜在成長率は80年代には2.6%程度だったものが、90年代には2.0%程度に下方シフトした可能性が窺われる。

 第1図で示した試算は年次データに基づく推計であるが、 四半期データを使用して標本数を増やしたうえで、景気循環や雇用のタイムラグを考慮に入れ、 人口動態の変化などの構造的要因をも考慮した試算がカンザスシティ連銀によってなされている。

 同試算でも、潜在成長率は80年代の2.5%から90年代には2.0%に低下した可能性が指摘されている。 その要因として同連銀は、90年代には労働生産性の伸び率はわずかに上昇したものの、 総労働時間の伸びが低下したことを挙げている。

労働生産性のトレンドは改善されたか
 
 経済成長率は、労働生産性(単位時間あたりの労働が生み出す生産量) と総労働時間の伸びによって規定されてくる。 従って、上記の試算のように潜在成長率が下方シフトしているとすれば、 その原因は、労働生産性または総労働時間の伸び率の低下に求められることになる。

 米国の実質GDP成長率は、80年代の年率2.9%から、90年代には2.0%に低下した。 こうした成長率の鈍化は、労働生産性が年率1.2%の伸びと80年代の1.1%から上昇を示した一方で、 総労働時間の伸びが80年代の2.0%から1.0%に低下したことによってもたらされた(第1表)。 さらに総労働時間の伸びの鈍化の内訳をみると、 生産年齢人口の伸びの鈍化(1.2%→1.0%)および労働力率の伸びの鈍化(0.5%→ 0.0%)により、労働人口の伸びは1.7%から1.0%へと鈍化しており、 また雇用の伸びも1.9%から1.0%へと低下を示している。 労働力率の伸びの鈍化については、 特に70-80年代を通じて上昇を続けてきた女性の労働力率のフラット化がめだっている。

 中長期的にみて、総労働時間は人口動態上から決まってくる労働力の供給に大きく左右されるものであり、 移民政策などを別とすれば、政策的にこれを変化させるのは困難であろう。 そのため、潜在成長率を上昇させるためには、労働生産性の向上を図ることが重要となってくる。

 そこで米国の労働生産性の中長期的な推移をみると、 60-70年には年率2.9%の上昇を示してきたものが、70年代前半以降には年率1.1%と大きく鈍化しており、 潜在成長率の鈍化をもたらしてきたことを示唆している。 この労働生産性の伸びの鈍化は、石油危機によるエネルギーの相対価格の上昇、 資本投資の鈍化、未熟練労働者の急増(1946-64年に生まれたベビーブーマーの労働市場への参入)、 経済のサービス化の急速な進展などによってひきおこされたものと考えられている。 米国にとって、この労働生産性の伸び悩みを改善させることが、潜在成長率を上方へシフトさせ、 国民の生活水準の向上と国際競争力の強化を図る上で重要な課題となってきた。

 ところが90年代に入り、@情報通信技術の急速な発展、A設備投資の活発化、 B企業の合理化努力の進展などにより、70年代以降低迷していた労働生産性の上昇トレンドが、 大きく改善されたとの見方が一部でなされるようになった(注)。

(注)昨年末のGDP統計の計算方法変更に伴い、米国労働省の労働生産性統計も2月に改定された。 労働生産性は実質生産額/総労働時間で計算され、分子の実質生産額の修正により、 生産性統計も90年代以前については上方修正された一方で、 90−94年の平均上昇率は1.8%から1.2%に下方修正された。 新計算方式は実質生産額の実態をより正確に反映しているとみることができ、 従来の統計はかなり過大評価されていたとみることができよう。

 今年2月に改定された指標でみると、労働生産性の年平均上昇率は、 90-94年の平均で1.1%と80年代後半の0.8%から若干高まっている(第2表)。 しかしながら、こうした労働生産性の上昇率の高まりがトレンドとして定着したか否かを判断するためには、 景気循環も考慮する必要がある。 一般に景気拡大期には、稼働率の上昇などを通じ、生産性上昇率は高まる傾向にあり、 米国経済が90年代には総じて景気拡大期にあったことを勘案すれば、 90年代に労働生産性の上昇トレンドが大きく変化したとみるには無理があろう。

 これを裏付けるため、今回の景気拡大期の景気の谷(91年第1四半期) を起点とした生産性の推移を過去の景気拡大期と比較してみた(第2図)。 製造業だけを取り出してみると、労働生産性の伸びは過去の平均と比較しても良好なパフォーマンスを示し ている。製造業のなかでも特に耐久財製造業では、生産性が高い伸びを示しており、 近年の電機、自動車などの米国産業の復活の様子が生産性の点からも読みとれる。 これに対し、非耐久財製造業では生産性上昇率は過去の平均を下回っている。

 一方、全産業(非農業ビジネスセクター)でみると、 今回の景気拡大期の生産性の伸びは過去の平均を大きく下回っている。 実際、今回の生産性上昇率は、60年代以降の最低である82年を景気の谷とする景気拡大期よりも低く、 全産業ベースで労働生産性の上昇トレンドが本格的に上方屈折し始めたとは考え難い。

 ちなみに、今回の生産性の上昇がこのように緩やかであったことの背景として、 過去と比較して今回の景気回復初期の生産拡大が非常に緩慢であったことが指摘できよう。 これは、国防支出の削減、企業・家計のバランスシート調整、 主要貿易相手国の景気停滞などが景気回復のペースを抑えていたことによるものと考えられる。 こうした生産の伸びの停滞が生産性の伸びの停滞を招いた可能性も否定できないものの、 景気拡大ペースが加速した92年以降についても労働生産性の伸びは総じて緩慢なものにとどまっている。

労働生産性の停滞の背景
 
 以上のような全産業ベースでの労働生産性の伸び悩みの背景を、 労働生産性の上昇率を資本装備率(資本要因)と全要素生産性(技術要因) に要因分解することによって探ってみることとする(第2表)。 ここでの資本要因とは、 機械化によって資本と労働との代替を進めることを通じた労働生産性の上昇分である。 また全要素生産性とは、労働生産性の上昇率から資本要因を除いた残差として求められたもので、 技術革新、労働者の質の向上、 組織運営の改善などさまざまな要因に起因する生産面での効率化を含んでいる。

 まず、製造業についてみると、資本装備率(実質ネット資本ストック/雇用者数) は着実に上昇を示している。 この内訳をみると、 資本ストックの伸びは80年代を通じた停滞傾向からようやく抜け出している程度にすぎない一方で、 雇用者数は80年代以降一貫して減少傾向にあることが、資本装備率の上昇要因となっている。 これは、製造業の生産性の上昇が、 企業の雇用調整を中心とした合理化進展によって達成されてきたことを示唆していよう。

 米国の製造業は80年代を通じて、競争力強化のための人員削減・経営の効率化などのリストラを行ってきた。 特に年金や医療保険の保険料など社会保障負担の高まりから正規の雇用を増やさずに、 人材派遣サービスを活用したり、サービスの外部化を積極的に図っている。 この結果、製造業雇用者数の非農業雇用者数全体に占めるウェイトは80年の22%から95年には16%へ低下した。 業種別にみると、繊維・アパレル(83年1905千人→94年1642千人)、 皮革製品・履物(205千人→114千人)などの低生産性業種の減少がめだっている。 これは安価な輸入品の台頭により、多くの米企業が同分野から撤退したことを反映したものとみられ、 GDPに占めるシェアも低下を示している。 さらに、電気機械(83年1704千人→94年1571千人うちコンピュータ・事務用機器474千人→351千人)、 産業機械(2052千人→1985千人)など米企業が国際的に競争力を維持し、 GDPに占めるシェアも高まりを示している業種でも雇用は減少している。 このように製造業の生産性の上昇は、各企業レベルでの雇用調整を中心とした効率化の推進、 および業種構成の変化(低生産性業種の淘汰および高生産性業種のウエイト拡大) によって達成されてきたといえる。 また、組織の簡素化やジャストインタイム方式の導入などによる経営効率の改善が進んだことで、 70年代に大きく鈍化した全要素生産性も、 80年代以降上昇傾向を取り戻し、90年代にも堅調な伸びを示している。

 しかしながら、サービス業を含めた全産業ベースでみると、 生産性の上昇は製造業ほど顕著にあらわれてはいない。 資本装備率は依然として停滞傾向に歯止めがかかっていない。 また、資本要因を除いた全要素生産性についても、90年代以降わずかながら伸び率は高まりつつあるものの、 過去と比較し依然として低水準にとどまっている。 その原因の一つは、製造業の生産性が高まっているとはいえ、 GDPに占めるシェアは2割弱にすぎず、しかもそのシェアが低下傾向にあることである。 第二には、年々ウエイトを増しつつある広義のサービス業の生産性が、 低い伸びしか示していないことが挙げられる(注)。 サービス業については、規制緩和により競争が激化している運輸・通信サービス業、 コンピュータ化の進む卸・小売業などで生産性が堅調な伸びを示している一方で、 狭義のサービス業などでは生産性の伸びは停滞している。 このように、業種間の生産性上昇率の格差が大きく、しかも近年それがさらに拡大傾向にある。

(注)ただし、サービス業の生産性にはサービスの質の向上が生産に十分に反映されないなどの統計上の問題が多く指摘されている。

 また製造業の生産性上昇をもたらした企業のリストラの推進は、 雇用調整の対象となった労働者がより生産性の低いサービス部門へシフトする傾向があることに加え、 非効率な部門を外部化することで、個別企業レベルでは生産性向上がもたらされても、 経済全体でみれば生産性向上にはつながっていない可能性がある。 このように、近年の米国での企業経営の効率化の動きは、 耐久財製造業を中心とした高生産性分野では着実に生産性上昇をもたらしているが、 一方で、産業間の生産性上昇率格差は拡大しており、全産業ベースでみると、 70年代以降の停滞傾向から完全に抜け出してはいないとみることができよう。

必要な労働生産性向上努力の継続
 
 70-80年代にはベビーブーマーおよび女性の労働市場への参入が急増したのに対し、 今後ベビーブーマーの熟年化に伴い、労働人口の伸びの鈍化は避けられず、 これが潜在成長率の抑制要因となってこよう(第3図)。 したがって、潜在成長率を高めていくためには、設備投資の増強による資本装備率の上昇、 教育・訓練の強化による労働者の質の向上、 研究開発投資の増強などを通じた労働生産性の向上努力を継続することが、 米国経済にとって不可欠の課題と考えられる。

 その意味では、90年代以降の設備投資の活発化は今後の労働生産性上昇およびそれを通じた潜在成長率の上昇の可能性を示唆するものとして期待できよう。 今回の景気拡大局面での実質経済成長に占める設備投資のウエイト (設備投資の増分/実質GDPの増分)をみると、 過去4回(第2図の注参照) の平均14%に対して、23%と高い寄与を示している。 そのなかでもとりわけ、情報通信技術の急速な発展およびそれに伴う資本財価格の低下を背景に、 特に92年以降に情報通信関連投資がめだった伸びを示している(第4図)

 こうした情報通信関連投資の多くはサービス業で行われているものとみられ、 情報通信、金融サービスなどの知識集約型サービス業では、 こうした投資が一定の期間を経た後、労働生産性を大きく高めていくことが見込まれる。 この結果、全産業レベルでの労働生産性向上につながり、潜在成長率を上昇させていくことが期待される。

FEDの金融政策の行方
 
 しかしながら、上述のような動きはまだ始まったばかりであり、現時点では第2図第2表で示してきたように、 労働生産性の上昇トレンドが大きく変化したとみるには無理があると考えられる。 したがって、前述の全米製造業協会やクリントン大統領の発言などのような、 潜在成長率が2%前半より大きく上昇しているとの見方には慎重にならざるをえない。 ちなみに、96年の大統領経済報告では、 95-2002年についての長期的な経済成長率を2.3%と予測しており、内訳をみると、 労働生産性の伸びを1.2%、労働力人口の伸びを1.1%と見込んでいる(第1表)。 また、グリーンスパンFED議長は、 近年の技術革新を背景とした潜在成長率の上昇の可能性については、 まだ十分な説明がされておらず、慎重であるべきとしており、 「連邦公開市場委員会(FOMC)による96年の成長見通しは2−2 1/4%(第4四半期の前年比) 程度と概ね潜在成長率に沿った成長が期待でき、物価も安定傾向が続く」(2月20日議会証言)との見方を示している。 第1図で示した試算に基づいて考えれば、現時点では、 こうしたFEDや大統領経済報告で示されている2%台前半という潜在成長率の水準の見方を支持せざるをえないと思われる。

 95年以降の米国では、94年以来の金融引き締めの累積的効果、在庫調整、 メキシコ向け輸出の減少などを主因に、経済成長ペースは減速し、潜在成長率を下回ってきた。 このため、FEDは昨年7月、12月、今年1月と3度にわたる利下げを行ってきた。 2%台前半の潜在成長率を前提とすれば、 現状の需給ギャップはそれほど大きくないものとみられる。 したがって、FEDは金融緩和を継続するとみられるものの、引き続き慎重なスタンスを続けよう。

 
(4月3日 経済調査部 山口)