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平成10年(1998年)9月30日 NO.14
東京三菱レビュー

正念場を迎えた
わが国経済政策の舵取り



・ 不況と不安と不信が渦巻くわが国経済
 
・ 追加対策の効果は限定的
 
・ 求められる経済政策の整合性
 


不況と不安と不信が渦巻くわが国経済
 
 不況、不安、不信----毎朝手に取る新聞の経済欄をめくるたびに、こうした寒々しい活字が否応なしに目に飛び込んでくる。これらの言葉は、わが国経済が置かれた現下の状況を端的に物語っている。
 まず、わが国経済が未曾有の"不況"に直面している様子は、最近の経済指標からハッキリとみてとれる。前回景気の山(97年1〜3月)から直近98年4〜6月までの5四半期間の実質GDP成長率は年率▲3.6%と、70年代以降の景気後退局面で唯一GDPが水準自体を切り下げた第1次石油危機後の不況期(同▲1.5%)をも上回る大幅な落ち込みをみせている。とりわけ、ここ3四半期間、実質GDPは連続して前期比マイナスを記録しており、これは55年の現行統計開始以来、初めての出来事である。
 最近期においても、わが国経済の著しい低迷ぶりを示す指標は、枚挙にいとまがない。家計部門では、このところ完全失業率が4%台の過去最悪の水準で推移しているほか、名目賃金も前年割れの状況にあるなど、雇用・所得環境の悪化傾向に歯止めが掛かる兆しは窺えない。こうしたなかで、個人消費や住宅投資は深刻な低迷をみており、所得税・住民税の特別減税という追い風も、すっかりかき消されてしまっている。企業部門をみても、売上や収益が大きく落ち込むなかで、設備投資の調整色が一段と強まっているし、逃げ水のような需要を追いかけるが如く、企業の減産姿勢も続いている。この結果、実質GDP成長率は、98年7〜9月もマイナス成長を余儀なくされる公算が大きくなっている。
 民間部門では、当面の景気展開ばかりか、今後をやや長い目で展望しても、わが国経済の先行きに"不安"を抱く向きが多いようだ。たとえば、日銀が98年3月に行った「生活意識に関するアンケート調査」によると、「1年前に比べて支出を減らしている」と答えた家計に対して、その理由を尋ねたところ(複数回答)、「将来の仕事や収入に対する不安(61%)」と回答した者が最も多かったほか、半分近くの家計が「税制や医療保険制度の改正に伴う負担増(49%)」、「年金や社会保険の給付が少なくなる不安(48%)」をあげている。また、経済企画庁が毎年1月頃に実施している「企業行動に関するアンケート調査報告書」によれば、企業が予想する今後3年間の経済成長率は、このところ年を追うごとに鈍化しており、直近98年1月時点では年率にして1.4%と、未曾有の低水準に陥っている。経済活動の主役である家計、企業のいずれもが、わが国経済の将来を案じている様子が、ありありと伝わってくる。
 こうしたなかで、わが国の経済政策に対する"不信感"が募ってきたことも、否定し難いところであろう。経済政策の運営が主要な論点となった7月の参院選では、自民党が大敗を喫し、当時の政権が退陣するに及んだ。海外に目を転じても、9月上旬の日米蔵相会談において「(日本の経済運営は)緊急性の認識が十分でない」(ルービン米財務長官)との手厳しい批判の声があがるなど、わが国政府の経済運営に対する不満が折に触れて寄せられてきた様子は、しばしば報じられている。

追加対策の効果は限定的
 
 もちろん、わが国の政策当局も、この間、何の手だても講じなかったわけではない。財政面では、新政権はそれまでの緊縮財政路線をハッキリと転換、4月に打ち出した過去最大規模の総合経済対策に続いて、8月には追加的な景気対策を施す方針を表明した。その具体的な中身は、依然詳らかでない面も多いが、所得税・住民税減税や法人課税減税の拡充、公共投資の積み増しなどが中心となる模様である。また、金融政策の面では、日銀は9月9日に市場金利の低め誘導を強化する方針を決定、一段の金融緩和に踏み切った。
 しかしながら、こうした追加的な景気対策や金融緩和によって、景気回復の糸口を手繰り寄せることができるかとなると心許ない。まず、未曾有の"不況"を打開するだけの十分な力を備えているとはいい難い。政府が表明した追加景気対策の規模は、これまでに伝えられている情報から推し量ると、いわゆる真水ベースでみれば10兆円程度というところであり、先の総合経済対策(同8兆円程度)と合わせても20兆円弱である。しかしながら、手元の試算によれば、わが国経済が抱える雇用・設備両面での需給ギャップは、足元で40兆円近くに達しており、今回の対策だけでは、依然これを埋め合わせるには遠く及ばない。金融緩和にしても、中小企業や非製造業を中心に、バランス・シートの調整圧力が依然重くのしかかっている実態を踏まえれば、金利負担の軽減によって増加するキャッシュ・フローの大半は債務の返済に充てられる可能性が高く、設備投資を刺激する効果は自ずと限られよう。
 しかも見逃せないのは、将来的な"不安"を払拭するに足る中身を伴っていないことである。たしかに、今回表明された追加景気対策は、総花的な公共投資と緊急避難的な特別減税を中心とした先の景気対策に比べて、法人課税の実効税率の引き下げ(現状46.36%→改正後40%程度)や所得税・住民税を合わせた最高税率の引き下げ(現状65%→改正後50%)など、より踏み込んだ減税策に言及している点、一歩前進ともいえる。しかしながら、今回対策後の財政構造改革の道筋は未だ明確に示されていない。今回の対策によって、この先、財政赤字が一段と膨張するのは避けられない情勢であるが、政府は財政構造改革法の一時凍結を表明する一方、歳出カットに向けた新たな青写真を呈示していないため、将来の公的負担増に対する懸念は拭えていない。また、所得税・住民税の減税方法にしても、税額の一定割合を減額する定率減税方式で実施される見込みで、懸案となっていた幅広い所得階層にわたる税率構造の抜本改革については、先送りされる公算が大きく、家計の財布の紐は依然固くしまったままである。
 もちろん、一連の対策によって、一時的にせよ、需要が嵩上げされることは間違いない。しかしながら、これをもってわが国経済に渦巻く"不況"や"不安"を払拭できるとみるのは早計で、むしろ、こうした対策の効果が一巡していく過程では、従来以上に閉塞感が強まる虞すらある。わが国の経済政策に対する"不信感"をなかなか一掃できないでいるのは、企業経営者や消費者が、こうした懸念を肌で実感しているからにほかならないように思われる。

求められる経済政策の整合性
 
 では、わが国経済にとって、いまどのような政策対応が求められるのか。この点、巷間では、多くの論者が様々な角度から議論を展開しているが、そのなかには短期的な景気対策を重視する向きもあれば、中長期的な構造改革に力点を置く向きもある。
 前者の主張は、デフレ・スパイラルの瀬戸際に立たされている眼前の危機を回避することが最優先の課題であり、それを解決するためには、財政政策や金融政策をフルに活用することが不可欠というものである。いわば"不況"対策を主眼に置いた経済政策を喫緊の課題と位置づけ、行財政改革などの構造改革については、景気回復を実現したあとに着手すべきとしている。
 一方、中長期的な施策を重視する後者の主張は、目先の景気展開に囚われることなく、先行きに対する"不安"を払拭するために大胆な構造改革を進めることが先決としている。それなしに短期的な経済対策を打ったとしても、需要を十分に喚起できないばかりか、むしろ、放漫財政を助長したり、産業構造の転換を徒に遅らせることなどを通じて、わが国経済の活力をかえって損ないかねないというわけだ。
 もっとも、一見、相克するかにみえるこれらの政策を、二者択一の問題として捉えるのは不適切であろう。"不況"からの脱出と"不安"の払拭とを同時に解決することが喫緊の課題となっている以上、むしろ、双方の立場それぞれの持ち味を十分吟味したうえで、両者を整合的に結びつけた政策運営を実践していくことが肝要であるように思われる。
 まず、わが国経済が未曾有の"不況"に直面しているという認識に立ち返れば、財政・金融政策を大胆、かつ機動的に発動していく必要がある。デフレの悪循環を未然に防ぐことは、中長期的な視野に立った構造改革をスムーズに進めるうえでも不可欠である。
 もちろん、このことは、野放図な財政・金融政策を肯定するものではない。それによって将来に対する"不安"を惹起してしまっては、肝心の景気回復すら覚束ないためである。そうした観点からすれば、拡張的な財政・金融政策を施すにしても、従来以上にその中身や運営の仕方に十分な工夫が必要である。
 とりわけ改善の余地が大きいのは、財政政策である。そのあり方を考えるにあたっては、「小さな政府」の実現という、民間部門の活力を高めるうえで不可欠な目標との整合性をいかに保つか、という視点が重要なポイントとなる。そうした理念に合致するものとして、まず求められるのは、税体系そのものの抜本的な見直しによる制度減税であろう。加えて、豊かな生活空間の構築に資する住宅減税など、経済・社会環境の潮流変化を見据えた政策減税を有効に活用することで、民間部門に一層のインセンティブを与えることも一案である。経済・社会全般にわたるビジョンなき減税策では、対症療法的との謗りは免れず、その分、国内民需の刺激効果も減殺される可能性が大きい。
 一方、公共投資については、費用対効果の観点からその対象を厳しく洗い直したうえで、優先順位をつけて戦略的に実施していくべきである。一般に、公共投資に期待される役割には、短期的な需要創出効果や地域間の所得再分配効果のみならず、公共投資の蓄積の結果築かれる社会資本ストックにより、民間部門の生産性向上をサポートする効果がある。そうした効果は、とりわけ情報通信や環境関連、物流などの分野で期待できよう。公共投資を単なる"不況"対策としてではなく、先行きに対する期待に働きかけるような"不安"払拭の一手段として捉えることが重要である。
 さらに、こうした財政政策の景気刺激効果をフルに引き出すためには、財政構造改革の道筋をしっかりと明示することで、将来に対する"不安"を拭い去る必要がある。財政政策を実施するにあたって必要な財源は、無駄な歳出の削減によって捻出するのが筋であろう。もちろん、現下の経済状況で短兵急に歳出カットを進めれば、その分、デフレ圧力が一段と強まることは想像に難くない。ただ、こうした点に配慮して、当面の財源を国債の発行に求めるにしても、行革や民営化、政府保有資産の整理・処分などを通じた政府部門のスリム化を担保とし、その実施スケジュールを明示することが、"不安"払拭のうえで欠かせない。
 財政政策以外にも、民間部門の活躍の場を広げるためには、競争制限的な規制の撤廃・緩和を推進することはもとより、長期勤続者に有利な税・社会保障制度など、労働移動の円滑化を阻害している雇用関連の諸制度を幅広く見直していくことが急務である。こうした政策を同時並行的に進めていくことは、当面のデフレの危機を回避したあとに、安定的な経済成長を確保するための土壌を育むということにほかならない。
 わが国経済がいま、かつて経験したことのない危機的状況に直面していることは間違いない。とすれば、従来の延長線上の政策運営を続けても、現下の苦境を打破することは難しい。経済政策のあり方をいま一度考え直し、"不況"脱却のための短期的政策と、"不安"払拭のための中長期的政策のポリシー・ミックスを着実に実行してはじめて、内外からの"不信"を確固たる信頼感に変えていくことができるのではなかろうか。
(9月30日 今井)