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平成10年(1998年)8月11日 NO.11
東京三菱レビュー

通貨危機の影響下のマレーシア経済とその課題


 マレーシア経済は、98年第1四半期の実質GDP成長率が前期比▲1.8%となり、 80年代半ば以来のマイナス成長に陥った。昨年7月のアジア通貨危機発生当初は、 為替相場制度や対外債務残高等、いくつかの点で他国と比べて、問題が少かったこともあり、 IMFの支援を要請するまでには至らなかった。しかし、東アジア地域全体の危機の後遺症が長引く中、 98年に入ってその悪影響が急速に顕在化してきている。政策的な対応の面でも、 当面の課題として国内的な景気問題を優先させるのか対外的な信認の維持を優先させるかで、 政府内部でも大きな議論となった。本稿では、景気後退の姿を特に金融セクターの問題に焦点を当てて分析し、 政策的な対応の変化を踏まえつつ今後のマレーシア経済の課題を論じたい。


・ 徐々に顕在化するアジア危機の影響
 
・ 不安定化する金融システム
 
・ ファンダメンタルズの悪化に揺れるマクロ経済政策
 
・ 今後の課題
 
・ マレーシアの株価・為替相場・金利推移(第3図)


1. 徐々に顕在化するアジア危機の影響
 
(1)通貨危機の直撃は回避したマレーシア
 アジア危機が起きた当初、マレーシア経済への影響は比較的小さなものに 留まるだろうとの見方が強かった。 その理由は、@外貨での資本取引の規制がある程度存在したため外貨建て対外債務が比較的少なかったこと、 A自主的にIMFのアドバイスに則した景気過熱抑制政策を96年初から採用してきたこと、 B為替相場の下落はある程度容認する政策スタンスがあり危機発生時の極端な金利上昇が回避されたこと、 C高い自己資本比率等伝統的に金融セクターが健全であったこと、 Dインドネシアと異なり、政策論議等はオープンに行われ、政治の透明性は比較的良好であったため、 政治体制への市場の不信がそれほど強くなかったこと、等が挙げられる。

(2)危機の影響が顕在化する最近の経済動向
 しかし、長引く東アジア地域全体の経済の混乱に、マレーシアでも98年に入ってから、 資産価格の低迷や金利の上昇に消費者や企業の景況感が冷え込むなど、 危機の悪影響が急速に顕在化しつつある。
 マイナス成長に陥った98年第1四半期の実質GDPを業種別に見ると、 最も落込みが大きかったのが建設業である。景況感が全体に悪化する中、 97年末に発表された政府の大型プロジェクト凍結の影響が重なり、 前年比▲10%という大幅な落ち込みとなった。 また、内需の冷え込みや輸出不振を背景に製造業部門の落込みも大きく、 前期までは前年比2桁台の伸び率を維持してきたものが▲2.4%となった。 第2四半期のGDPも、新車登録台数、製造業生産、 建設資材生産等の経済指標が軒並み前年比2桁台の落込みで推移していることから、 第1四半期以上の落込みとなることが予想される。
 景気の後退は、マネーサプライや金融機関の貸出残高にも顕著に現れている。 97年を通じて前年比ほぼ20%を維持していたM2の伸び率は、98年に入って急激に減速し始め、 6月には8.2%にまで低下している。また銀行貸出も、昨年末からの引締め政策がやや行き過ぎ、 6月には今年の目標値15%を大幅に下回る9.9%にまで減速した。 一方、物価は通貨安による輸入物価上昇の影響が97年末から現れ始め、 6月には前年比6.2%まで上昇している(第1表)

2.不安定化する金融システム
 
 以上見てきた実体経済の悪化は昨年末から急激に進行したものだが、 その背景には、90年代半ばの銀行借入により加速された建設や株式への過剰投資が、 周辺国の通貨危機の影響による経済の低迷で急速に不稼動化し、 金融システムが不安定化していることが挙げられる。

(1) 90年代半ばの建設、証券投資向け信用の拡大
 マレーシア経済は、96年初から引締め政策に転じたが、 民間部門の需要の過熱は直ぐには収まらず、 金融機関の貸出残高がその後も強く伸び続けたことにもその様子が現れている。 従来、マレーシアの金融機関は自己資本は高く、その点では金融機関は健全性を維持していたが、 近年の資産内容の建設・不動産への急激な傾斜においては、タイと同様であった。 さらにマレーシアで特徴的なのは、同じ時期に、 株式等の証券投資を目的とした個人への貸出が急増していることである。 97年末の残高で、住宅ローンとほぼ同じ水準まで証券投資ローン残高が膨らんでいる。 同国の株式市場は従来から国民経済の規模に比べて大きいが、特に93年からは、 時価総額でGDP比300%程度にまで膨れ上がっており、またその投資形態も、 銀行借入に依存した投資という健全性を欠いた性格を強くしていた。 こうして、通貨危機が起きた時には、企業部門は建設・不動産を中心に、 また家計部門も株式投資を中心に相当レバレッジが高まっていたのである (第1図)

(2)通貨危機で加速した資産価格の下落と不良債権の増加
 危機発生後の金利上昇により、資産価格の下落が加速し、 金融機関の貸出の不良債権化が進んだ。 特に、建設・不動産向けと株式投資向け貸出の不良債権化は顕著であり、 建設・不動産向けローンは昨年末から不良債権比率が徐々に上昇し始め、 98年3月には11.2%まで上昇、証券投資向けローンの不良債権比率も97年末には8%に、 さらに98年3月には16.6%にまで上昇している。 貸出全体での不良債権比率は98年4月時点で16%超と報告されているが、 今後の為替・金利環境から推察すれば、資産価格が早期に回復する見込みは少なく、 不良債権比率は98年末には25%に達するとの悲観的な見方もある(第2図)
 このように膨れ上がる不良債権が金融機関の経営を圧迫して貸し渋りを招き、 景気回復の牽引役となるべき輸出産業への運転資金供給にも障害となっているのである。

3.ファンダメンタルズの悪化に揺れるマクロ経済政策
 
 通貨危機後の困難を、これまでマレーシアはIMFの支援を受けず独力で凌いできたが、 政策の舵取りを巡っては、政府内で何度も大きく議論が揺れた。 その論点を整理すると、市場の安定化と経済の回復を、 透明性を高めることで図るのかあるいは取引規制等の直接的手段で図るのかという点と、 徹底的な緊縮財政と金融引締め政策によって進めるのかあるいは景気をある程度維持しながら 進めるのかという点である。
 IMFの支援を受けたタイ、インドネシア、韓国では、透明性の向上と緊縮・引締め政策を強力に進めた。 そのため景気の悪化や一時的な社会混乱は避けられず、3国とも政権の交代にまで至った。 特に長期政権の弊害と民族問題が併発したインドネシアでは、多くの犠牲者を伴う暴動にまで発展した。 これら近隣国の事例を見ながらマレーシアが最終的に選択したのは、透明性の向上に努め、 かつ景気も重視した財政・金融政策を取るという別の道である。(注)

(注)但し、タイが2月から、韓国が7月から、為替相場の安定と経常収支の改善を見ながら、 IMFとの協議により国内景気をある程度重視した緩和方向へ政策を修正している。

(1)アンワル副首相・中銀の緊縮政策
 97年末までのマレーシアがとった政策は、 対外的な信認を重視するアンワル副首相や中銀の主導による緊縮路線であった。 危機直後は、マハティール首相は、先進国の投機筋への感情的反発もあり、 実需以外の為替取引の制限や、株式の空売り禁止等の投機筋への直接的な対抗手段に出た。 しかし結果は、市場の反発を強めて為替や株価は一段と下落したため、 株の空売り規制は数日で撤廃され、 また野党はマハティール首相の市場の反発を招く発言を自粛するように要請するまでに至った。
 その後、通貨危機が、地域的拡大と長期化の様相を呈する中でリンギット相場の下落が止らず、 これ以上の為替下落を容認することが難しくなり、経済政策は、 アンワル副首相の指導によるIMF寄りの緊縮路線に傾いていった。 9月には緊縮的な98年度予算が発表され、その後も為替の下落が止まらなかったため、 12月にはその追加措置として、@98年連邦歳出18%カット、 A外貨準備高の維持目標の輸入額3ヶ月から4ヶ月への引上げ、 B大型公共事業の凍結等の緊急経済対策が決まった。

(2)98年以降の経済の急激な悪化と景気重視への傾斜
 しかし、緊縮政策への転換による景気への悪影響は当局の予想をはるかに上回るものであり、 このためマレーシアの経済政策は再びマハティール首相が主導する 国内景気重視の方向へと修正されることになる。 中銀は、98年7月には、法定準備金を10%から8%に引き下げ、 また翌8月には3ヶ月物の市場介入金利を0.5%引下げ10.5%とするなど金融緩和に踏み切った。 また昨年12月に株価維持のために一時禁じられていた上場企業の増資も解禁になった。 財政面では、50億リンギットのインフラ開発基金を設置し、公共投資の凍結を一部修正した。 政治的にもマハティール首相は、 自分の政策スタンスに近いとされるダイム前蔵相を経済担当の特別任務相に任命するなど、 これまでのアンワル副首相・中銀主導の運営体制の修正を図った。
 しかし、この政策転換で注目すべきは、 市場の信頼を得るための方策についてもこれまで以上に踏み込んだ措置がとられていることである。 第2表に掲げた通り、不良債権問題への対処では、 不良債権基準の厳格化や四半期毎の公表(注)、 不良債権買取機関(AMC)の設立とその運営にあたっての透明性の確約等の政策を打ち出しており、 また経済的合理性が問われているブミプトラ政策についても部分的に改革に着手している。 並行して進められているこのような取組みを見れば、マレーシアが、 国内問題重視へとただ逆戻りしているのではなく、国際金融市場での信頼という点も、 これまで以上に重視しているということが言えるだろう。

(注)マレーシアの金融セクターの不良債権残高は、 貸出対象別に細かく分類されたデータが3ヶ月毎に公表されており、 中銀のインターネットのホームページでも見ることが出来る。

4.今後の課題
 
 行き過ぎた緊縮・引締め政策から景気重視への転換にもかかわらず、 回復の見通しは悲観的なものである。その理由は、 アジア地域全体の景気動向に依然として回復の兆しが見えず外需による強い牽引が期待できないこと、 もう一つは、先述の通り、 マレーシア国内の金融セクターが抱える不良債権問題が非常に深刻であるということだ。 現在公表されている不良債権はオンバランスのものであるが、 マレーシアの金融機関は企業の社債の保証というオフバランス取引を多く抱えていると言われており、 これが顕在化すれば事態は一層深刻なものになろう。また、 不良債権買取機関(AMC)の資金調達として予定されていた政府の外債発行が、 7月のマレーシア政府の格下げとそれに伴う主要銀行の格下げによる 市場のセンチメントの悪化で延期されたことも、 今後の金融システムの再建が予定通りには進まないことを示している。
 マレーシア社会には、民族問題が常に横たわっており、 この問題を顕在化させかねない極端な景気悪化はなんとしても避けなければならない。 しかし、国際金融市場の目を無視しても景気の回復はありえず、 このためこれまで以上に厳しく構造問題に取組んでいく姿勢を外に向って示していかなければならない。 内外の経済環境が厳しい中で、そのどちらも成し遂げようというマレーシアの選択の行方を、 市場と近隣諸国が注目している。
(8月11日 佐久間)