データバンク

----------------------

平成10年(1998年)7月15日 NO.9
東京三菱レビュー

アジア危機下のフィリピン経済


・ 1.軽微だったアジア危機の影響
 
・ 2.景気減速が緩やかである背景
 
・ 3.新政権が直面する課題


1.軽微だったアジア危機の影響
 
 フィリピン経済は、昨年7月のタイバーツ切下げに端を発したアジア通貨危機の悪影響を受け ている。フィリピンペソの対米ドル相場は、昨年6月末比最大で40%以上の下落を記録した。通 貨防衛のための金融引締め策により、企業業績が悪化しているほか、雇用情勢の悪化やペソ下落 による物価上昇を背景に、消費者の購買力は低下している。こうしたことから、98年第1四半期 の実質GDP成長率は前年比1.7%と、97年平均の5.1%から大きく減速した。しかし、タイやイ ンドネシアなど周辺アジア諸国が軒並みマイナス成長に陥るなかで、フィリピンの景気減速の度 合いは、相対的には軽微である(第1図)
 こうしたなか行われた大統領選挙で、エストラダ氏が、貧困対策の推進を強調することで低所 得者層を中心に高い支持を獲得、他候補に大差をつけ当選を果した。同氏は6月末正式に新大統 領に就任し、今後6年間フィリピンの政権を担うこととなった。
以下では、フィリピン経済が、アジア危機のなかで比較的健闘している背景と、エストラダ新 政権が直面する課題についてまとめてみた。

2.景気減速が緩やかである背景
 
(1)堅調な輸出
 フィリピンの景気の落ち込みが比較的軽微である背景には、輸出が景気を下支えしていること がある。輸出額の伸びは96年後半以降、前年比20%程度を保っている (第2図)
 輸出が堅調な背景の第一は、フィリピンの輸出構造の高度化がある。輸出品目の内訳をみると、 輸出総額の約40%を電気・電子機器が占め、一次産品のウェイトは10%程度と低い。一人当たり GDPがほぼ同水準であるインドネシアでは、一次産品(原油・天然ガスを含む)のウェイトは 40%以上、電気・電子機器のウェイトは3%である。また、タイでは、一次産品と電気・電子機 器のウェイトは、それぞれ16%、31%となっている。フィリピンで輸出品目が高度化したのは、 93年以降、政情安定や電力不足解消など投資環境の改善に伴い、輸出を目的とする企業の直接投 資が拡大したためである。なかでも日系企業の機械・電子部品分野などへの投資増加が目立って おり、輸出競争力は高いと考えられる。
 第二に、最大の輸出相手国である米国の景気拡大が持続していることがある。貿易面で域内相 互の依存関係を強めてきたASEANのなかにあって、フィリピンの対米輸出のウェイトは34%と突 出して高い(第3図)
 第三に、通貨危機発生後も貿易金融が比較的円滑に機能し、ペソ下落による輸出競争力の向上 のメリットを享受できたことがある。タイやインドネシアで、対外的な信用の喪失により貿易金 融機能が大幅に低下したため、自国通貨下落にかかわらず輸出が減少しているのとは対照的であ る。

(2)深刻度の軽い金融システム問題
 バブルの崩壊が不良債権の増大につながり金融システムの健全性が損なわれるといった問題が、 フィリピンでは比較的小さいことも、アジア危機の影響が軽微である一因である。その背景の第 一は、フィリピンでは、80年代の経験からバブル発生の余地が限られていたことがある。第二次 石油ショック後の不況を背景とした信用不安と、経常赤字拡大に対する懸念や政情不安に伴う外 貨危機に直面し、84年フィリピンはIMFの支援を受け入れた。IMFによる経済安定化のための緊縮 政策が採られたため、経済成長は鈍化し、その過程で金融機関の閉鎖や倒産が相次いだ。またこ の間、中銀は金融比率ガイドライン(注)の導入などにより、金融機関 の監督体制の整備を進めた。これらが、金融機関の投機的な融資姿勢を抑制しバブルを助長する ことがなかった背景である考えられる。
 (注)中央銀行が金融機関の経営状態を把握・評価するため、資本の適正水準、資産内容の質、 経営能力、収益力、流動性等についてモニターする制度。
 危機に伴う金融セクターの問題が小さい背景の第二は、短期外国資本の流出入が比較的小規模 であったことがある(第4図)。フィリピンは80年代の国 際収支危機により、外国資本の投資が慎重化したため、海外からの資金流入が活発化したのは90 年代半ば以降と遅れていた。さらに、外貨借入は外貨建収入がある企業などに限られていることや、 海外からの資金調達は中銀への事前届出が必要であることなど、比較的厳格な資本取引規制が存在 することも、外国資本の流入を 抑制してきた。このため、周辺諸国のように、短期外国資本が、 国内金融セクターを通じて不動産市場や過剰な設備投資に向かい、バブル形成と不良債権の顕在化 につながる状況にはなかったと考えられる。

(3)前ラモス政権下の厳格な経済運営と迅速だった通貨危機への対応
 ラモス政権の経済政策も、フィリピンの通貨危機の深刻度を軽微なものにとどめた要因となっ ている。92年に成立したラモス政権は、金融システムの改革を進め、また関税引下げや外国銀行 参入自由化などによる投資環境の改善、通信分野など大胆な規制緩和と自由化等、経済の透明性 を高めることに努めた。94年以降の高成長はこれら改革の成果が顕在化したものであるとの見方 が定着している。また、前述のように80年代の外貨危機発生以降、IMFや世銀の指導の下、厳格 な経済運営がなされてきたことも、対外的な信認の維持につながったと考えられる。
 また、アジア危機の波及に対し、IMFによる拡大信用供与の期間延長と、総額13.7億ドルのス タンドバイ・クレジットの信用枠を確保した。さらに、銀行の不動産向け融資上限の引下げ、銀 行の外貨ポジションの規制など、迅速な対応が採られたことが奏功し、危機の影響を軽微なもの にとどめていることも大きい。また、不良債権の定義の「延滞期間6ヵ月以上」から「延滞期間 3カ月以上」への厳格化、金融機関の貸出総額の2%相当の貸倒引当金の積増しなど、金融セク ター強化策についても迅速に打ち出されており、金融システムに対する不安が台頭する状況には 至っていない。

3.新政権が直面する課題
 
 しかし、アジア危機に対して抵抗力を見せているフィリピン経済も、周辺諸国の通貨が安定せ ず景気低迷が長期化すれば、景気減速が鮮明となる懸念がある。こうしたなか、大統領に就任し たエストラダ氏が、内外からの信認を確保・維持し、危機への適切な対応により景気回復を図る ための課題は何であろうか。

(1)当面の金融・財政政策の課題
 金融面については、通貨防衛のために金利は依然高止まっているほか、金融セクターの健全性 維持のため不良債権の厳格化や、貸倒引当金の積み増し指導がなされており、銀行の融資姿勢が 慎重化している(第5図)。経済安定化のためには、こ れらの措置を継続してゆく必要はあろうが、設備投資の落ち込みにみられるように、実体経済へ の悪影響を無視することはできない。通貨動向を睨みつつ高金利を若干修正することや、金融コ ストが高い一因となっている金融収入税(金融機関の全てのペソ建受取収入に対し5%賦課され る)や印紙税の廃止により、金融機関の貸出金利低下を促す努力が求められよう。
 財政については、景気鈍化に伴い98年1〜4月の歳入が当初の目標を7%程度下回るなど、厳 しい状況にある。エストラダ氏は、徴税能力強化や国営企業の民営化による歳入確保と、25%の 歳出削減によって対応するとしている。このような財政事情の下では、同氏が選挙期間中に打ち 出した、農村向けのインフラ整備を促進することは難しい。同氏当選の原動力は、人口の4割を 占め所得水準の低い農業部門の生産性向上を図ると訴えることで獲得した低所得層の支持である だけに、政治的に厳しい対応を迫られよう。

(2)中長期的な課題
 より中長期的な観点からは、経常赤字体質の転換を図ることが求められよう。これまでのとこ ろ、堅調な輸出により貿易赤字が縮小しているほか、海外労働者からの送金に支えられ、経常赤 字は縮小傾向にある。しかしながら、電子・電気機器を中心とした輸出加工品は、投入財の多く を輸入に依存する貿易構造は変わっていない。また、周辺アジア諸国の海外労働者からの送金も 減少傾向にあるといわれる。このため、経常赤字の縮小ペースは鈍化すると考えられる。これま でもフィリピンは、経済成長が加速すると貿易赤字の拡大から成長抑制策やペソ切下げを余儀な くされてきた。持続的な成長のためには、国内の産業基盤を整備することで商品供給力を強化し、 貿易構造の転換につなげることが必要であろう。

 エストラダ氏は、ラモス前政権の経済自由化・規制緩和路線を継続する方針を示していること から、現在のところ経済政策の方向性が大きく変わる可能性は低い。それらに加えて、IMFによ る金融・財政引締めを含む構造改革プログラムに沿った経済運営が、フィリピン経済への信認を 確保するためには求められる。国民に対し景気回復の方向性を明確に示し、整合的な経済政策を 実施することができるか、エストラダ新大統領の手腕が問われている。
(7月6日 久保田)