平成9年(1997年)3月27日 NO.8

円安の景気浮揚効果をどうみるか

輸出入で相殺し合う円安の価格効果
 
数量効果も限定的
 
構造調整が先決


輸出入で相殺し合う円安の価格効果
 
 為替市場では、いまや円安傾向がすっかり定着した感がある。振り返ると、円ドル相場は、一昨年4月に1ドル=79円台もの未曾有の円高水準に達したが、 その後の日米通貨当局による協調介入や大蔵省の海外投融資促進策といった一連の円高是正策をきっかけに、一転して円安傾向を辿ることとなった。 昨年末にかけて、個人投資家による外債投資がかつてない活況を呈したことなどもあって、 本年2月上旬には、おおよそ4年ぶりに1ドル=124円台を記録、G7で為替安定に関する合意がなされたあとも、 円安水準での推移が続いている。この1年半の間に、円はドルに対して、実に4割近くもの下落を演じたわけである。

 こうしたなかで、巷間、円安の景気浮揚効果に大きな期待を寄せる向きが増えつつある。 すなわち、円安が進むことによって、輸出の手取額が自動的に増えるとともに、輸出採算の向上により輸出数量が増えることが見込まれる。 この結果、外需の増加と国内民間部門への波及効果により、景気回復の足取りが一段と強まっていくはず、というのがそれである。

 それでは、現在のわが国において、円安の景気押し上げ効果に、はたしてどれほどの“実力”があるのか。 円安は、輸出入それぞれの価格・数量の変化を通じてわが国経済に影響を及ぼす。以下では、その“実力”を価格面と数量面とに分けて探ってみよう。

 まず、数量を不変として円安による価格面への影響について考えてみると、 現下のわが国貿易構造を前提とすれば、わが国総体でみて、この面からメリットが生じるとはいい難いように思われる。 第1表は、直近96年のわが国の貿易収支を決済通貨別に分解したものである。 これにみる通り、貿易収支は全体で6.7兆円の黒字を計上しているが、これは専ら円建てに係わる黒字で形成されており、 外貨建て部分については、輸出入がほぼバランスしている。 円安が進行した場合、まず直接的に影響を受けるのは、輸出入それぞれの外貨建て部分であるが、 こうした貿易構造の下では、輸出サイドで生まれる為替差益と輸入サイドで被る為替差損とがほぼ同額となることから、 ネットでみた差損益はほとんど生じない計算となる。 もちろん、輸出額の多い加工業種に差益が集中する反面、輸入額の多い非製造業や素材業種ではネットで差損となるなど、 円安による差益や差損の生じ方には、業種間で偏りが出てくるが(第2表)、 わが国全体として考えれば、互いに相殺し合って損得なし、ということになる。

 円安の価格面への影響は、輸出入両サイドの価格転嫁の状況を勘案しても、プラスとはいい難い。 今回円安局面における円ベースの輸出入価格と為替相場の推移をみると、 輸入価格は円安をストレートに反映する形で上昇しているのに対して、輸出価格は円安率の半分程度しか上昇していないためである。 わが国にとって、円安の価格面からの恩典は、思いのほか小さいといえそうである。

数量効果も限定的
 
 それでは次に、円安による数量効果をどの程度見込めるのか。円安による価格競争力の向上をテコとして、輸出数量が大きく増加する一方、輸入数量が減少すれば、それによって、現下の景気展開に弾みがつく姿も描ける。 とりわけ、ここにきて輸入数量の増勢鈍化がハッキリしてきた一方、回復が遅れていた輸出数量も、足元では大幅な増加をみているだけに(第1図)、 外需を足掛かりとした景気の本格回復に思いを馳せるのも無理からぬところであろう。

 しかしながら、この点、結論を先取りすれば、そうした効果が期待に違うことなく顕在化する可能性は小さいように思われる。 まず、このところ伸び悩みを余儀なくされている輸入数量については、これが、この先、大きく落ち込む姿は想定しにくい。 生産コストの低廉なアジア諸国との内外価格差が依然大きいためである。 実際、日本貿易振興会「アジア主要都市・地域の投資関連コスト比較調査(96年2月時点調査)」によれば、 わが国の生産要素価格は、雇用者の賃金でみてNIEs諸国の2〜4倍、ASEAN諸国や中国の5〜25倍にも達しているほか、 工場や事務所の賃料、電話・電気料金といった公共料金も、これらアジア諸国とは大きな格差がある。 足元程度の為替水準では、コスト面でのアジアの優位性は揺るぎそうにない。 しかも、こうした地域の生産能力や技術力向上の流れが当分健在とみられる以上、輸入品の構造的な流入圧力は、引き続きかかり続ける公算が大きい。

 一方、輸出についても、円安による数量押し上げ効果を従来通りに期待するのは難しくなっており、 足元の増勢がこのまま持続する可能性は小さいように思われる。まず、このところの円安局面で、 輸出企業が従来型の輸出戦略に回帰している様子は窺えない。たとえば、 足元の輸出増加の最大の牽引役となっている米国向けを中心とした自動車輸出については、 円安効果をフルに発揮して輸出攻勢をかけているというよりは、むしろ、 @そもそも米国で生産されていない車種(RV等)の販売が現地で好調なこと、A米国拠点の在庫水準が、 これまで適正レベル以下にあった分の埋め合わせ、といった一時的要因によるところも少なくない。 このため、足元の輸出の勢いについては、幾分割り引いてみる必要があるように思われる。 また、最近の円安傾向をきっかけに、企業が海外生産シフトなど国際展開に対するスタンスを大々的に変えていく可能性も乏しい。 ここ数年来進められている企業の国際展開は、為替相場の変動に左右されにくい体質作り、あるいは、 生産拠点の消費地立地を主目的としているだけに、足元程度の為替水準を前提とすれば、 海外生産計画を抜本的に見直すことはないという声が多い。

 もちろん、円安が進んだことで、外需が景気の足を大きく引っ張る展開に歯止めがかかったことは間違いない。 しかしながら、上にみた事情を踏まえれば、この先外需が大幅なプラス寄与を続けることによって、 景気回復をリードしていくような姿は、なかなか想定しにくいように思われる。 外需を通じた円安の景気浮揚効果は、かつてのようには期待できないということである。

構造調整が先決
 
 さらに、円安による輸出産業の所得増が、中小企業や非製造業、あるいは家計部門に十分に波及することで、国内民需の推進力を加速していくと考えるのも早計と思われる。 そうしたメカニズムのスムーズな稼動を阻む問題は、いまなお随所に顔を覗かせている。

 たとえば、最近の企業収益の動きをみると、業種間・企業規模間で、その回復テンポに依然大きなバラツキが残っており、 輸出産業を中心とした製造業・大企業に比べ、中小企業や非製造業の収益改善は大きく遅れをとっている (第2図)。これは、部品点数の絞り込みや流通合理化、値下げ要請などを通じた、 製造業・大企業から中小企業、非製造業への“コスト付け回し”が、いまなお続いているからにほかならない。 このところの円安下にあっても、製造業・大企業が、こうしたコスト構造見直しの手綱を緩める気配は窺えず、 この先も中小企業や非製造業としては、円安による投入コストの上昇を販売価格に十分転嫁できない状態を余儀なくされる虞れが強い。

 家計部門への波及効果も限られそうである。わが国企業の人件費負担は、硬直的な雇用慣行が根付いていることもあって、 ピークを打ったとはいえ、依然かなりの高水準にある。このため、そもそも円安のプラス効果が波及しにくい企業はもとより、 円安の恩恵に浴する企業であっても、雇用や賃金を目立って引き上げる可能性は乏しいように思われる。 個人消費の源泉である家計の所得環境には、今後も大きな改善は望みにくい。

 こうしてみると、円安の景気浮揚効果に過度の期待を寄せるのは禁物であるように思われる。最近の円安傾向を踏まえても、当面心許ない景気展開が続くとみておいたほうがよさそうである。

 とすれば、景気の本格回復を図るには、いかなる手立てを打てばよいのか。それは、むろん、これまで進めてきた国際展開の舵取りを大きく修正し、再び輸出に傾斜していくことではない。 対外黒字を積み上げることの是非はともかくとしても、その拡大が結果的に貿易摩擦を再燃させ、過度の円高を引き起こす可能性があることは、これまでの経験が教えるところである。さりとて、 財政政策に新たな助けを求めるべきでもない。周知の通り、これまでの相次ぐ大型景気対策の実施によって、わが国の財政事情は主要先進国のなかでも最悪の状況に陥っている。 「財政再建」の旗を安易に降ろすことは、何としても避けねばなるまい。

 目先、やや回り道になるにせよ、やはり国内民間部門に残る歪みを地道に解きほぐしていくことが先決であるように思われる。 企業のコスト構造見直しの余地が依然として大きいことは、資産効率がいまだ過去最低水準で推移している点に端的にあらわれている。 個人や企業の活躍の場を広げるための規制緩和も、依然道半ばである。円安効果をあてにして、こうした課題を先送りにしてしまっては、いつまでたっても本格的な景気回復は覚束ず、 浮揚感に乏しい景気展開がさらに長引くことにもなりかねない。 したがって、わが国では、為替相場の変動に一喜一憂することなく、将来を見据えた体質転換を着実に進めていくことが何よりも重要ではなかろうか。そのことによって、 国内民需主導型の持続的・安定的な経済成長がはじめて視野に入ってくるように思われる。

 
(3月21日 経済調査部 今井)