平成9年(1997年)9月25日 NO.16

家計のリスク・テイク能力の実態

〜"日本版ビッグバン"に関する一視点〜
根強い家計の「安全性」志向
 
見逃せない支出構造の硬直化
 
実体面でもリスクに見合うリターンを


根強い家計の「安全性」志向
 
 "日本版ビッグバン"に関する議論が活発である。 それが意図している大きな目標のひとつは、予想される高齢化社会においてわが国経済が活力を発揮するために、 1,200兆円にのぼる家計の金融資産を有効活用することで、企業へリスク・マネーをスムーズに供給する仕組みを構築しようというものである。 そのことは同時に、家計の金融資産運用の選択肢を広げることで、その運用パフォーマンスを抜本的に改善していくということでもある。

 このような議論の前提には、"ビッグバン"によって金融・資本市場の整備が進めば、 潤沢な金融資産を有する家計が今後より積極的にリスク・テイクしていくことは十分可能である、との見通しが暗黙裡になされているように思われる。 しかしながら、最近の個人金融資産の動きをみると、家計はリスクのある資産を敬遠し、むしろ「安全性」志向を強めている様子が確認できる。

 第1図は、貯蓄広報中央委員会「貯蓄と消費に関する世論調査」を使って、家計の金融資産選択基準の推移を示したものである。 これにみる通り、金融資産の選択に際して「安全性」をもっとも重視する世帯の割合は、ここ四半世紀の間、概ね40%内外で推移してきたが、 とりわけバブル崩壊後は、「安全性」志向がにわかに高まりをみせ、97年には約49%と、統計が連続する77年以降最高のレベルに達している。 一方、「収益性」を重視する世帯の割合は、80年代半ば頃まで上昇傾向を辿っていたが、その後は頭打ちに転じ、ここ数年はむしろ顕著に低下している。 直近調査によれば、その割合は約15%と過去最低を更新した。

 家計の「安全性」志向が強い様子は、欧米先進国との対比でみても顕著である。 家計の金融資産残高の内訳をみると、わが国では、定期預金を中心とした確定元本・確定利回り型の商品が6割強と圧倒的なウエイトを有しており、 株式や投資信託などリスクを伴う商品(有価証券)は1割程度に過ぎない。 現預金の割合が2割弱にとどまる反面、有価証券が4割を占める米国はもとより、 イギリス(現預金:23%、有価証券:20%、以下同様)やフランス(36%、43%)、 ドイツ(43%、30%)と比較しても、大きく様相を異にしている。

見逃せない支出構造の硬直化
 
 こうした状況下、この先、単に"ビッグバン"を実行するだけで、家計のリスク・テイク能力をフルに引き出すことは、本当に可能なのか。 以下では、それを展望するために、わが国家計に「安全性」志向が定着した背景を探ってみよう。

 まず、戦後のわが国金融仲介が、欧米先進国へのキャッチ・アップという時代的要請を背に間接金融を中心に発展、反面で資本市場の整備が遅れ、 家計のリスク性資産に対する認識が十分育まれなかったという事情がある。 企業を中心とした国内非金融部門への資金供給が、どういうルートを通じて行われてきたかをみると(第1表)、 わが国の資金仲介は国内金融機関を介したルートが一貫して圧倒的なシェアを占めている。 80年代以降の金融のセキュリタイゼーションの流れのなかで、資金供給の形態が貸出から有価証券の取得へとシフトしてきているとはいえ、 資金供給の主役は国内金融機関が演じ続けたということである。

 一方、個人による国内証券市場を通じた有価証券の取得(有価証券を直接保有する形での個人部門からの資金供給)は、 この間、一貫して低調に推移している。 有価証券を間接的に保有する投資信託にしても、それをこれまで持ったことのない人は全体の約8割にのぼり (証券投資信託協会「投資信託に関する調査報告書」)、家計の金融資産残高に占めるウエイトも、 ピークのバブル期ですら5%程度、足元では3%弱にとどまっている。 わが国では、「投資家保護」の御旗の下、金融業態・業務分野の規制など多様な商品・サービスの導入を妨げる各種規制がなされてきたため、 結果的に家計がリスク性資産に馴染む機会を逸してしまったとみられる。

 もっとも、そうした状況下にあっても、家計がリスク性資産を比較的多めに有していた時期があったことも事実である。 たとえば、家計の金融資産増加額に占める株式への投資比率を長い目で振り返ると(第2図)、60年代前半までは10%内外のシェアを占めていた。 わが国株式市場の所有者別持株比率をみても、最近では2割強にとどまっている個人の持株比率は、かつては4〜5割を占めており、 金融機関や事業法人を大きく上回る最大の株式所有主体であった。

 こうしたなかで、家計の「安全性」志向を定着させたいまひとつの原因は、家計の支出構造の変化に求められるように思われる。 第3図は、家計支出のうち、税・社会保険料や住宅ローンの返済、教育費など、いわば家計にとって固定費ともいえる支出を抽出し、 その実収入に対する比率を示したものである。 国際的にみて累進度の高い所得税制が維持されるとともに、数次にわたって社会保険料率が引き上げられたことで、 家計の税・社会保険料負担は65年の9%から95年には16%にまで上昇した。 住宅借入負担や教育費・仕送り金の負担も、住宅取得価格の高騰や進学熱の高まりを背景に、家計を圧迫した。 この結果、固定的支出のウエイトはこの30年間でほぼ倍増、家計の支出構造の硬直化が進んでいる様子が窺える。 固定的支出の増嵩を背景に、家計のやり繰りが年々厳しさを増すなかにあっては、家計の貯蓄行動が保守的になるのも無理からぬところであろう。 こうした支出構造の硬直化が、結果的に家計の「安全性」志向をもたらしている点も見逃せまい。

実体面でもリスクに見合うリターンを
 
 家計の支出構造の硬直化は、今後も容易には解消されそうにない。 とりわけ、高齢化の進展に伴う社会保障負担の増大は、いまや不可避の情勢で、 たとえば、先頃発表された厚生省の試算によれば、わが国の国民負担率(税・社会保険料/国民所得)は、 95年度の36%から2025年には50%程度にまで高まる見込みであるという。

 そうしたなかで、家計にとって、さらに頭の痛い問題は、この先、支出の源泉である収入サイドの不確実性が高まっていくとみられることである。 第2表は、家計の雇用・所得環境の構造変化を窺わせる指標を列挙したものである。 雇用面では、転職者数がこの10年間に大幅に増加しているほか、転職者比率(転職者/就業者)や雇用者に占める非正社員の比率も大きく高まっている。 賃金面に目を転じても、基本給に占める仕事給(職能給、役付手当など)の割合や、 賃上げに占める能力部分への配分比率が大幅に上昇するとともに、年俸制を導入している企業の割合も着実にアップしている。 こうした変化が生じているのは、わが国企業が、そのコストの大きなウエイトを占める人件費負担を軽減するために、 終身雇用制や年功序列賃金といった、いわゆる「日本型雇用システム」を見直し始めているからにほかならない。 わが国企業が、なお過大な人件費負担に晒されている現下の状況を踏まえれば、 今後も企業サイドから「日本型雇用システム」を修正しようとする動きは、着実に強まっていこう。

 しかしながら、こうした動きは、企業の収益構造立て直しに資する反面、家計にとっては著しい不利を被る虞れが強い。 第4図は、中途採用者の採用時の賃金を、同一企業に継続勤務している労働者(標準労働者)の賃金と比較してみたものである。 これをみると、中途採用者の賃金は、いずれの年齢層においても標準労働者の賃金を大幅に下回っており、とりわけ中高年層における格差は大きい。 また、連合総合生活開発研究所「職業転換能力に関するアンケート」によれば、雇用者が転職をためらう理由として 「転職によって退職金や年金を含め生涯所得が低下することになるから」をあげる者が全体の半数以上と、もっとも多くなっている。 賃金や退職金、各種フリンジ・ベネフィットなどが、能力や実績よりも年齢や勤続年数に重きを置いて決定されていること、 退職金などに係わる所得控除が、勤続年数が長いほど有利な仕組みになっていることなどが、そうした背景として指摘できよう。 いずれにしても、転職環境が未整備ななかで、なし崩し的に「日本型雇用システム」が修正されるとなると、 家計に対して収入面での不安を煽ることになりかねない。

 このようにみてくると、この先、わが国家計は、好むと好まざるとにかかわらず、 支出サイドの硬直化と収入サイドの不確実性との板ばさみに合う虞れがあるように思われる。 その結果、家計が固定的支出の元手を確保するために、貯蓄の「安全性」志向を一段と強める可能性もなしとはしない。

 もちろん、わが国にとって、各種金融商品の商品性の向上やディスクロージャーの徹底、販売ルートの多様化といった金融・資本市場の整備を通じて、 家計の資産運用の選択肢を広げることが、喫緊の課題であることは間違いない。 しかしながら、それだけで"ビッグバン"に謳われた所期の成果を十分にあげられるかとなると、 上にみた家計の支出・収入構造の実態を踏まえれば、心許ないといわざるを得ない。 家計が金融面でリスクに見合ったリターンを選択・確保できる環境整備を進めるのは当然としても、 それだけではなく、実体面でも、雇用・所得環境の不確実性の上昇といったリスクに見合うよう、 税・社会保障体系を抜本的に見直したり、労働移動に伴う不利の是正を進めていくことなどが不可欠であるように思われる。 実体・金融両面で、リスクとリターンのバランスをとってこそ、 はじめて家計の潜在的なリスク・テイク能力を十分顕在化させることができるようになるのではなかろうか。

 
(9月25日 今井)