平成9年(1997年)9月3日 NO.15

通貨危機のフィリピン経済への影響

はじめに
 
対外収支管理上必要であったペソ下落
 
注意を要する金融システム
 
比較的軽微なペソ下落の影響


はじめに
 
 本年7月2日、タイ・バーツ相場が事実上の切下げに追い込まれたのを皮切りに、AS EAN各国の通貨はいずれも下落を余儀なくされた。なかでも、フィリピン・ペソに対す る投機売り圧力は強く、中銀は、バーツ切下げ直後の7月11日に、ペソの対ドル変動幅を それまでの前日終値の上下1.5%から拡大することを決定した。これを受けてペソの対ド ル相場は前日終値の26.4から29.75へと11.3%下落した(第1図)。

 本稿では、フィリピン・ペソが投機売りの対象となった背景と、ペソ下落のフィリピン 経済への影響について検討したい。

対外収支管理上必要であったペソ下落
 
 フィリピン経済は、92年のラモス政権発足後、政治情勢の安定化を背景に、工業生産の ボトルネックであった電力供給不足の改善や外資規制緩和による直接投資の拡大が進み、 94年以降本格的な回復に転じている。96年は実質GDP成長率5.5%を達成した。投資と 輸出が成長を牽引している。また、GDPの7割強を占める個人消費が所得の拡大を背景 に堅調に推移し、景気を下支えしている(第2図)。

 一方、対外収支は悪化している(第3図)。輸出が堅調に推移する一方、資本財を中心 に輸入が輸出を上回って伸びたことから、貿易赤字は年々拡大している。貿易赤字額は、 35億ドル(同4.2%)へと拡大した。貿易赤字と比べて経常赤字の水準が低く抑えられて いるのは、40億ドルを超える巨額の海外労働者送金のためである。

  このように高水準の経常赤字が続いているが、そのファイナンス構造は必ずしも安定的 とはいえない状況にある。95年の資本流入の構成をみると、ポートフォリオ投資や非居住 金が、資本流入の過半を占める(第4図)。

 経常収支の悪化の背景には、ペソの上昇がある。ペソの実効相場の動きをみると、95年 第2四半期以降、名目実効ベースでは安定していたが、その間の物価上昇率が比較的高か ったため、実質実効ベースでは同時点から20%程度上昇していたのである(第5図)。

 85年以降のペソ相場の推移をみると、名目実効相場の安定が何年か続くと、比較的高い インフレ率により実質実効相場が上昇し、対外収支も悪化するため、ペソ相場の大幅な下 落が生じるという特徴がみられる。

 今回のペソの下落と短期金利引き上げは、タイ通貨危機の飛び火がきっかけであったと はいえ、対外収支を管理可能な水準に抑え、持続可能な安定成長を続けるために必要な措 置であったといえよう。

注意を要する金融システム
 
 実体経済の本格的な回復を背景に、民間部門向け融資残高は、名目GDPの伸びを大き く上回るペースで拡大してきた。この中で、不動産部門への融資も拡大している。中銀は、 97年4月に、民間銀行大手21行の総融資に占める不動産融資シェアは11%と発表してい る。

 ただし、民間の不動産市況調査会社によると、96年のマニラのオフィス空室率は2%と 低く、需要も依然堅調であることから、当面、供給過剰に至る可能性は小さい。このよう に不良債権問題は未だ顕在化していないが、不動産融資の過度の拡大には注意を要する。 こうした状況に対する予防措置として、中銀は、97年4月に、不動産関連融資の上限を従 来の総融資の30%から20%に引き下げると同時に、不動産担保掛け目を70%から60%に 引き下げるなど、不動産融資規制を強化している。

比較的軽微なペソ下落の影響
 
 今回のペソ下落がフィリピン経済に対して与える影響は比較的軽微と考えられる。これ は、過去数年間のフィリピン経済の成長が構造変化に裏打ちされた力強いものであるため である。

 構造変化の第一は、輸出構造の高度化である。93年以降の輸出の牽引役は、電気・電子 機器である。その結果、総輸出に占める電気・電子機器のシェアは、92年の14%から96 年には40%まで拡大した。一方、衣料のシェアは同期間に22%から12%に低下しており、 輸出構造の高度化が急速に進んでいるといえる(第6図)。

 電気・電子機器輸出拡大の背景には、93年以降、直接投資が拡大していることがある。 主な投資誘致機関であるBOI(投資委員会)とPEZA(フィリピン経済区庁)の直接 投資統計をみると、特に製造業への投資集中が確認できる。まず、95年にBOIは16億 ドルの外国投資を認可したが、その71%が石化製品、建築資材、自動車部品などをはじめ とする製造業への投資となっている。一方、95年のPEZAの外国投資承認額は18億ド ルであるが、その74%はエレクトロニクス分野への投資となっている。特にPEZAにつ いては、日本の大手電気・電子メーカーの進出が相次いだ。

 構造変化の第二は、財政収支の改善である。90年代初頭まで、財政赤字が民間投資をク ラウド・アウトする状況が続いたが、94年以降、財政収支は僅かながら黒字に転じている。 これは、税制改革による課税ベースの拡大や国営企業の民営化収入などにより歳入が拡大 しているためである。

 さらに、ペソ下落による外貨債務の実質負担増大が、不良債権問題に波及する可能性は 小さい。中銀の規制により外貨貸付は輸出企業や優先的プロジェクトに制限されているこ とや、フィリピン・ペソ相場のボラティリティは他のASEAN通貨と比べて高く、民間 企業は為替リスクに比較的敏感であると考えられることから、為替リスクをヘッジしてい ない外貨債務は少ないとみてよかろう。

 以上を踏まえて、今後のフィリピン経済を展望すると、まず、実体経済面では、ペソは 実質実効相場ベースで10%程度下落したことから(第5図)、過去の水準からみて、輸出 の価格競争力は十分回復したものとみられる。為替安定やインフレ抑制のため金利は当面 高めに推移すると予想されることや、輸入コストの上昇から、内需が抑制されるため、97 年の経済成長は幾分鈍化することになろうが、その後景気は着実に拡大していこう。

 一方、金融システムについては、不動産融資は拡大しているとみられるが、実体経済が 堅調で不動産需要が旺盛なことから、不良債権問題は未だ顕在化していない。今回のペソ 下落により当面高金利政策が採られ、銀行貸出の伸びが鈍化すると予想されることなどか ら、不動産ブームは一服するものと予想されるが、それが金融システムの安定性を損なう ような事態は想定しづらい。

 経常収支ファイナンスについては、ペソ下落効果により経常収支の改善が見込めること や、IMFが拡大信用供与措置の延長や新規融資を決定したこと、そして何よりも実体経 済が堅調なことが、経常収支ファイナンスに対する懸念を和らげることになろう。

 
(8月21日 中村)