平成13年(2001年) 10月3日 NO.18  

中国人民元切上げ論について

1.中国の輸出攻勢の高まり
 
2.なぜ中国はこれほど強いか
 
3.人民元の水準の評価
 
4.WTO加盟の人民元相場への影響
 
5.元切上げによる中国と周辺国の貿易不均衡是正
 


 中国の生産力と輸出力が急速に高まっており、日本を含めた周辺アジア諸国の産業との競合が大きな問題となっている。日本国内では、中国への生産拠点の移転に伴う産業の空洞化や中国からの輸入製品の増加に対し、為替相場での調整を求める人民元切上げ論が強まっているが、果たして人民元は本当に割安なのか。またそうだとしたら、どれほど割安なのか。そして、その水準感は今後の中国のWTO加盟などの環境変化によってどのように変わるのであろうか。以下検証してみた。

1.中国の輸出攻勢の高まり

 中国の輸出は、もともと繊維・衣料などの労働集約的部門が中心であったが、2000年半ばごろから電子・電機機器などのハイテク部門の輸出が急激に拡大し、現在、日本以外では、マレーシアやシンガポールを抜いてアジア最大の電子・電機機器の輸出国となっている(第1図)。
 アジア域内への中国製品の浸透も強まっている。マレーシアは、もともと先進国電子・電機機器メーカーの輸出基地だったが、輸出市場での中国製品との競合から、中国からの低価格部品を輸入し競争力強化を図る動きが強まっている。また、ベトナムやインドネシアでは、現地販売を狙って進出した外資系二輪車メーカーを駆逐する勢いで中国製の輸入バイクが急増している(第2図)。

2.なぜ中国はこれほど強いか

 中国経済の強みは、地域格差や国有企業が抱える構造問題といった潜在的不安定要因を抱えつつも、基本的には労働コストの安さと市場の大きさにあるだろう。工場の労働者クラスの賃金をみると、日本と比較して、NIEsが約1/5、マレーシア1/10に対し中国は1/50程度であり、圧倒的に強い産業立地条件となっている。また、人口13億の市場としての魅力も他国を圧倒する。
 これらに加えて、近年急速に強化されているのが、技術力や、その背景にある人材育成である。例えば98年の特許申請件数は、絶対水準はまだ低いものの、その伸び率は、日本4.6%、米国11.0%、ドイツ15.5%、韓国▲6.3%に対し、中国は34.1%と高い。95〜97年の伸び率についてもやはり中国が群を抜いて46.9%と高くなっている。また米国への留学生数をみても、99年実績で中国からの留学生が5万人を超えており、日本を抜いて世界のトップとなった。中国のハイテク企業が集まる北京中関村のエンジニアや、私営企業の若手経営陣には、こうした留学帰り組が増え始めている。
 コスト面での優位性と技術の面での向上に加えて、アジア危機後の周辺ASEAN諸国における政局不安定化も、中国の相対評価を高めた。こうしたことから、アジアにおける直接投資の中国傾斜が一層強まった。資本の流入により、一段と技術面・経営面でのノウハウの移転が進み、中国の産業立地条件を一段と向上させ、さらなる投資を呼び込むという集積の好循環が起きていることも中国の強みである(第1表)。

3.人民元の水準の評価
 
 強さの目立つ中国経済から人民元の現水準をどう評価するかであるが、その前に、今日までの人民元の名目相場の推移を簡単に振り返ってみよう。
 1980年代に入ってからの人民元相場は、対ドルで下落基調をたどってきたが、93年に内需過熱による経常収支の赤字転落により、下落圧力に拍車がかかった。当時、公定レートと市場レートの2本立てとなっており、市場レートがファンダメンタルズを反映して先行して下落し、公定レートとの乖離が広がっていた。94年当時の中国は、WTO加盟を目指し二重相場制の廃止を検討していたが、これを機会に公定レートを市場レートに鞘寄せするかたちで相場を一本化し、その水準で対ドル相場を現在の狭いレンジに固定した。
 公定レートはこの94年の切り下げで、30%減価したが、すでに為替取引の8割方が市場レートで行われており、実質的な切り下げは6%程度であった(第3図)。

 (1)為替市場では人民元に買い圧力
 現在、人民元相場には買い圧力がかかっている。経常収支は、黒字を続けており、資本収支も直接投資を中心に回復している。当局はレンジ内に為替相場を抑えるため元売りドル買い介入を実施していると推察され、中国の外貨準備高は増加し続け2001年5月現在1820億ドルに達した。実際、為替市場での人民元相場は、昨年末以降対ドルで8.277の上限にほぼ張り付いて推移しており、もし市場実勢に任せれば、相場は人民元高方向に動くであろう(第4図)。

 (2)実質実効相場でみると元の割安感は薄れている
 次に人民元の競争力が、主な貿易相手国に対し総合的どのように推移してきたかをみてみる。この分析には実質実効相場が有効だが、実質実効相場とは、インフレ格差を織り込んだ人民元の実質相場が、各国通貨に対しどのように推移しているかを、それぞれの国との貿易取引量などのウエイトで加重平均したものを指数化し、その時系列的な変化を表したものである。
 人民元の実質実効相場は、93年までは名目相場の動きに従って下落し(輸出に有利になり)、93年から98年までは、名目相場が対ドルで固定されたこととインフレ率が相対的に高かったことから、ほぼ一本調子で上昇した(輸出に不利になった)。その後は、周辺国通貨の下落により人民元の名目相場が相対的に上昇する一方で、中国のデフレにより実質ベースでの人民元相場には減価圧力が働いたため、横ばい推移している。結果として93年から2001年半ばにかけて41%上昇した。これに対し周辺国通貨は、インフレ率が比較的低かったことや、アジア危機で名目為替相場が大幅に下落したことにより、同期間に10〜20%下落している(第5図)。
 現時点での人民元相場が、周辺国通貨との横並びの比較で割安にあるのか割高にあるのかを論じることは、実質実効相場の分析だけでは不可能だが、少なくとも93年から現在までの2時点間の人民元相場と周辺国通貨の推移を比較すると、人民元は相当割高方向に動いてきたといえる。実際、中国の貿易黒字をみても、98年は年間435億ドルであったものが2000年には241億ドルまで減少しており、今年はさらに減少する見込みであり、割安だったとしても、その程度は徐々に弱まっていると言える(第6図)。
 尚、為替相場の分析にしばしば用いられる購買力平価の分析は、人民元については適当な基準時点を定めるのに材料が乏しいこと、および中国の輸出物価の統計がないことなどから十分に有意な結果は得られない。第7図は、基準時点を85年第1四半期にして消費者物価を使って分析したものだが、これによると、現在の人民元相場は大幅に割安な水準にある。しかし、第8図に示す通り、別の時点(87年第4四半期)を基準にすれば、様相は大分異なり、購買力平価の分析で人民元の割高/割安を論じることは難しい。

 (3)人民元は割安な水準だが、留保条件付き
 為替市場で人民元買い圧力が見られることや、減少傾向にあるとはいえ貿易収支の継続的な黒字などから考えると、人民元の水準が、現在、中国の主要な輸出財にとってある程度割安なものに抑えられているとは言えよう。
 しかし、実質実効相場の上昇や貿易黒字幅の縮小から見て、その割安感が徐々に弱まっており、加えて、割安という評価には、2つの留保条件が付いていることを忘れてはならない。
 ひとつは、現在、輸出はかなりの部分を日本企業など外資系企業が支えており、貿易黒字は、中国地場経済の競争力をそのまま反映したものではないということ(第9図)、もうひとつは、輸出が急速に拡大する一方で、輸入については国内産業保護のため関税などの多くの障壁によって制限されており、農産物や自動車などの国内市場向けの財が、海外との競争に晒されたら、貿易収支や人民元相場の動向は、相当現状と異なるだろうということである。

4.WTO加盟の人民元相場への影響

 (1)経常収支面での影響
 第一に経常収支面での影響だが、現在、財別に貿易収支を分析すると、黒字に最も寄与しているのは繊維・衣料であり、これに靴・履物、玩具などが続く。一方、現在急激に輸出が拡大している電子・電機機器は、輸出以上の勢いで関連部品や資本財の輸入が増加しており99年以降貿易赤字に転じ、赤字幅は拡大傾向にある。また、原油・燃料類については、所得水準向上に伴うエネルギー消費量の拡大と、主要燃料の石炭から石油へのシフトという2つの要因から、中国の原油輸入が拡大しており、貿易赤字品目となっている(第10図)。
 WTO加盟によってこれらがどう変わるか。中国の主力貿易黒字品目である繊維・衣料の輸出の本格的拡大は、短期的には期待できない。なぜならば、2005年までに輸入国側の数量規制が撤廃されることになってはいるものの、2001年7月のWTO多国間作業部会での合意で、特例として加盟後12年間、一定の条件を満たす場合に他の加盟国は中国産品にのみに対し、特別セーフガードを発令できることとなっており、この合意の狙いは主に中国の繊維・衣料輸出とみられるからである。
 一方、これからも輸出拡大が期待される電子・電機機器は、少なくとも裾野産業が十分育つまでは、輸出が拡大するほど貿易赤字が拡大する構造を抱えている。原油・燃料も、経済活動の拡大に伴い、一段と輸入が増加する可能性が高い。さらに、農産物や自動車など、中国の競争力が劣る分野においては貿易収支は悪化するとみられる。
 経常収支全体の動きを見るには、貿易外収支での中国の運輸・港湾サービス拡大による受取増などの最近の動向も見極めなければならないが、大きな方向性は貿易収支によって左右されるとみられ、WTO加盟により当面は中国の経常収支は悪化すると予想される。

 (2)資本収支面での影響
 第二に資本収支面での影響だが、プラス材料は直接投資の拡大である。対中直接投資は、99年370億ドル、2000年375億ドルと、経常収支の倍近い規模の流入が続いている。特に2000年下半期からは、WTO加盟への期待から増加傾向がみられ、経常収支悪化をある程度緩和することが期待されている。しかし、一方で銀行借入などが含まれるその他資本収支や、資本逃避など不透明な資本流出が含まれるとみられる誤差・脱漏を合わせると、直接投資以上の規模で流出超過を続けており、総合的に資本収支がWTO加盟によってどちらの方向に動くかは如何とも予想しがたい(第11図)。

 (3)WTO加盟後の人民元相場
 予測がある程度可能な経常収支の面から考えれば、現在の人民元への買い圧力は、中国のWTO加盟後は、徐々に弱まっていくと考えられる。また、中国当局の立場からすれば、WTO加盟による負の影響を少しでも和らげるような為替政策を取るであろう。
 海外からの安価な農産物や自動車の輸入などにより、国内の農業や非効率な企業が大きな打撃を被り、雇用が悪化することが見込まれている。特に内陸農村部は人口約8億人のうち1億人とも言われる実質的な失業者を抱えているといわれ、WTO加盟のマイナスの影響が大きな懸念材料である。当局としては、これらの過剰労働力の吸収セクターとして、繊維・衣料産業に加え電子・電機機械産業などの成長部門に大きな期待をかけており、人民元を割安に抑えながら輸出・生産の拡大と雇用の拡大を図っていくであろう。億単位で存在する農村部の実質失業者はWTO加盟後の重要課題であり、中国側からみれば、人民元切上げという選択はない。

5.元切上げによる中国と周辺国の貿易不均衡是正

 最後に、仮に人民元が周辺国通貨に対して切上がった場合、あるいは円が人民元に対して切下がった場合、どれほど中国の輸出競争力を低下させることができるか、電子・電機機器部門について考えてみたい。
 中国の電子・電機機器の輸出入額を見ると、最大の貿易パートナーは日本で2001年1〜7月の7ヶ月間で117億ドルの貿易量がある。これにNIEs(除く香港)、EU、米国、香港と続く。輸出・輸入を別けてみると、日本は中国から同期間42億ドルを輸入する一方でその約倍の75億ドルを中国向けに輸出している。NIEs(主に台湾)と中国の関係も同様に、NIEs諸国は中国から30億ドルを輸入する一方でその倍以上の75億ドルを中国向けに輸出している。どちらの場合も主な輸出先は、台湾系や日系の在中国製造拠点であり、そこで組み立てられた製品が直接的にあるいは香港経由で世界中に輸出されるという分業構造になっている(第12図)。
 従って、人民元が切上がると、確かに人件費など人民元相場に結びついた一部のコストは上昇するものの、輸入原材料や資本財などの外貨建て部分のコストが下がり、期待するほどの中国の輸出攻勢を和らげる効果は得られないであろう。また、先述の通り、昨年末頃から、中国の輸出の伸びに寄与しているのは主に外資系企業であり(第7図再参照)、日本企業や台湾企業にとっての脅威は、中国を利用してコストダウンを追求する同じ日系、台湾系企業となっている。
 長期的には、円がドルに対し変動相場制移行後90年台半ばまで、ほぼ一貫して切り上がってきたように、中国経済がクリティカル・マスのレベルでの技術力や所得の向上がみられる発展段階に入れば、人民元相場は、周辺通貨に対して切り上がっていくものとみられる。しかし当面は、中国が人民元相場の切上げを自ら選択する可能性は低く、また仮にある程度の切上げが実現したとしても、IT産業のクロスボーダーの生産分業体制からみて、中国の輸出の拡大を抑える点では多くの効果は期待できないであろう。

(9月27日 佐久間浩司)