平成13年(2001年) 9月7日 NO.16  

イタリア経済の足枷となる南北格差

1. 南北地域格差の現状
 
2.南北格差発生・拡大の背景
 
3.政労使の取り組みと南部活性化の兆し
 


 ユーロ圏GDPの18%を占める域内第3位の大国でありながら、90年代初頭から低成長・高インフレ・高失業に悩み、一時は経済通貨統合(EMU)への参加条件達成も危ぶまれたイタリアであるが、目覚しい財政赤字削減とインフレ抑制によって99年からの第一陣参加を果たし、99年後半には、アジア・ロシア危機後の世界経済の回復とユーロ安による輸出の拡大をうけて順調な景気回復局面に入った。ただし、2000年の実質GDP成長率は、2.9%と同国としては5年ぶりの高成長となったものの、引き続きユーロ圏平均(3.4%)を下回り、他方、インフレ率と失業率は平均を上回るなど、依然として域内における劣勢を挽回するには至っていない(第1表)。また、足元では、米国に端を発する世界景気減速の中で2001年第2四半期の成長率が前期比マイナス成長となるなど、再び失速の危機に瀕している。イタリアの相対的な低成長の背景としては、ユーロ参加に向けた財政・金融の引き締めが他国比厳しいものであったこと、域外輸出への依存度が高くアジア・ロシア危機の影響が大きかったこと、労働力参加率の低さや失業率の高さにみられる労働市場の構造問題が個人消費を中心とする内需の回復を遅らせていること、などが挙げられるが、加えて、域内でも最大といわれる地域格差の存在、つまり南部経済の著しい立ち遅れが、同国にとって成長の足枷になっているとみられる。

1.南北地域格差の現状

 イタリア半島南部及び島嶼部からなる南部地域は、98年時点で全国人口の36%を占めるにも関わらず、経済規模でみると全国GDPの24%を生産するにとどまり、南部の一人あたりGDPは中・北部の約55%に過ぎない。また、両地域の成長率をみると、80-89年の年平均実質GDP成長率は概ね同水準であったものが、90-99年は中・北部の1.5%に対して南部は0.9%にとどまり、一人当たり実質GDP成長率も格差が拡大するなど、南部の停滞が鮮明となった(第2表)。これは、雇用環境の悪い南部では個人消費が中・北部よりさらに低調だったこと、ユーロ参加に向けた緊縮財政が公共事業に頼る南部経済を一段と落ち込ませたこと、などが原因とみられる。
 さらに雇用について詳しくみると、2001年第1四半期の失業率は、北部で4.1%とほぼ完全雇用に近いのに対して、南部は20%と全国平均の約2倍に達している。パートタイム・派遣労働の促進などの労働市場改革が一定の成果を上げたこともあって、中・北部では95年以降、趨勢的に失業率が低下してきたが、南部では98年まで失業率の上昇が続き、本年に入ってようやく95年時点の水準まで回復したに過ぎない(第1図)。また、雇用関連指標は、いずれも南部の相対的な低雇用・高失業を示しているが、特に女性の労働力参加率の低さと若年層失業率の高さが顕著である(第3表)。こうしたなか、賃金・所得水準の南北格差は、89年から98年までの間に一段と拡大している(第4表)。

2.南北格差発生・拡大の背景
 
 このような地域格差発生の背景には、1860年代のイタリア統一以前からの歴史的・政治的経緯があると言われる。統一以前の歴史的・社会的な相違(南部では封建制度に由来する大土地所有制が広くみられ、社会階層間の格差が大きく、識字率も低かった)や、統一後の政策(イタリア統一を主導した北部の諸制度がそのまま導入され、発展途上の南部の地場産業が衰退した)によって、南部の近代工業化は大きく遅れをとった。第2次大戦後には農業改革が実施され、大規模な公共投資などの開発政策が執られたものの、南部経済への波及効果は小さく、また、輸送・電力・金融などのインフラ整備の立ち遅れも南部の発展を阻害した。さらには、先述の通り、EMUに向けた緊縮財政も90年代の南部経済停滞の一因となった。
 この他、南北の産業構造の相違や労働市場の特質も、格差の拡大に大きく影響したとみられる。戦後の南部工業化の過程では、国営企業による資本集約的投資が重視されたため、中小企業や自営業の比率が高い北部に比べて雇用創出が少なかった。また、地域別の就業構造を比較すると、南部では生産性が低く就業者数の減少が続く農業・建設業の割合が高く(第5表)、また、サービス部門についても、南部では依然として小売業が中心となっており、金融など高付加価値産業の発達は遅れている。また、労働市場の問題点としては、@地域毎の生産性格差に見合わない全国一律の賃金協約が、南部の労働コストを上昇させて企業の投資・雇用を阻害したこと(ただし、現在では全国レベル(産業別)―地域・企業レベルの二段階交渉となり、徐々に柔軟性を増している)、A南部から北部への労働移動が低水準にとどまること(家賃規制などによる北部の住宅コストの高さ、失業保険制度が未整備なことによる転職リスクの高さから年金暮らしの親元に依存する傾向がある、などのため)、B地下経済が「非正規労働者」として労働力を吸収していること(統計局等の試算によれば、就業者全体「正規+非正規」に占める非正規労働者の割合は、全国平均2割強に対して南部では3割強に達する)、などが挙げられよう。

3.政労使の取り組みと南部活性化の兆し
 
 以上に見てきたような南北格差に起因する非効率な経済活動のために、雇用情勢の改善や国内市場の拡大が進まず、イタリア全体として高失業・低成長が続いてきた、との指摘は多い。こうしたなか、南部の労働市場柔軟化と雇用創出に向けて、政労使の新たな取り組みが見られる。97年、深刻な不況地域に対しては、政労使協同で投資促進・雇用拡大を図る特別計画を導入し、全国レベルの賃金協約の適用を一時的に停止することが合意された。また、2000年には、大手労組より物価や不動産価格の安い南部の実情に即した事実上の賃下げやパートタイム労働の規制緩和などの提案がなされた。
 政府も、従来からの南部開発政策の見直しに着手している。98年、財務省の中に「開発結束政策局(DPS)」が新設され、犯罪防止・摘発、直接投資・雇用・職業訓練の動向などのモニターを通じて、開発投資行政の管理改善・効率化が図られるようになった。また、99年には「イタリアの成長」という名の国営企業が新設され、既存の開発プロジェクトの整理・見直しと関連の国営企業・機関の再編を行っている。ベルルスコーニ首相率いる新政権については、北部同盟の連立参加、北部出身閣僚の登用、などからみて、経済の中心である北部重視となる傾向は否めないものの、南部政策には今のところ目立った変化はみられない。
 なお、最近は南部でも経済活性化の兆しが現れつつあり、注目される。OECDの国別サーベイは、@96年から98年にかけての企業数の伸び(農業を除く全産業、ネット・ベース)が南部で3.5%と全国平均の2.1%を上回ったこと、Aイタリア全体の輸出に占める南部の比率が91年の8.9%から98年に10.2%へと上昇したこと、などを南部での起業の増加や輸出企業の成長を示すものとして評価している。また、旧国営企業のリストラ進展にも関わらず、景気拡大や中小企業の増加、パートタイム雇用拡大などによる雇用創出を反映して、南部の雇用者数は2001年第1四半期にかけて著しく伸びを高めた(第2図)。
 ユーロ圏内の他国に目を転じると、ドイツも、イタリア同様に東西格差の問題を抱えているが、後発の東部の規模が相対的に小さいことから(人口の19%、GDPの11%)、地域格差が一国の経済全体に与える影響はイタリアの方が大きい。言い換えれば、イタリア経済活性化のためには、南部の底上げが不可欠だといえる。また、労働市場の柔軟化や年金・社会保障制度改革といった構造改革の遂行にあたっても、以上見てきたような南北の成長率・生産性・所得・産業構造等の違いや南部独自の文化的・社会的要因(地下経済のウェイトの高さ、女性の社会進出の遅れ)が、問題を一層複雑にしているとみられ、これらへの配慮が不可欠であることから、域内他国に比べさらに時間を要する可能性が高い。

(9.4 武南 奈緒美)