平成13年(2001年) 5月24日 NO.13  

不安定化するASEAN為替市場と通貨スワップ協定

1. 不安定な展開が続くASEAN通貨(第1図)
 
2.正念場を迎えるマレーシアの固定為替相場制
 
3.通貨安定への政策対応
 


 ASEAN金融市場は総じて不安定な展開が続いている。米国の景気減速や世界的な株式市場の調整局面の中、各国固有の事情も加わって、ASEAN通貨は通貨危機以来の安値水準で推移している。また、こうした周辺環境の厳しさから、マレーシアの固定相場制の変更観測が強まってきている。本論では、特に、インドネシア、タイ、マレーシアに焦点を当て、各国別の事情を踏まえた上で、金融市場安定化を模索する各国別、および地域での取り組みなどをまとめてみたい。

1.不安定な展開が続くASEAN通貨(第1図

(1)相場下落の背景

 アジア金融市場不安定化の要因は、@米国の景気減速を主因にしたアジア諸国の景気減速(ファンダメンタルズ要因)と、A各国の政局不透明感(政治的要因)の2つに大きく分けて考えられる。インドネシアは、IMFなど国際機関との関係悪化やワヒド大統領弾劾を巡る政局不透明感が金利上昇や通貨の下落を招き、さらに財政赤字拡大懸念がルピア安に拍車をかけ、一時、1ドル=12,000ルピアと2年半ぶりの安値水準まで急落した。タイでは、今年初めの総選挙で誕生した景気重視のタクシン新政権に対する期待が一巡し、経済政策の実効性に対する不透明感に加え、タクシン首相の資産隠し疑惑を巡る裁判の動向などから軟調に推移している。マレーシアは、IT関連輸出の鈍化による景気減速や周辺国通貨の下落に伴う固定相場制変更が懸念材料となっている。年初からの各国通貨の下落率は、インドネシアが20%、タイが5%となっており、予断は許さない状況が続いている。

(2)外貨準備は減少傾向

 各国の外貨準備高をみると、インドネシアとマレーシアの減少が目立つ。インドネシアは断続的な為替介入が減少の要因だが、マレーシアの当局は、同国の外準の減少要因について、サービス料支払いや移転支出、証券市場からの流出によるものと説明している。短期対外債務比では、97年末時点はマレーシアの1.4倍を最高に各国とも1倍以下の水準であったのに対し、足元はマレーシアの6倍をはじめ各国とも2倍程度の外貨を確保している。このため、危機時と比較してまだ危険水準とは言えないものの、足元の減少の速度が速いことから今後の動向には注意を要する。
 また、各国の国際収支の動向を分析してみると(第2図)、各国とも通貨危機を境として直接投資の減少に加え証券投資での資本流出から資本収支が流出超に転じる一方、輸出拡大による経常黒字拡大で対外バランスを保ってきた。しかし、足元、海外からの資本回帰が低迷する中、先進国の景気減速に伴う輸出の減少で先行き経常黒字の縮小は避けられない。したがって、各国とも資本流出に歯止めをかけ、いかに海外資本を呼び込むかが、中長期的な対外バランスにとって重要であるといえる。

2.正念場を迎えるマレーシアの固定為替相場制
 
(1) 切り下げ圧力強まるリンギ相場

 こうした中、マレーシアの固定相場変更の観測が高まっている。マレーシアは米国向けIT製品輸出の拡大を追い風にこれまで比較的順調に景気回復を続けてきた。しかし、ここへきて米国の景気減速を背景に輸出が急減速しており、国内産業界の一部から切り下げを求める発言が出されるなど、内部からも切り下げ圧力が強まっている。しかし、現時点での当局のスタンスとしては、マハティール首相が「周辺アジア通貨が20%変動しない限り、固定レートを継続する」との98年の規制導入時からの発言を繰り返すなど、当面の制度変更の可能性を否定している。実質実効為替レートで実際の為替相場の変動率を比較してみると(第3図)、固定相場を導入した98年9月当時と比べて、輸出競争相手となるタイ・バーツやフィリピン・ペソの対リンギでの下落率は15%程度と、いずれも20%には満たない。
 しかし、制度変更の観測が資本流出を引き起こし、資本規制を緩和した当時以上の資本流出が発生している(第4図)。また、マハティール首相が98年資本規制導入時の中銀総裁をアドバーザーに起用したことや、ダイム蔵相が4月下旬に2ヵ月間の休暇に入るなど、最近の政権内部の動きも様々な憶測を呼ぶ一因となっている。

(2) 制度変更の可能性とリスク

 制度変更を議論する上で焦点となるのは、タイミングと方法の問題であるといえよう。現行の1米ドル=3.8リンギの固定相場を変更する場合の選択肢としては、相場の水準を切り下げた上でのリペッグやバスケット通貨制などが挙げられる。もっとも後者は、一定の変動を認めることになるため、金融市場の環境が悪化している現時点での採用は難しいと考えられる。
 タイミングを見極める上で考慮を要するのは、マレーシアの国際信認の低下や周辺国通貨の下落加速など、誘発する様々なリスクの可能性であろう。当局が可能性を否定しているにもかかわらず突然変更が行われた場合、海外投資家の資金回帰をさらに遅らせかねない。また、足元世界的な景気減速局面にある中、期待するほど輸出が伸びない可能性は高い。逆に、リンギの制度変更がアジア市場全体の混乱を招き、周辺国通貨のさらなる下落につながれば、リペッグの効果が減殺されてしまう可能性もある。
 今後、制度変更が現実のものとなるか否かは、輸出と景気の減速度合い、および周辺国通貨の動向によると考えられる。特に、輸出の減速が長引き国内企業に対するマイナスの影響が強まるにつれ、変更の可能性が高まってくるといえよう。足元の輸出動向では(第5図)、昨年末からIT関連製品を中心に輸出が伸び悩んでいるが、年末から年初にかけての2、3ヵ月間はイスラム教のラマダンや中華圏の旧正月などの特殊要因が大きいため、しばらく状況を見極める必要があろう。ただ、進出外国企業の中には、HDD最大手のシーゲート・テクノロジーが工場閉鎖を発表するなど既にリストラに踏み切っている企業もみられる。今後、そうした動きが本格化するようであれば、さらに変更圧力が強まってこよう。

3.通貨安定への政策対応
 
(1)個別国の政策対応

 こうした状況下、各国とも景気対策を打ち出しファンダメンタルズ面からも積極的な政策対応を行っている。タイのタクシン新政権は、総額1兆3,000億バーツの金融機関の不良債権を買取るのための国営資産管理会社(TAMC)設立へ向けた作業を進めるなど、選挙戦で打ち出した公約を矢継ぎ早に実行に移している。マレーシア政府も、個人消費の拡大や中小企業向け資金支援策の拡大などを盛り込んだ30億リンギ(約8億ドル)の追加景気刺激策を3月末に発表した。また、両国とも株式市場振興策を打ち出し、市場活性化を促すことで資本を呼び込もうという取り組みも行っている。ただし、金融緩和が期待されるにもかかわらず、通貨防衛という意味で利下げ幅が限定されており、インドネシアはインフレ懸念もあって金利高め誘導を行っている。
 また、昨年末以来、タイとインドネシアでは投機的な通貨売り圧力から自国通貨を守ることを狙って為替取引規制を導入している(第1表)。しかし、規制による流動性の減少が、逆にボラティリティを高める結果となっており、各国とも規制導入後に為替下落が加速している。特に、インドネシアでは、ルピア先安懸念からドル建ての債務返済に絡む国内投資家や実需のドル買い需要が急増しており、ルピア安を加速する要因となっている。

(2)地域での取り組み――ASEAN通貨スワップ協定

  「通貨スワップ協定」は、一時的な外貨不足に陥った国に対し市場介入に必要な外貨の融通を行うもので、域内通貨の安定化を図り通貨危機を未然に防ぐことを狙っている。具体的には、@2国間で直接外貨を融通し合う(スワップ取り決め)、A外債を売却し一定期間後に買い戻す(レポ取り決め)――の2つがある。多国間協力の性格ものであるが、あくまで2国間の協定が基本になっており、それを網の目状に張り巡らすことによって、通貨の安定を図るという構想になっている(第6図)。現在、ASEAN加盟10ヵ国に日本、中国、韓国の3ヵ国を加えた13ヵ国(ASEANプラス3)が協議に参加している。豊富な外貨準備を保有する日中韓の3ヵ国を加えることにより、より実効性を高めるものになることが期待されているといえよう。
 「通貨スワップ協定」は、昨年5月にアジア地域の通貨安定に向けた取り組みを行うことを合意した「チェンマイ・イニシアティブ」の具体化となる。「チェンマイ・イニシアティブ」の発想自体は、「アジア通貨基金(AMF)構想」がベースになっている。同構想は、アジア通貨危機の際に日本が提唱したものの、米国などの反対で実現に至らなかった経緯がある。AMF構想はアジア各国が協力して1,000億ドル規模の基金を設置、為替市場への介入や一時的な外貨不足を補う枠組みとなっていた。
 チェンマイ・イニシアティブでは、ASEAN5ヵ国が結んでいる通貨スワップ協定(1977年)をASEAN10に拡大し、さらに日・中・韓と個別に2国間協定を結ぶ方針が示された。昨年11月には基本的な枠組みについて合意し、その後個別に2国間協定を結ぶ具体的な作業を進めている。尚、融資国側の要望で資金の使途の明確化やモラル・ハザード防止の観点から、融通額の10%を超える部分についてはIMF融資と連動することが条件となっている。これに対し、IMFの関与の度合いを低めたいマレーシアなどとの調整が難航し、今年4月に行われた「ASEANプラス3」蔵相会議では、IMFの融資を条件とする融通額の割合を縮小する方向で話し合いが行われ、声明には、「各国のファンダメンタルズ、資金需要などを十分の考慮する」という柔軟な対応を行うことが盛り込まれた。結局、5月の「ASEANプラス3」蔵相会議では、日本は、タイと30億ドル、韓国と20億ドル、マレーシアと10億ドルの協定を結ぶことでそれぞれ合意した。このほか日本は、中国やフィリピンとも協定締結へ向けた交渉を行っている。(第2表

むすび

 アジア金融市場が安定を取り戻すには、政局の安定とファンダメンタルズの改善が不可欠である。ただし、米国を中心に世界的な景気減速局面にある中、通貨危機後に輸出に依存した経済回復を辿ってきたASEAN諸国が、独力で景気回復を図るには限界がある。また、金融市場不安定化の影響を抑制する目的で規制強化の方向へ金融制度を整備することは、海外からの大規模な投機的な動きに対する予防策としては意味がある。しかし、そうした手段では、自国のファンダメンタルズの悪化を背景にした経常取引や実体的な資本取引での自国通貨相場の需給的悪化を食い止めることはできない。それはタイやインドネシアの例が示す通りである。
 こうした中、緊急時の域内協調的な対応策としてASEAN通貨スワップ体制という枠組みの必要性が再認識されよう。金融市場が厳しい局面を迎える中、同体制の早期成立が求められるが、各国の利益と実効性とが両立した体制を確立できるか今後を見極める必要があろう。

(5.10 八島 亜希)