平成13年(2001年) 2月 1日 NO.5  

タイの総選挙結果と今後の経済政策

1. タイ愛国党が第一党に躍進
 
2. 予想される新政権の概要
 
3.今後の政局
 
4.期待と不安が交錯する愛国党の経済政策
 
むすび
 


  2001年1月6日、タイで行われた下院選挙(定数500)の結果、タクシン党首率いる新党・タイ愛国党がチュアン首相率いる与党・民主党を大きく引き離し、予想を上回る勝利を果たすことが確実となった。その後の政局の焦点は、愛国党を中心とした連立工作と閣僚人事、および新政権の具体的な政策内容に移っている。以下では、今回の選挙結果と今後の経済政策について簡単にまとめてみた。

1. タイ愛国党が第一党に躍進
 
(1)選挙結果
 今回の総選挙は、97年に制定された新憲法下での初の下院総選挙で、従来の中選挙区(393議席)が改められ、小選挙区比例代表並立制(定数500:小選挙区400、比例代表100)が導入された。
 内務省の非公式開票結果(19日時点)によると、各政党の獲得議席数は小選挙区・比例代表を合わせて、愛国党258、民主党126、国民党38、新希望党35、国家開発党28、社会行動党1などと、愛国党が2位以下を大きく引き離し第一党に躍進している(第1図)(注)。一方、今回の総選挙は、愛国党と民主党の事実上の一騎打ちだったことなどから、小規模政党の中には1議席も獲得できなかった政党もみられる。なお、中央選挙管理委員会の推定では投票率が約80%と、前回の62%を10ポイント近く上回ったことから、有権者の関心の高さが伺えよう。

(注) その後、タイ中央選挙管理委員会が発表した23日時点の確定議席数(438議席)によると、不正選挙による当選取り消しなどにより、それぞれの確定議席数は、愛国党224、民主党121、国民党36、新希望党27、国家開発党19、社会行動党1などとなり、愛国党は過半数を若干下回る結果となっている。当選取り消しなどにより投票やり直しとなった62議席は、1月29日に行われる再選挙で確定される見込みとなっており、愛国党の単独過半数はその結果に左右される。

(2)愛国党の勝因
 愛国党の勝因は、より広くタイ国民の期待を集めることに成功したことであるといえよう。今回の選挙の最大の争点は経済政策にあった。愛国党は、農民に対する3年間の債務返済猶予・政府による肩代わりや農村振興策などを訴え、タクシン氏の出身基盤である北部や東北部を中心に順調に議席数を伸ばした。特に、タイでは労働人口の約4割が農民であるため、農村の有権者の取り込みは選挙結果に有利に働く。また、タクシン氏のこれまでのビジネスでの成功に加え、公的AMC(資産管理会社)設立による金融機関の不良債権処理構想などは、伝統的に与党・民主党の地盤であるバンコクの票も含めて変化や実行力を求める都市中間層の取り込みにも成功した(第1表)
 一方、チュアン首相率いる与党・民主党は、過去3年間の実績を強調し、政策の継続性を訴えてきたが、通貨危機から3年以上経過するにもかかわらず経済回復に対する実感が薄いことなどから支持者の多くが愛国党に流れ、議席数を伸ばすことができなかった。

2. 予想される新政権の概要
 
(1) タクシン連立政権
 愛国党の第一党への躍進が確実となった6日以降、タクシン氏は連立工作の動きを活発化させている。同氏は、下院での各種法案の安定決議が容易となるほか、301以上の議席数が必要な内閣不信任案提出の動きを阻止できる320議席程度を安定多数とみて連立政権を樹立したい考えである。現時点では、チャワリット元首相率いる新希望党の連立政権参加が有力視されている。その他の連立候補としては、バンハーン元首相率いる国民党も浮上しているが、連立相手は少数にとどまるとみられ、前チュアン首相の6党による連立政権と比べて安定の度合いが増すことが期待できよう。今後、タクシン氏は、選挙結果が確定するのを待って、2月中旬を目処に組閣を行なう予定である。従って、順調に進めば、3月には新政権が始動する見込みである。主要閣僚ポストは愛国党で占められ、愛国党色の強い政権が誕生することになろう。

(2)タクシン氏の横顔
 タクシン・チナワット氏(51)は、タイ北部チェンマイ県の華人系資産家の家に生まれ、警察官僚を経て87年に実業界に転じた。携帯電話や通信衛星事業で成功し、一代で巨大な新興財閥(シン・グループ)を築き上げた。同氏は、この間に22億ドルもの資産を築き上げたとみられる。下院議員を経て94年に外相就任(チュアン政権)後、95年(バンハーン政権)、97年(チャワリット政権)には副首相を務めた。98年にタイ愛国党を創設し、資金力を背景に与野党の現職国会議員を大量に引き抜き入党させるなどして勢力拡大に全力を注いできた。通信事業を通じて米ブッシュ新大統領や中国の江沢民国家主席とも親しいとされている。

(3) 新党・愛国党について
 タクシン党首は98年7月の新党設立後、有力な学識者や前官僚、前職議員の取り込みや現職議員の引き抜きなどを行い、党基盤を整えることに努めてきた。特に、同党の勢力拡大にとって追い風になったのは、昨年夏場以降のタイ政局の昏迷である。現チュアン民主党政権に対する不満の高まりなどから、早期解散総選挙を求める野党2大勢力(新希望党、社会行動党)の100名近くの議員が、下院での重要法案審議を前に辞職する事態に陥った。一方、民主党内部では、サナン前幹事長(前副首相兼内相)が汚職に絡んで5年間の公職停止処分になり、求心力が低下していたとみられる。
 こうした中、議会での活動実績がない新党・愛国党は、将来のIT時代に向けたクリーンな政党というイメージの普及に努めた。同党は、他党の現職議員に移籍を働きかけ、与野党双方からの議員の引き抜きに成功した。野党第1党の新希望党からは、党内最大派閥で前幹事長のサノ氏が率いるワンナムイェン派が参加したほか、野党第2党の社会行動党や与党民主党の若手議員の中にも、愛国党への移籍があったとみられる。
 なお、愛国党の政策目標は(第2表)、金融機関の脆弱性と民間・公的部門の債務問題がタイ経済のファンダメンタルな問題との認識から、まずはこれらの部門の再生を図りタイ経済の持続的な成長を目指すということが大きな柱となっているようである。しかし、金融システム再生のための対銀行規制の適用凍結の可能性や、為替政策の主眼として輸出拡大を挙げるなど、中長期的な経済システム安定よりは、短期的な国内経済の回復を目指す内向きな姿勢を垣間見ることができる。

3.今後の政局
 
(1)当面のスケジュール(第3表)
 新憲法の規定に基づき、政府から独立した中央選挙管理委員会(5人の委員で構成)が選挙の監視にあたっている。不正行為が発覚すれば当選は無効となり、選挙区毎に再投票が実施されることになる。新憲法では「総選挙後30日以内に国会を召集する」旨規定されているため、全議席が確定し下院が正式発足するのは2月6日頃になる見通しである。もっとも、昨年3月に行われた新憲法下初の上院議員選挙(定数200)では、選挙後の不正発覚に伴う再選挙を4度繰り返し、約5ヵ月後の8月1日にようやく国会が開会された経緯を鑑みると、今回の定数500の下院選挙後、1ヵ月後に予定通り国会開会にこぎつけられるかは不透明である。国会の開始が遅れれば政治の空白期間が長引き、すでに減速傾向が現れ始めているタイ経済の回復が遅れることが懸念される。

(2)タクシン氏の資産隠し疑惑
 一方、タクシン氏は、97年の副首相時代に23億バーツ(5,300万ドル)もの資産に関する虚偽の報告書を提出したという疑惑で憲法裁判所に起訴されている。同氏は技術的なミスによる申告漏れとして全面的に争っていたが、国家汚職防止委員会(NCCC)は、昨年12月26日に同氏を「有罪」と認定、1月16日には正式に憲法裁に起訴した。
 タクシン氏は、NCCCの有罪認定にもかかわらず、「総選挙で勝利は自分への信任」として首相就任の意向を崩していない。しかし、仮に首相に就いたとしても、憲法裁による裁定で有罪が確定すれば、5年間の公職追放処分になるため、短命内閣となる懸念がある。
 しかし、同氏の虚偽申告の期間が新憲法の改正時期にかかっていることや、その後NCCCの3人の委員(議長を含む)が、違法な私企業の株式保有に絡んで辞任していたことが明らかになり、同委員会の判断の正当性が問われる事態になっていることなどから問題が複雑化している。このため、憲法裁による同氏の裁定までには、当初数ヵ月とみられていたが、最近の憲法裁の発表では少なくとも1年以上かかる見通しとなっている。また、5年間の公職追放は最後に公職に就いていた時点から開始されるとの解釈もあり(タクシン氏の場合97年11月から)、この場合、タクシン氏は2002年末には公職に復帰できることになり、憲法裁の裁定が長引けば任期4年を全うする可能性も否定できない。

4.期待と不安が交錯する愛国党の経済政策
 
 選挙直後の株式市場の急反発や不安定ながらバーツ相場の下げ止まりにみられるように、市場は概ね今回の選挙結果を歓迎しているようだ(第2図)。特に上昇が目立つ金融株や通信株の昨年末からの上昇率は、それぞれ約27%、19%(1月15日時点)と、タクシン氏の首相就任により金融機関の不良債権処理が進み、経済回復が実現するという楽観的な雰囲気が読み取れる。ただ、こうした状況が長続きするか否かは、今後の政局の動向に左右されよう。
 今後、タイが海外投資家の信認を獲得していくためには、政治の安定と経済改革の実行が不可欠な要素となっているが、この点で懸念すべき要因がいくつか挙げられる。
 第1に、新政権がいつまで続くのかという不透明感が払拭されていない。首相就任後にタクシン氏が政界追放になる場合のシナリオについては意見が分かれている。楽観論としては、今回の選挙戦での愛国党の圧勝からみて同党の政権基盤は固く、仮にタクシンが政界から追放されても、愛国党主導の政治運営という基本は変わらないという見方である。一方、悲観論としては、タクシン氏抜きでは連立の枠組みが崩れ再び政局の混乱に陥るという見方である。すなわち、愛国党はこれまでタクシン氏の資金力で既存政党から党員を引き抜き急速に勢力拡大してきた新興政党であり、同党に対する支持は、タクシン氏がビジネスで成功してきたように政治でも成功するだろうというカリスマ的人気によるものであるという考えである。
 第2に、タイの経済改革が進むのかという問題がある。今回の選挙戦の中でタクシン氏は、農民の債務返済猶予や公的資金による不良債権の買取りなど、次々と経済政策を打ち出したが、財政的裏付けがあるものではなく人気取りのためのポピュリスト的政策であるとの批判が高まっている。こうした政策は、通貨危機後、IMFの指導下で民間部門の自助努力を促し健全財政を目指してきたチュアン政権の経済改革の逆戻りにつながりかねないとの懸念が根強い。新政権の経済政策に対する海外投資家の懸念は、(1)外資に対するスタンス、(2)財政問題の2点に分けて考えることができる。

(1)外資規制は強まる方向へ
 まず、海外投資家の懸念を強める要因となっているのは、タクシン氏が首相に就くことにより政界と財界の癒着が深まるのではないかということに加え、外国企業重視だった民主党の政策が軌道修正され、自由な企業活動に制約が加わる可能性が高まっていることである。タクシン氏は、これまでの選挙戦の中で経済関連11法案の見直しについて言及している。これらの法案は、現チュアン政権が通貨危機後に不良債権処理やビジネス環境の近代化のためにIMFの指導下で整備を行なってきたものである。例えば新破産法は、75%の債権者の同意で再建計画を実施できるが、少数者や債務者の意見が反映される内容に改めるべきとの考えを示している。また、外国資本の自由な参入を認めた外国人事業法にも一定の制約を加える必要性を強調している。この背景には、通貨危機後、外国企業によるタイ企業買収や、外資系大型店舗の勢力拡大で地元の中小小売業者の倒産などが相次ぎ、国民の不満が高まっていたことが挙げられる。具体的には、国有化したナコントン銀行がスタンダード・チャータード銀行(英)に買収されたほか、ラダナシン銀行がユナイテッド・オーバーシーズ銀行(シンガポール)傘下に入った。また、仏大手小売業カルフールや英系のロータスのタイ進出などが地元の中小小売業者にとって脅威となっている。既にタクシン氏は、国有化2行(バンコク・メトロポリタン銀行とサイアム・シティ銀行)については、外資への売却は行なわない方針を示している。しかし、通貨危機後、容易には金融機関の買い手が見つからないという状況下、こうした政府の姿勢は金融機関の債務再編をさらに遅らす要因になりかねないといえよう。

(2)財政悪化への懸念
 一方、タクシン氏が選挙戦の中で打ち出してきた公約を実現するためには、急激な財政の悪化が予想される。通貨危機後の緩慢な経済回復から一転、減速傾向がみられる足元の状況に配慮すると、他のアジア諸国の例に習って政治主導で改革を進める方がタイの経済回復に即効性が期待できるという一面も否定できない。問題は公約実現に必要な歳出の財源をどう捻出するかということになろう。現時点では、経済政策の具体的内容・実施時期が明らかになっておらず、財政負担がどの程度拡大するのかは不透明である。タクシン氏は、財源については、公共事業の見直しと国債の発行を想定しているが、公共事業の見直しにより政府が節約できる歳出は約400億バーツ程度で、農村振興のために予定されている700億バーツにも満たない額である。さらに、公的AMCによる不良債権処理については、時価/簿価のいずれで買取るのか、どの範囲まで対象とするのか(再不良化した債権も含めるのか)等によっても大きく異なるが、財政負担が膨大なものになることは確実とみてよいだろう。仮に2000年11月時点の不良債権全額が対象になる場合、約1兆バーツ以上の資金が必要である。これは、2001年度のタイの歳出予算総額(9,100億バーツ)を上回る規模である。不足分を国債の大量発行で賄う場合、公的債務の増加はバーツ安を加速される恐れがある。
 通貨危機後、タイの公的債務の急速な増加は懸念材料となっている。タイは伝統的に対外債務の増加には慎重で、法的制約もあったことなどから、公的債務のGDP比は危機前の96年末で20%以下にとどまっていた。しかし、危機後の歳出の増加で2000年8月末時点では約60%の水準にまで上昇している。公約通り経済政策を実行するために国債が発行されれれば、同比率は80%以上に急上昇する可能性も否定できない(第4表第3図)
 ただし、こうした懸念に配慮し、タイ中央銀行は金融緩和政策を継続する方針を示す一方、次期新政権に対して財政規律を守るよう注意を促していることや、タクシン氏本人も新政権樹立後にIMFと経済政策の内容について協議する意向を示していることなどから、財政規律の急激な悪化にはある程度の歯止めがかかることが期待できよう。しかし、そうなれば逆に公約が果たされないことになり、国民の政府に対する信頼低下を招き、さらにタイ経済を悪化させることが懸念されるため、難しい政策運営が迫られているといえよう。

むすび
 
 今後のタイ経済の行方は、新政権および具体的な政策がまだ固まっていないだけに、当面は政局の動向を見極める必要があろう。ただ、通貨危機後にIMFの指導下で進められてきた経済改革の流れとは異なる方向へ経済政策が展開する公算が高い。通貨危機の直後は、資本規制を行うなど経済の"グローバリゼーション"の流れに逆行するような独自の政策をとったのはマレーシアのみであったが、昨年秋以降、タイやインドネシアでも為替取引に関する規制を強化する動きがみられる。また、タイ愛国党が打ち出している外国資本の現地企業に対する買収攻勢への国民的反発を意識した政策についても今後の展開から目が離せない。政府主導による不良債権の処理の必要性と財政負担問題、海外直接投資導入の必要性と外国資本規制問題等、対立する政策課題の間で新政権がどのような舵取りを行なっていくかが注目される。

(1. 24 八島 亜希)