平成13年(2001年) 2月 1日 NO.4 

日本・シンガポール自由貿易協定(FTA)と地域統合の進展

1.日本・シンガポール自由貿易協定締結交渉の経緯と概要
 
2.FTA検討の背景
 
3.期待される経済効果
 
4.アジアの貿易自由化の展望
 


 2000年10月、日本・シンガポール首脳会談において、両国首脳は翌2001年1月に日本とシンガポールとの間で自由貿易協定(FTA)の締結交渉を開始することで合意した。日本は、これまでWTOを中心とした多国間交渉を通じた自由化促進を原則としており、二国間協定締結に向けて本格的に始動するのは初のケースとなる。 以下では、日本・シンガポール自由貿易協定の内容と締結交渉に至った背景を概観し、これを踏まえて今後を展望していく。

1.日本・シンガポール自由貿易協定締結交渉の経緯と概要
 
 日本とシンガポールのFTAの発端は、99年12月の日本・シンガポール首脳会談にさかのぼる。シンガポールのゴー・チョクトン首相の強い要望に応え、当時の小渕首相は「WTO新ラウンドの早期立ち上げに係る協力を補完するため、日本とシンガポールのありうべき自由貿易協定に関する諸方策を産官学の専門家で検討させる」ことで合意した。
 これに基づき、2000年に入り日本・シンガポールの産官学共同で5回の会合が開催され、9月に「日本・シンガポール新時代経済連携協定について(Japan-Singapore Economic Agreement for a New Age Partnership)」と題した報告書がまとめられた(第1表)。報告書が経済連携協定という名称を使用したのは、この協定がモノ、サービスの貿易に加えて、人、資本、情報の国境移動を促すもので、伝統的な自由貿易協定の対象範囲を超えているという認識によるものである。
 主な内容を貿易面からみていくと、まず、関税自由化に関しては、WTO協定が自由貿易地域に求める「実質的に全ての貿易」について関税を撤廃するという条件を考慮しつつ、特定品目のセンシティビティに対しては、特別に例外としたり、自由化移行期間を長くすることなどで対処するとしている。これは特定品目として日本の農産物を念頭に置いたものである。また、シンガポール経由のASEAN製品流入に警戒を示す日本側への配慮から、第三国からのモノの迂回を阻止するため、原産地規則を策定することも規定している。ビジネス・コストの削減に通じる、貿易関連手続きの簡素化、電子化や相互承認協定も盛り込んでいる。
 投資に関しては、将来他国のモデルになり得るような模範的な投資ルールの策定を目指している。それだけに、内国民待遇、最恵国待遇をはじめ、ルールの透明性、外国送金の自由、紛争解決、ローカル・コンテンツ等の経済活動を歪曲する効果をもつパフォーマンス要求の禁止など多様な要素を含んでいる。
 人に関しては、知識集約型経済における競争力の源泉としての人的資源の重要性に鑑み、専門家の移動に関わる手続の簡素化や人材養成面での協力を重視している。研修や専門家交流、教育機関間の共同プログラム、ワーキング・ホリデーなど幅広い交流が期待されている。また、周辺の途上国における人材養成への支援にも言及している。
 情報通信に関しては、基本的に産業主導、技術主導ながら政府の果たすべき役割も重要であるという認識から、この協定のなかでも最重要項目として位置づけられている。通信インフラのセキュリティー強化、個人データ・プライバシーの保護、電子商取引関連法整備、情報通信分野における競争管理などで協力し、電子政府、電子商取引の発展を志向している。
 報告書の進言に従い、両国首脳は2000年10月の会談で、2001年1月にFTA交渉を開始し、遅くとも2001年12月31日までに交渉を終了することを決定した。

2. FTA検討の背景
 
(1)地域統合の進展とWTOに基づく自由化の遅れ
 日本とシンガポールがFTA締結の早期実現に踏み出した背景には、貿易を巡る世界情勢の大きな変化がある。
 まず、NAFTA、EUに代表される地域統合の流れがある。欧州ならびに米州におけるFTA拡大傾向は顕著で、この結果、FTAに基づく貿易量が世界貿易に占めるシェアは、93年から97年までの期間をとってみると平均42%に達している。かつては、地域統合は経済ブロック化を通じて世界貿易を阻害するものと考えられており、日本政府はこうした立場をとっていた。しかし、自由貿易圏内の貿易・投資の活発化や競争強化に加え、グローバル化に伴う自由貿易圏外との相互依存の強まりなどから、WTOに整合的なFTAは必ずしも内向きにならず、むしろ世界の貿易自由化を推進する効果があるという認識が高まりつつある。
 こうした世界的な地域統合の潮流のなかで、アジアにおける自由貿易圏構築は遅れていた。APEC(アジア太平洋経済協力会議)は94年に先進国は2010年までに、途上国は2020年までに貿易・投資を自由化するという長期的な目標をボゴール宣言に盛り込んだが、その後の自由化実現の進展は満足すべきものではない。加盟国がアジア諸国に加え、オセアニア、北米、中南米、ロシアと21カ国・地域と多岐にわたるため利害関係が複雑化し、WTO同様実効ある合意が困難になっているという難点もある。
 こうしたなかで、日本は世界の主要国のなかで、中国、韓国と並んで自由貿易圏に参加していない数少ない国として、孤立化によるデメリットが懸念されるようになった(第1図)。シンガポールは、AFTA(ASEAN自由貿易地域)で2002年に域内関税を5%以下にするという予定はあるものの、欧米のダイナミックなFTA進展を考慮に入れれば、アジアの自由貿易圏をより充実したものにする必要性を強く認識していた。そこで、シンガポールは、99年以降世界各国にFTA締結に向けて積極的に働きかけ、2000年11月にはニュージーランドと正式締結に至った。米国とも政権移行前の締結を目指して、2000年12月以降活発な交渉が続けられてきたが、間に合わず、結局、ブッシュ新政権に持ち越された。その他、メキシコ、カナダ、オーストラリア、チリ、インド、韓国などともFTAに関する交渉や共同研究で合意している。
 また、WTOを通じた貿易自由化が難航していることに対する失望もある。94年のウルグアイ・ラウンド終了後の新ラウンドはいまだに交渉立ち上げに至っていない。加盟国の立場の違いが大きく、交渉の枠組や議題すら決定できない状況である。99年12月にシアトルで開催された2年に1度のWTO閣僚会議に期待がかかったが、結局、決裂した。しかも、シアトルには労働組合を含むNGOが世界中から押し寄せ、2万人もの抗議行動の結果、店舗破損や売上減少で小売店に総額1,000万ドルもの被害が出た。このため、次回の2001年の閣僚会議は開催地すら決定していない。

(2)実現への障害が少ない日本・シンガポールFTA
 FTAは締結国間で貿易障壁を撤廃する以上、貿易障壁の高い分野の取扱いが問題となる。日本の場合は保護水準の高い農業問題が最大のネックとなる。ところが、日本・シンガポール間の貿易では農林水産物が全体に占めるシェアは99年でわずか1.7%と低い。それゆえ、「経済連携協定」報告書のなかでも、関税自由化に関しては、WTOルールが求める「実質的に全ての貿易」について関税を撤廃するという条件を考慮しつつも、農林水産物のセンシティビティに対してはシンガポール側が理解を示している。日本は、韓国、メキシコなどと98年から政府関係機関を通じてFTAに関する共同研究を進めてきたが、シンガポールとのFTA締結が最も早いものとなる見込みである理由は主としてそこにある。

(3)中国への警戒感
 シンガポール側には中国への警戒感がある。中国の成長により、投資先としてASEANの魅力が低下してしまうことを懸念している。90年代半ばから、中国はASEAN全体を凌駕する勢いで、直接投資を吸収している(第2図)。さらに足許では、ASEAN諸国のアジア危機の後遺症からの立ち直りは総じて遅い一方で、中国は世界的な家電・IT機器生産拠点としての地歩を固めつつあり、景気も回復基調にあるのに加えて、WTO加盟を契機に外資へのアピール度を一層高めている。シンガポールは日本を含め多くの国とのFTA締結によりビジネス・センターとして魅力を高める策を急いだと考えられる。

3.期待される経済効果
 
(1)シンガポールとのFTAの直接的効果
 日本にとって初めてのFTAとなる経済連携協定には多くの効果が期待されている。
 シンガポールは日本にとって主要な貿易相手先である(第2表)のに加えて、戦略的パートナーシップを組む相手として望ましい要素を多く持っている。シンガポールは当局が他国に先駆けて有望な産業を育成、良好なビジネス環境で先進的な多国籍企業を誘致する優れた政策手腕が世界的に高く評価されている国である。情報技術分野についても、92年に米国に先駆けて情報基盤整備構想を発表しており、こうした政府の迅速な取組みが奏功して、アジアのなかで最も情報化が進んだ国という評価を受けている。電子政府という点では、米国をも凌ぐ水準に達しているといわれている。従って、政府、ビジネス界双方のレベルにおいて、IT革命と経済のグローバル化が進む現在の環境下、シンガポールは日本にとって重要な戦略的パートナーになり得る。
 それだけにFTAに基づき、広範な分野でシンガポールとの連携が進むとすれば日本にとって得るべきものは多いと考えられる。
 すでに両国の関税率は相対的に低いことから、関税引下げに伴うメリットは大きくない。しかし、自由化の対象が関税のみでなく、不必要な貿易障壁の低下、物品、サービス、投資、情報および人の自由な移動を含む広範囲に及び、そこから、自由化の利益の実現が期待される。
 また、両国によるルール、基準、手続、ビジネス慣行の調和は、民間部門に利便性と予測可能性を与える。特に、電子商取引、税関手続、製品の試験・証明、商業上の紛争処理、競争政策における国際協調モデルを構築することで、ビジネス・コスト削減、競争促進、経済効率化の促進、消費者の福利の向上に結び付ける効果も見込める。
 こうした利益実現を他国にアピールすることで、自由化を促進し、多角的貿易体制を補完するとともに国際的に存在感や発言力を強めることも期待される。
 加えて、両国で市場拡大、規制改革により自由な経済活動の場が広がる一方で、競争強化に伴い競争力のない経済要素に対する改革圧力を強める効果もある。日本は国内改革の歩みが遅いという内外の批判が強いだけに、シンガポールが持つ国際性に触発されて、改革の推進力を強化したいという政府の期待も当然あろう。

(2)シンガポール以外の国とのFTA
 シンガポールとのFTAを成功させ、経済メリットを顕現させることができれば、既に検討されているメキシコ、韓国などとのFTA締結にも弾みがつくという期待もある。
@メキシコ
 メキシコに関しては、すでに進出している日本企業からFTA締結に強い要望が出されている。2001年以降、日本企業は欧米企業に比べ競争上不利な立場に立たされるからである。メキシコは、米国、カナダとNAFTAを形成しているため、外国企業は保税加工区(マキラドーラ)に進出し、安価な労働力を活用する対米輸出拠点としてきた。しかし、2001年1月にはNAFTA条約に基づき、NAFTA向け輸出のための原材料、部品、設備の輸入に関しては免税措置は廃止される。これに伴う外国企業の不利益を一部カバーするため、メキシコ政府は産業別に、メキシコで調達が困難なものの輸入には0%または5%の優遇関税を適用する制度を新設した。この優遇税制により、マキラドーラを利用した生産のための輸入のうち9割はカバーされるといわれる。しかし、メキシコとFTAを締結していない日本の企業にとって関税負担増に加えて、相当の事務負担増となることは間違いない。これに対し、米国ならびにEU企業はFTAの恩恵を受ける。NAFTA内では工業品関税率は既にゼロになっており、EUも2000年に締結したメキシコとのFTAに基づき、工業品関税率が漸次引下げられ、2007年にはゼロになる。
A韓国
 韓国とのFTAについては、98年終わり頃に両国政府で気運が高まり、急遽それぞれ研究チームを設立し、検討に入った。特に韓国側は日本の投資の呼び水にする意図もあり、官民をあげて推進気運が盛り上がる一方、日本企業からは競合業種が多いことから、メリットが少ないという反対意見が大勢を占めた。過去の韓国進出において労働争議に悩まされた企業も少なくないこともFTA締結に対する日本側の意欲が低い要因となっている。さらに、最近では、韓国産業界でも、FTAは対日貿易赤字拡大につながるという警戒感が出始めた。
 このように、日韓の間では、競合への懸念はあるものの、FTAのメリットは小さくない。韓国側からいえば、日本からの輸入に依存している基幹部品などの中間財について、直接投資による技術移転を進め韓国内で生産を行えるようになれば、部品の国産化が実現でき課題となっている対日輸入赤字も減少するだけでなく、韓国の企業部門の競争力を高め構造改革の進展に資する。日本側にとっても韓国市場への参入機会拡大のメリットがあり、貿易・投資を通じた日本の産業再生に資するものである。また、日本で比較優位を失ったり、後継者のない事業を、韓国企業に売却し活用できれば、それは韓国にメリットをもたらすだけでなく、日本企業の事業再構築を通じて日本の構造改革を促す。世界的な合併・提携の波のなかで、日韓企業間の合併・提携促進のメリットも期待できる。

4.アジアの貿易自由化の展望
 
 日本・シンガポール新時代経済連携協定は、WTOへの整合性、貿易・投資の自由化のみならず人材養成、情報通信、科学技術など幅広い分野での協力を盛り込み、その経済メリットの実現を通じて、アジアの自由化ならびに協力促進を目指すという志の高さは評価できる。世界的な地域統合の進展に伴い、アジアにおける自由貿易地域形成への気運は高まっている。2000年11月開催のASEAN+3(日本、中国、韓国)首脳会議では、ASEAN、日本、中国、韓国を含む「東アジア自由貿易圏」に関して作業部会を設置することで合意している。むろん、参加国の範囲が広いだけに早期実現は極めて困難とはいえ、日本、シンガポールがFTA網を広げていくことによる後押しの効果は期待できよう。
 ただし、日本はアジア最大の貿易国であるだけに、農業問題等がネックとなり、シンガポール以外の国とのFTA締結が進まなければ、アジアの自由貿易圏形成への推進力は限定されよう。経済協定のモデルを目指すという目論見にも疑問符がつく。この点、農産品や繊維製品の輸入急増に歯止めをかけるためセーフガード発動を政府に申請する動きなどもあり、シンガポール以外とのFTAを展望した場合、懸念が残る。これまで検討してきたとおり、FTAは日本にとって多くのメリットがあり、アジアにおける貿易自由化促進にも貢献する。総合的な国益の観点から、日本には、農業分野を含め、これまで貿易障壁に保護されてきた諸産業に対し、自由化を契機として付加価値向上による競争力強化を促す形で国内調整を進める強い意志が求められよう。

(1.23 萩原 陽子)