平成13年(2001年) 1月29日 NO.3 

アロヨ新政権の発足とフィリピン経済の課題

1.はじめに
 
2.前政権末期の金融市場の混乱
 
3.先行き不透明感を増す実体経済
 
4.今後の展望
 


1.はじめに
 
 フィリピンのエストラーダ大統領は、不正献金疑惑の中辞任に追い込まれ、憲法に従った副大統領の昇格により、1月20日アロヨ新政権が発足した。新大統領は、就任演説の中で貧困撲滅を掲げエストラーダ前大統領の支持基盤だった貧困層の取り込みを図る一方で、汚職・縁故主義との訣別や政治倫理の確立といった前政権時代に失われたフィリピン政治への信認の回復に努めることを強調した。
 市場は、政権交代を好感し為替相場や株価は大きく反発した。しかし、これでフィリピンの国際信認が回復したとは即断できない。新政権が軌道に乗るまでは時間がかかりアロヨ新大統領の政治手腕は未知数であることに加え、フィリピン経済が現在抱える問題は一朝一夕で解決するものではないためである。本稿では、前政権末期の経済情勢の悪化を分析し、期待の高まるアロヨ新大統領が取組むべき経済政策の課題を考察したい。

2.前政権末期の金融市場の混乱
 
 フィリピン・ペソの為替相場は、政府とイスラム勢力との対立激化による社会情勢の不安定化を背景に、2000年初来下落基調にあったが、エストラーダ前大統領の不正献金疑惑が浮上した10月以降下落が加速し、2001年1月17日には終値1ドル=54.55ペソと、2000年初の40ペソ台から1年間で約27%減価した (第1図)。一方金利は、為替防衛のため10月に中銀が翌日物金利を引上げたことから急騰し、その後徐々に下がってきていたものの、大統領無罪の観測が強まった1月半ばに再び上昇した(第2図)。  フィリピンと同様に政治混乱に陥っているタイとの比較でも、通貨の低下や金利の上昇は激しく、フィリピンに対する市場の信認が如何に低下したかがわかる(第12図)

3.先行き不透明感を増す実体経済
 
 これら為替の下落や金利の上昇を背景に、企業や家計の景況感は急速に冷え込んだ。また、7月以降、これまで景気を牽引してきた海外のIT需要に急速な減速感が表れている。物価も、為替の下落や原油価格の高騰によりインフレ懸念が急速に高まっている。加えて、財政赤字も急速に拡大しており、信認の低下に拍車をかけている。このように、フィリピン経済に対する下振れリスクは、内外双方から急速に高まっている。

(1)企業マインドの減退:直接投資認可額の低迷
 フィリピンの産業構造は典型的な輸出加工型であり、外資の流入は経済成長を持続するためには欠かせない。しかし、フィリピンに対する投資が、政治的混乱を背景に先細りする懸念が高まっている。2000年1〜9月の投資は、実行額ベースでみると、政府の電力セクターにおける公共事業等の大型案件などのため、低かった99年からは前年同期比130.7%の伸びとなったものの、水準的には11.8億ドルと、90年代平均に戻ったにすぎない。一方、投資委員会(BOI)とフィリピン経済区庁(PEZA)の認可額合計は、1〜9月に前年同期比▲32.1%と減少しており、直接投資がこの先低迷する可能性を示唆している(第3図)。第4四半期以降は、大統領の弾劾裁判や、再び活発化しつつあるテロ等から、投資マインドはさらに減退している模様である。
 実際に直接投資の先細り懸念を裏付ける動きとして象徴的だったのは、フランスのスーパー・カルフールの投資見送りである。カルフールは、2000年3月から小売業の分野において100%外資による小売業が可能となったことで、同国への進出を検討していた。進出が決定すれば、他の企業による進出にもはずみがつく可能性があっただけに、今回の進出見送りは大きな痛手であった。同時に、国際的に知名度の高い企業の進出見送りであっただけに、フィリピン経済の先行きに対する不安が大きいことを海外投資家に印象づける結果となってしまった。

(2)消費者心理の冷え込み:目にみえる生活水準の悪化
 需要項目別実質GDP成長率の6割を占める民間消費にも陰りが見え始めている。その理由のひとつは、雇用が悪化していることである。失業率が、2000年は11.1%と、アジア危機後の98年の10.1%を上回り、90年以降最悪の水準となった。とくに国民の4割弱が従事する農林水産業の失業が増加している。また、消費者物価が、為替相場の下落による輸入物価の上昇や原油価格の高騰から急速に上昇しているため、実質所得の伸びが抑えられていることも要因となっている(第4図)。生活水準の悪化で特に顕著なのが、原油価格の高騰を背景に上昇しているバス運賃やガス価格である。庶民の足であり、公共料金の象徴として据え置かれてきたジープニーの運賃までもが10月には値上げされた。さらに、マインド面でも、募る先行き不透明感や株安による逆資産効果から低迷している。当面は、これら家計の実質所得の減少と消費マインドの減退に伴う消費性向の低下から、個人消費は減速しよう。

(3)輸出も減少へ
 これまでフィリピン経済の回復を支えてきた外部環境にも変化が見られる。他のアジア諸国と同様に、フィリピン経済も電子・電気機器輸出の拡大が成長を牽引してきた。しかし、フィリピン・ペソの下落に伴い原材料輸入を手控える動きや、需要の高い製品に対する調達不備に加えて、最大の輸出国であった米国経済が減速に向かっていることから、輸出は9月以降2ヶ月連続で前年同月比マイナスになった(第5図)。11月には前年比7.9%と、再びプラスの伸びに回復したものの、IT需要の減速感は拭えず、4割弱を半導体が占めるフィリピンの輸出は低迷が続いている。

(4)金融情勢の悪化:不良債権比率の上昇
 フィリピンは、銀行の自己資本比率や貸し倒れ引当金が高く、アジア通貨危機の際にも比較的ダメージが軽かったため、金融情勢はそれほど問題視されてこなかった。しかし、ここにきて、金利の急騰や為替の下落に伴い金融情勢も悪化しており、格付け機関が相次いで同国の格付けや個別金融機関の格付けを下げている。
 不良債権比率は、アジア危機以降、金融機関の慎重な貸出姿勢が続いており、貸出残高が伸びない一方で、金利上昇に伴う実体経済の悪化から不良債権残高が拡大しているため、上昇している(第67図)。今後も金利の高止まりと輸出の減速の中で、実体経済の環境は一段と厳しくなっており、不良債権残高は更に増える可能性が高い。
 今のところ金融システム全体が危機に発展することは考え難いものの、個別の金融機関で状況は悪化しているようだ。ムディーズに格下げされた銀行のひとつであるフィリピン・ナショナル・バンク(注1)(PNB)は、不良債権比率が9月末時点で39%と非常に高い水準となっている。
    
(注1) PNBに関しては、政府保有のPNB株売却の失敗がIMFによる融資見送りの一因ともなっていることからも、今後の動向が注目される。

(5)財政赤字の拡大
 フィリピンの最大の懸念材料であるのが財政である。2000年度の財政赤字額は当初▲625億ペソ(名目GDP比1.9%)に設定されていたが、2月に激しさを増したミンダナオ紛争に対する支出の急増や、甘い民営化計画の滞りによる歳入不足から、2000年1〜8月には当初計画を上回る▲698億ペソまで拡大し、11月現在▲1144億ペソまで拡大した(第8図)
 フィリピンの財政収支が赤字に転じたのは98年からだが、その要因は、景気の悪化による歳入の減少もさることながら、それ以上に大きかったのが為替の下落による外貨建て債務の利払いの拡大である。財政収支から金利支払を除いたプライマリーバランスに注目してみると、金利支払が財政を大幅に圧迫していることがわかる (第8図)。この背景にはフィリピンの貯蓄率の低さがある(第9図)。フィリピンやインドネシアは、タイやマレーシアと比較して貯蓄率が低いため、ファイナンスの国外への依存度が高まらざるを得ない。このため、公的部門の対外債務のGDP比率が高く、為替の下落に対し財政収支が悪化しやすい構造となっている(第10図)
 以上のように、フィリピンの財政は外貨建て債務の規模ゆえに、為替相場に影響されやすい構造であり、対外信認、為替相場、財政収支の3者のスパイラル的な悪化は大きな懸念材料である。実際、国内外に支払われる金利と元本を合わせた債務返済は、9月の為替下落以降格段に増えており、歳入に占める返済比率は65%を超えている(第11図)
 財政赤字の調達に関して、政府は、98年までは国内から積極的に借入れを行ってきたが、クラウディング・アウトを防ぐため、海外からの借入れを積極的に行っている(第12図)。しかし、ここにきて、海外からの調達すら危うくなってきている。IMFによる総額1385百万ドルのスタンドバイ・レクジット・プログラムに基き合意していた財政収支目標が達成できないことから、昨年末、最後の融資が見送られ、同国政府に対する国内外の信認は一層低下した。この結果、スプレッドは拡大しており、ファイナンス環境は国内・海外の両方において厳しいものとなっている。米国債をベンチマークとした国債のスプレッドを韓国と比較しても明らかなように、横這い推移している韓国に対してフィリピンは上昇を続けている(第13図)。また、11月に予定された民間銀行団クラブローンが、条件が悪すぎたことから発行を取り止めざるを得なくなるなど、ファイナンス環境が悪化している様子が窺える。
 2000年度の財政赤字は▲1300億ペソを超える規模となる見通しであることから、今後も財政運営は厳しいものとなることが予想される。2001年第1四半期には400百万ドル、年後半には470百万ドルが債務返済期限を迎えること、テロの活発化やミンダナオ地域での紛争再開による歳出の増加が見込まれること、個人や企業の収入減に伴い歳入が減少すること、株式市場の低迷により民営化が遅延すること等、懸念材料は多い。

4.今後の展望
 
 マーケットが政権の交代を望んでいたことは、第1415図から一目瞭然であるが、新大統領就任後の課題は多く、政局は楽観視できない。第一に、前政権の崩壊の直接的原因であった汚職や不透明な縁故主義の排除をどこまで遂行出来るかである。政治の威信回復のため、まず着手しなければならない問題である。第二に、財政赤字や銀行の不良債権などの経済問題への取組みである。これらの面で実績を示せなければ、好転し始めた市場のセンチメントは、短期間で腰折れしてしまう可能性がある。第三に貧困問題である。エストラーダ前大統領に対する国民の支持率は、これほど様々な疑惑が浮上しているのにも関わらず、2000年12月時点で9%(ネット=支持する−支持しない)と、低い支持率ながらも依然「支持する」が「支持しない」を上回っていた。一方で、富裕層や経済界を支持基盤とするアロヨ新大統領の支持率は、2000年3月の70%から、12月には▲4%と、「支持しない」が上回っていた。これは、フィリピン社会の根底に貧富格差に対する不満が根強く横たわっていることを示しており、今後、中長期的に新政権の基盤を崩しかねない要因となる恐れがある。
 アロヨ大統領は経済・行政の両面で知識と経験を身につけたエリートとして期待が高まるなか、前政権下で失墜した政治威信と低迷した経済をどう建直すか、手腕が問われている。

(1.22 風間 優子)