平成12年(2000年)8月11日 NO.8

社会構造変革を目指すメキシコ次期政権の課題

1.現政権下でのマクロ経済安定化
 
2.知識ギャップ拡大への懸念
 
3.次期政権の課題
 
4.今後の展望
 


 
 メキシコでは、7月2日に実施された大統領選挙において、中道右派の国民行動党(PAN)のフォックス氏が71年に渡って政権を維持してきた制度的革命党(PRI)候補を下し、12月には歴史的な政権交代が実現する運びとなった。
 1929年に政権について以来、近代的国家を標榜して求心力のある政府を作り上げ、経済面でも94年12月の「メキシコ危機」以後のマクロ経済の安定化を実現したPRIの功績は大きい。こうした功績にもかかわらず、今回の選挙で政権交代が行われることとなった背景には、メキシコにおける政治民主化の進展や選挙制度の公正化に加え、長期政権下での既得権益構造や米国好景気の余波に乗る富裕層と貧困層の所得格差の広がりに対する不満があった。そこで、メキシコ経済の現状を概観すると共に、世界的にIT経済化が進む中での新政権の取り組むべき課題を整理した。

1.現政権下でのマクロ経済安定化
 
 まず、現政権下での経済動向について振り返ると、94年末の通貨危機の影響によって95年には▲6.2%の景気後退を強いられたが、その後早期に危機的状況を脱し、2000年には6%近い成長(中銀見通し)が予想されている。インフレ率も、ペソ為替相場の大幅下落によって95年には35%(年平均上昇率)となったが、2000年には10%前後(同)まで収束するものとみられる。また、経常収支赤字については、96年以降は再度拡大傾向にあるものの、対GDP比規模では99年末で▲2.9%と、94年の▲7.0%との比較では安定的な水準にあるといえよう(第1表)(第1図)
 こうしたマクロ経済の安定化においては、米国経済の強い牽引や石油価格の上昇といった外的要因が大きかったことは言うまでもない。特に95年以降の輸出が年平均17%以上の高い伸び率を保ってきた要因としては、ペソ為替相場の下落やNAFTA発効の効果はもとより、メキシコ総輸出額の約9割を吸収する米国の景気拡大が大きい。
 しかし一方、財政規律の維持や債務構造の改善への取り組み、インフレ収束を重視した慎重な金融政策など、現政権の政策遂行手腕への評価も高い。95年以降、年間財政赤字は対GDP比で0〜1%規模に保たれ、政府部門の純債務残高はGDP比で21.6%(2000年第1四半期)まで減少した(第2図)。また、債務償還期間の長期化努力により、民間債務を合せた短期対外債務残高の外貨準備高に対する比率は、94年末の626%から99年末には84%に低下し、94年通貨危機の原因となった外貨流動性の問題は十分とは言えないまでも大きく改善した(第3図)
 こうした中、2000年3月初にはムーディーズがメキシコ長期外貨建ソブリン債格付けを投資適格(Baa3)に引き上げるなど、国際信任も向上している。このため、政府ドル建外債の対米国債利回り格差も、95年3月には一時1400BPを上回ったが、2000年7月には300BPを切る水準まで縮小してきている。これらのことから、メキシコでは過去25年間、政権交代の度に通貨大幅下落や経済危機に見舞われてきたが、今回は経済危機なき政権交代が実現する可能性が高いとみられている(第4図)

2.知識ギャップ拡大への懸念
 
 このように、メキシコはマクロ経済の安定化を実現し、ブラジルやアルゼンチン等の他の中南米主要国に先駆けて投資適格格付を取得した。しかし、今後の安定的経済成長実現に向けては、他中南米諸国同様に解決すべき問題は多い。世界経済が知識集約型のいわゆる「ニューエコノミー」に急速に移行する中、メキシコでは社会・産業構造上の問題により、今後の成長の源泉となるべき知的資本蓄積が遅れているからである。

・希薄な国内産業連関と低いR&D投資率
 
 表面的にみると、メキシコの産業・輸出構造の高度化は目覚しく、知識集約型経済への移行を物的に支えるIT関連機器の生産力は大きい。メキシコのハイテク製品輸出額(世銀定義による)は98年時点で193億ドルとASEAN諸国に比肩する水準となっており、近年の非石油輸出伸び率においてもハイテク製品の寄与が大きい(第5図)。これは、NAFTAのメリットに加え、米国の需要拡大・IT経済化の流れが、対米輸出基地としてのメキシコのIT関連機器の生産力を引き上げたためである。
 しかし、メキシコにおけるハイテク製品生産能力の拡大は、対米輸出を前提とした米国企業を中心とする外資参入・投入財のアウトソーシングと共に進展しており、一方でメキシコ国内の研究開発投資の対GDP比規模は0.4%未満(1997年時点)と低い。このため、外資導入と国内低賃金労働を基盤とした浅い工業化に留まっていることが指摘される。
 実際、80年代以降のメキシコの付加価値生産額に対する輸入額比率は、貿易自由化の動きに伴って一貫して上昇しており、特に金属製品・機械・機械部品部門において著しい(第6図)。このため、製造業製品輸出額に占める国内付加価値比率は、保税加工区で20%前後と低いのみならず、保税加工区外において80年代半ばの80%を越える水準から、99年には53%まで低下している。
 これらの数値は、グローバル化の流れの中で、多くの中小下請け企業がコスト低減や品質向上・標準化の要請に対応できずに脱落し、結果として輸入製品に代替されていったことを示している。こうした国内産業連関の希薄化によって、多くの地場企業はグローバルな生産ネットワーク外におかれ、知識・技術の獲得がますます難しくなっている。また、マクロ的にみると、全輸出の9割を占める製造業製品輸出の伸びが常に投入財輸入の伸びによって相殺されるため、内需拡大局面での貿易黒字の維持が極めて難しいという問題が生じている。

・所得格差・教育水準の低さによる人的資本形成の遅れ
 
 知識集約型経済へと発展してゆく上では、労働人口の教育水準の低さもボトルネックになる可能性がある。メキシコでは、25〜64才の人口の約8割が高等教育(Upper secondary)を修了しておらず、OECD諸国のうち94年以降の新規加盟国の中でも教育水準の低さが目立つからだ(第7図)。こうした教育水準の低さを反映し、メキシコの労働生産性は90年代を通して上昇せず、98年時点での労働者一人あたりの産出額は米国の3分の1に過ぎない。
 教育水準の低さは、中南米諸国に共通する所得配分の不均衡な社会構造との悪循環となって根の深い問題となっている。世銀によれば、メキシコのGini係数(注)は1984年の47から1996年には52に上昇(不均衡拡大)しており、人口の1割の富裕層が国内所得の4割を取得する一方、人口の4割が貧困層に属している。ここ数年で米国好景気の余波に乗るメキシコの富裕層と貧困層の所得格差はさらに拡大したとも言われる。
 所得格差はまた、通信コストの高さと並び、ITサービス普及の遅れの一因ともなっている。アジア諸国における普及率では中レベルに位置し、一人当たりGNPがメキシコと最も近いマレーシアと比較してみても、全体に普及率は低い(第8図)

(注) Gini係数:経済の中で所得の分布が完全に公平な分布からどこまで乖離しているかを示す係数。係数0は完全な平等、100は完全な不平等(一人が全所得を独占した状態)を表す。
3.次期政権の課題
 
 以上みてきたことから、メキシコの次期政権の課題は、現政権の実現したマクロ経済の安定化の基盤の上で、国内中小企業群の技術革新を促すような環境を早急に整備し、貧困対策・教育水準の底上げを通した人的資本形成を進めることで、急速なIT経済化へのキャッチアップを可能とする構造改革を推進してゆくことであるといえよう。
 国内中小企業の技術革新を促す環境整備においては、まず現政権が一応の道筋をつけた金融改革を加速して国内金融機能を早期に正常化すること、遅れているエネルギー・通信分野の規制緩和・一層の開放を進めることが重要である。その上で、公立研究機関からの情報提供や民間企業との共同技術研究を促進する枠組みの整備をさらに進め、民間R&D投資に対する税制面でのインセンティブ拡大等の措置の導入が望まれる。
 社会面では、福祉・教育支出の拡大が必要である。特にメキシコの公的教育支出は、現状GDP比で4.5%と小さい上、年齢別人口構成がピラミッド型である為、今後学齢人口が増加することも考慮すれば、少なくとも早急にOECD平均(5%)以上に引き上げる必要がある。
 ただし歳出拡大の前提としては、税収増加を通した歳入の増加が必要である。メキシコの税収の対GDP比率は99年時点で11.2%と中南米諸国中でも低く、このため政府歳入規模は石油歳入を合せても20.6%と小さい。政府の歳出削減努力によって財政収支はほぼ均衡を保っているものの、こうした税収規模の小ささは、所得再分配という税制本来の役割が果たされていないことを意味する。新政権においては、徴税機能の強化・課税対象の拡大を通した一層の税収基盤の強化が望まれる。

4.今後の展望
 
 12月に発足する新政権に対しては、既得権益構造を打開し、変革を望む国民の強い期待が寄せられている。フォックス次期大統領は、7%の経済成長、税収増と貧困・教育支出の拡大、汚職対策強化のための警察・司法改革等を重要課題として掲げ、期待に応えてゆく旨を表明している。ただし現時点では、具体的施策は明らかにされておらず、指導力は未知数である。また、所属政党PANは上・下両院ともで過半数に満たないため、今後の議会運営も容易ではないとみられる。
 一方で、海外や経済界からは、マクロ経済安定化を実現した現政権の経済政策継続が強く求められている。こうしたことから、次期大統領は所属政党にこだわらず、PRIや産業界等から幅広く人材を登用した「共同政府」を提唱しており、8月中にも次期閣僚が決定される見通しとなっている。変革と継続を同時に達成しうる「共同政府」を実現できるかどうかが、安定的高成長への最初の試金石となろう。

(7月26日 杉崎佳子)