平成12年(2000年)4月28日 NO.6

米国経済の好調を支える雇用者所得の動向

労働分配率の低下と所得の分配経路の変化
 
ニューエコノミー産業を中心とした賃金・雇用の好調
 
中小企業雇用者の所得増加


労働分配率の低下と所得の分配経路の変化
 
 米国では、目下良好な雇用情勢が好景気の象徴となっている。代表的な指標である非農業雇用者数は、93年以降7年連続で年間2百万人を上回る増加を続けているほか、失業率は、97年7月以来4%台の低水準にある。人手不足が問題視されるほど労働需給が逼迫しており、緩慢な雇用増加を背景に「雇用なき景気回復」という表現が用いられた景気回復初期段階とは、状況が様変わりした。
 一方、経済全体で生み出された付加価値に占める雇用者所得の割合、すなわち労働分配率が大きく低下した点が90年代における米国経済の特徴のひとつである。70年以降の日米の労働分配率の推移をみると(第1図)、日本の労働分配率が大きな振幅を描きながら基調としては上昇傾向にあるのとは対照的に、米国の労働分配率は、景気循環に伴う振れはみられるものの、ほぼ一定の水準のなかに収まってきた。これは、米国では、長期にわたり労使間の所得分配が比較的安定的に推移していたことを意味する。しかし、94年半ば以降、米国の労働分配率は低下を鮮明にしており、70年から93年までの平均(72.3%)を下回る状態が続いている。
 一見、労働分配率の下方シフトは、家計部門の所得が不振であることを示しているようにもみえるが、これは適当な解釈でない。その理由のひとつが、つとに指摘されてきたとおり、配当を通じた家計への所得の再分配である。国民所得の雇用者と企業への分配の推移をみると、労働分配率が目立って低下を始めた94年以降、企業収益の国民所得に占める比率は大きく上昇した(第2図)。しかし、企業から支払われた配当の額は増加を続け、国民所得に占めるウェイトは、過去に比べ大幅な上昇を示している。
 米国企業の発行株式総額のうち家計が保有する割合は、ミューチュアルファンドや年金を通じた間接的な保有部分を加えると7割程度である。このため、配当額の多くは家計に還元されていることになる。実際、家計の所得総額に占める配当所得の割合は、70年から93年にかけ2〜3%台後半で推移していたが、94年以降は平均で4.5%にまで上昇している。
 労働分配率が低下し、企業収益の国民所得に占める割合が高まっているものの、配当(インカムゲイン)という形で企業の所得は家計に再分配されている。家計の所得と株式市場との関わりについては、ストックオプションの活用による所得の増加(キャピタルゲイン)があげられ、一部では給与や賞与の代替として用いられるに至っているが、他方でこうしたインカムゲインの増加も、国民所得の分配面では労働分配率の低下を補い、家計の所得を下支える要因となっている。

ニューエコノミー産業を中心とした賃金・雇用の好調
 
 また、この間の雇用者の所得動向を考えるうえで見逃せないのが、実質ベースでみた時間当たり賃金が上昇に転じた点である。米国では、80年代初頭以降、実質賃金の伸び悩みが問題となった。雇用者の受け取る単位時間当たりの賃金は、個人消費デフレータで実質化したベースでみると(第3図)、80年代に入ってから伸びが鈍化し、85年から92年までは前年比マイナスを続けた。しかし、物価の安定が鮮明となるなか93年にプラスの伸びに転じ、以後7年間は上昇を続けている。このように、雇用の堅調な増加に加えて、時間当たり賃金が実質ベースで上昇している姿は、家計の給与所得が着実に増加してきたことを示している
 こうした実質賃金上昇をいち早く享受したのがいわゆるニューエコノミー産業の雇用者である。第4図は、米国の産業を経済好調の主役的存在である産業(ニューエコノミー産業)とそれ以外(オールドエコノミー産業)とに分類し(注1)、統計で確認のできる88年以降について、それぞれの実質時間当たり賃金の推移をみたものである。これによれば、実質時間当たり賃金は、ニューエコノミー産業においては、90年にかけ低下したものの、景気が回復に向った91年以降は上昇傾向で推移した。反面、オールドエコノミー産業では、91年以降も低下を続け、94年に上昇に転じたものの、その後96年まで88年当時の水準を下回る状況が続いた。ニューエコノミー産業が93年時点で、88年の水準にまで回復したのとは対照的である。なお、時間当たり実質賃金は、11年間の累積でみると、ニューエコノミー産業が12.0%の上昇を示したのに対し、オールドエコノミー産業は6.3%と、ほぼ半分の伸びにとどまった。以上でみた実質賃金の上昇ペースの差は、両産業における労働生産性の上昇率格差によるものと考えられる(注2)
(注1)ニューエコノミー産業とオールドエコノミー産業との区分に確たる定義はない。ここでは、米国労働省の機関誌"Monthly Labor Review"で定義されているハイテク産業(製造業ではコンピュータ、通信機器、医薬品などSIC(米国産業分類)上の27業種。非製造業では、コンピュータソフトウェア、同データ処理サービス、研究開発などSIC上の4業種)に通信業と金融サービス業を加えたものをニューエコノミー産業、それ以外をオールドエコノミー産業とした。
(注2)米国労働省の試算によれば、86年〜96年の10年間に、ハイテク産業(定義は(注1)に同じ)の労働生産性は、全産業の6倍のペースで上昇している。なお、統計の制約上、ここでの労働生産性は、実質生産高/雇用者数。

 また、雇用者数についてみても、95年半ば以降、ニューエコノミー産業は、オールドエコノミー産業を上回る勢いで増加を続けた(第5図)。98年以降は、アジア経済危機に端を発する海外景気の停滞を背景に伸びが鈍化したものの、この間も増加率では、依然オールドエコノミー産業を上回り、雇用の増加を牽引した様子がみて取れる。雇用者数の増加や提供した労働力の対価として受け取る賃金は、当然のことながら所属する産業の好不調の影響を受ける。両産業における賃金・雇用動向の格差は、ニューエコノミー産業における労働生産性上昇率の高さや、新たなビジネスチャンスの拡大などを反映した動きとみることができよう。

中小企業雇用者の所得増加
 
 以上みてきた事実は、90年代の家計の所得が好調であることを示しているが、その一方で、株式を保有するものとしない者、もしくはニューエコノミー産業に属している者とそうでない者など、マクロでみた好調の裏側で、持つ者と持たざる者との格差が広がっていることを示唆する。 株式を保有する世帯の全世帯に占める割合は、FRBの統計によれば、過去に比べ上昇してはいるものの98年末で48.8%と全体の半分であるほか、ニューエコノミー産業の雇用者数は、99年時点で全雇用者数の12%であるなど、経済全体の限られた部分である。
 しかし、他方で配当所得の高まりやニューエコノミー産業に牽引された雇用・賃金の拡大が家計所得の増加を通じ、景気拡大の持続につながっているのは確かであろう。さらに、90年代の雇用動向の特徴として指摘できるいまひとつの点が、中小企業雇用者の堅調な所得増加である(注3)。しばしば指摘されるとおり、米国では雇用の増加に対する中小企業の役割が日本に比べ大きい。日本では、85年から91年まで景気好調のなか雇用も堅調な増加を続けたが、この期間の中小企業の増加寄与率は7割程度である(第1表)。これに対して米国では、80年代、90年代いずれの雇用拡大期においても、中小企業の増加寄与率は8割を大きく上回っている。このように、米国において雇用増加の主たる担い手は中小企業であるが、それ自体は今回景気拡大期に限った現象ではない。
(注3)米国中小企業庁助成政策審議会は、同国における中小企業を、従業員数が100人もしくは500人以下の企業と定義している。分析に用いる統計データの制約上、ここでは500人以下の企業を中小企業とする。

 一方、従来、米国における中小企業の従業員の給与は、水準はもとより増加の勢いにおいても、大企業に比べ見劣りするのが常であった。景気の谷からの実質ベースの給与の増え方を、従業員ひとり当たりの年間給与総額により、70年代後半以降についてみると(第6図)、前回景気拡大期においては、中小企業の平均給与は大企業に比べ緩慢な増加にとどまっている。また、75年を底とする景気拡大期には、中小企業において実質賃金の顕著な減少がみられた。しかし、今回の景気拡大局面においては、景気回復初期の92年こそ大企業の給与の増加が優勢であったが、その後統計で確認のできる96年までは中小企業の給与が大企業を上回る勢いで拡大を続けている。
  既存あるいは新規の中小企業の多くは、経済好調のなか大企業を中心に進められてきたリストラやダウンサイジングにより職を失った労働者を再雇用してきたとみられる。したがって、今回景気拡大期において、一度失業した雇用者は、再雇用の際、賃金水準の低下を余儀なくされても、その後は、着実な賃金の増加を手にする機会を享受できたといえよう。雇用増加の主たる担い手であり受け皿である中小企業において、実質所得の増加が目立つ点は、雇用者所得増加の裾野の広がりを示している。
 こうしてみると、雇用リストラの効果などにより企業部門の好調が目立った景気拡大期前半とは異なって、90年代後半には経済の好循環が広く家計部門にまで及んでいるといえる。高成長の持続の背景には、個人消費を中心に、株高に伴う資産効果が影響しているとみられるため、経済が幾分バブル色を帯びているのは否定できない。しかし、景気拡大の長期化がバブルだけで説明できないのもまた事実で、家計の所得の着実な増加が経済好調のもうひとつの顔であることを見落としてはならないように思われる。
 
(4月19日 中村 明)