平成12年(2000年)4月13日 NO.4

わが国物価の先行きをどうみるか

下げ止まりつつある物価
 
強まる労働コスト面からの下押し圧力
 
想定し難い物価の持続的な上昇


下げ止まりつつある物価
 
 わが国の物価が下げ止まりつつある。99年1月に前年比▲2.3%と過去最大の下落幅を記録した国内卸売物価は、その後ほぼ一貫して下落テンポを鈍化させており、直近2000年2月には同▲0.1%と、概ね前年並みの水準まで持ち直している(第1図)。いまひとつの代表的な物価統計である消費者物価(除く生鮮食品)にしても、デフレ懸念が現実味を帯びていた98年頃の状況からすれば、下げ止まり感が窺える。物価は景気やマネーサプライと並んで金融政策の舵取りを左右する大きな判断材料であるだけに、その先行きについては大いに関心が集まるところであろう。
 そこで、最近の物価下げ止まりの特徴を探るために、とりわけ下落テンポの鈍化傾向が顕著な国内卸売物価について、90年代入り後にみられた過去2回の下落幅縮小局面と比較する形で、品目別の動向をまとめたものがである。まず、94年4月をボトムとした前々回の局面と、96年6月をボトムとした前回局面についてみると、前者は原油価格の上昇や国際商品市況の持ち直し、後者は原油高・円安の進行と、その背景こそやや異なるものの、いずれも石油・石炭製品や化学製品といった素材関連品目の価格が上昇に転じ、物価全体の下落テンポ鈍化の主因を成している点は共通している。しかしながら、この間、機械類を中心とした加工関連品目の物価については、それぞれの局面でやや異なった動きをみせている。実際、前回局面では、加工関連品目は95年5月〜96年6月に▲1.5%の下落寄与を示していたが、その後97年7月にかけては▲1.1%とマイナス幅を縮小、川上段階にあたる素材関連品目の価格上昇が川下段階にじわじわと波及していた様子がみてとれる。これに対して、前々回の局面では、加工関連品目の下落寄与度は縮小しておらず、持ち直しに向けた動きはみられない。
 翻って今回局面はというと、昨年3月のOPECの協調減産合意をきっかけとした原油価格の高騰や、海外景気の拡大を映じた国際商品市況の回復を背景に、石油・石炭製品を中心とした素材関連品目が上昇に転じ、物価全体の下落幅縮小に大きく寄与しており、この点は過去2回の局面と同様である。一方、97年12月〜99年1月に▲0.7%の下落寄与を示していた加工関連品目は、99年1月〜2000年2月にかけても▲0.8%と、川下段階の物価に目立った動きはみてとれない。要すれば、今回局面は、物価持ち直しの動きに裾野の広がりがみられない点で、前々回の局面と似ているということになる。

強まる労働コスト面からの下押し圧力
 
 もっとも、一口にこれら両局面が似通っているとはいっても、そうした姿をもたらした要因は必ずしも同じではない。この点を確認するために、国内卸売物価の変化率について、需給バランス、労働コスト、輸入物価、輸入数量の4つを説明変数とした関数を使って要因分解してみたものが 第2図 である。これによると、前々回の局面では、原油価格や国際商品市況の持ち直しを受けて輸入物価要因がプラス寄与に転じる一方で、輸入数量要因や需給バランス要因が物価を押し下げる方向に作用しており、なかでも輸入数量要因の寄与度は▲2〜▲3%と、かつてなく大きなものとなっている。これは、この間に安価な輸入製品が急増したことを反映したものにほかならない。当時、未曾有の円高に直面したわが国では、直接投資の拡大を通じて生産拠点を海外へシフトする動きが相次ぎ、これを受けてNIEsやASEAN、中国などアジア地域の生産力は飛躍的に向上した。こうしたなかで、わが国企業は、低廉な生産コストを反映した安価な輸入製品の活用を積極的に進めたわけだが、これが競合する国産品の販売価格を抑えることとなった。川上段階における価格の上昇がなかなか川下段階に波及しなかったのはこのためで、95 年末にかけて原油価格や国際商品市況がひとたび落ち着きを取り戻すと、国内卸売物価はこうした構造的な輸入品の流入圧力に圧される形で、再び下落幅を拡大する展開を辿ったわけである。
 一方、今回局面に目を転じると、輸入数量要因や需給バランス要因に加えて、労働コスト要因が物価を大きく下押ししているのが特徴的である。従来のわが国企業は、不況期にドライな人員整理を進める米国企業とは違って、大胆なリストラを極力割け、基本的にはマイルドな調整で当面の苦境を凌ぐというのが普通であった。しかしながら、売上高の低迷が長期化するなかで、最近の景気回復下においても依然として過去最高水準の人件費負担を強いられているわが国企業は、収益体質を抜本的に立て直すべく、終身雇用制や年功序列賃金といった、いわゆる「日本型雇用システム」にもメスを入れる形で、このところ雇用や賃金を圧縮するスタンスを続けている(第3図)。今回局面では、こうした企業行動の変化が労働コスト面からの物価下押し要因として顕在化、素材関連品目の価格上昇を減殺している面がある。
 こうした各々の局面での特徴は、消費者物価の動きにも反映されている。 第4図 は、前々回と今回局面について、消費者物価の推移を商品(除く生鮮食品)とサービスに分けて示したものである。これをみると、前々回の局面では、サービス価格が上昇傾向を続ける一方で、商品価格が急激に下落している。衣料品やパソコン関連機器といった最終消費財を中心に、国産品を代替する形で低価格の輸入品が幅広く流入していたためである。これに対して、今回局面では、サービス価格の落ち着きぶりが顕著である。総務庁「産業連関表」によれば、サービスを供給する非貿易財産業の場合、価格の構成要素のうち雇用者所得の占める割合は35.2%と、商品を生産する貿易財産業(17.2%)を大きく上回っているが、かつての非貿易財産業は、激しい国際競争に晒される機会が少なく、各種公的規制に保護されていた面も強かったため、生産性改善に向けてのインセンティブが働きにくく、コストの増嵩がそのまま価格に転嫁されがちであった。しかしながら、公的規制の撤廃・緩和が進むなか、非貿易財産業としても、生産性を高めるために雇用コストの圧縮に踏み切る動きが強まっている。このため、これまでほぼ一貫して上昇してきたサービス価格にも低下圧力が及びつつあるということであろう。

想定し難い物価の持続的な上昇
 
 問題は物価動向の先行きであるが、今回の物価下げ止まりのきっかけとなった原油価格については、今年3月のOPEC総会で2年4ヵ月ぶりに生産枠を拡大することが合意されたが、その増産規模は日量145万バレルと小幅にとどまったことから、この先原油価格が大きく反落していく可能性は少ないように思われる。また、アジアや欧州景気は引き続き回復基調を辿る公算が大きく、米国経済も堅調な拡大を続けるとみられることから、当面国際商品市況が下落基調に転じる姿も想定しにくい。このため、91年11月以降、8年以上にわたって実質的に前年水準を下回ってきた国内卸売物価は、早晩水面上に浮上することになりそうである。とはいえ、以下の事情を踏まえれば、これをもって物価が持続的な上昇基調に向かうとみるのは早計であろう。
 まず、今回局面で特徴的な労働コスト面からの物価下押し圧力は、今後も尾を引く公算が大きい。たしかに、生産活動や企業収益の改善を受けて、残業手当やパート雇用者を増やす企業がこのところ増加していることは事実である。しかしながら、企業の抱える人件費の負担感がいまなお強い様子は先にみた通りであり(前掲第3図)、常用雇用者や所定内賃金といった肝心のコア部分については抑制に向けた手綱を緩めるとは考えにくい。手元の試算によれば、コア部分に相当する常用雇用者の所定内給与は、雇用者所得全体の約7割を占める。企業としては、残り3割の部分を増やすことはあっても、コア部分のコストについては引き続き厳しい姿勢で臨み、人件費総体を圧縮するスタンスを継続するように思われる。
 また、需給バランスの目立った改善も見込めそうにない。昨年春先以降、わが国の景気が緩やかながらも回復傾向を辿るなかで、需給面からの物価押し下げ圧力が、ひと頃に比べて和らいでいるのは確かである(前掲第2図)。今後についても、情報化関連投資の増加に伴い設備投資が底入れしたことや、海外景気が拡大するなかで輸出の増勢も続くとみられることなどを踏まえると、景気の回復基調そのものが途切れる虞は小さい。もっとも、企業部門全体としてみれば、設備・債務・雇用における"3つの過剰感"がなお強いことも事実であり、2%程度とみられる潜在成長率を安定的に確保できるような自律回復軌道に復するには、いま暫く時間を要するように思われる。需給の引き締まりを通じた物価上昇圧力は、当面想定し難いということである。
 さらに見逃せないのは、今後も輸入数量の増加傾向が続くとみられることである。 第5図 は、国内総供給(輸入品+国産品)に占める輸入品の割合、すなわち輸入浸透度と、国内最終財物価の推移を並べてみたものである。これによれば、80年代半ばや90年代前半にかけて輸入浸透度が高まった場面では、国内最終財物価が軟化する傾向にあった様子がみてとれる。輸入浸透度は96〜98年に一旦頭打ちとなったあと、足元で再び上昇に向かっているが、これは通貨・金融危機を脱したアジア地域の生産力が回復したことで、生産コストの低廉なアジア製品の流入圧力が再び強まっていることの影響が大きい。今後もアジア地域の供給能力や技術力が着実に向上していくとすれば、こうした輸入品はわが国内需回復の足取りに辿々しさが残るなかにあっても増勢を続ける可能性が高く、つれて輸入品の流入を介した物価下落圧力は強まっていくことが予想される。
 こうしてみると、労働コストや輸入数量面を中心とした物価下押し圧力は容易には解消されそうにない。もちろん、こうした圧力が情報通信等の技術革新と相俟って、わが国経済の生産性向上を促し、結果的にポジティブな意味での物価低下をもたらす側面もあろう。しかしながら、国内民需に主導された安定的・持続的な景気回復がはっきりと展望しにくい状況下、原油高等の影響が一巡したあとの物価動向については、引き続き十分留意しておく必要があるように思われる。
 
(3月31日 堀部智)