始点:日本橋「朝之景」

東海道の出発点。東には魚河岸があった。まだ明けやらぬ空の下、日本橋の向こうから大名行列の旅の一行の姿が見えてきた。緊張感につつまれながらゆるゆると旅が始まる。

其の一:品川「日之出」

品川は東海道の最初の宿場であり、東海道へ旅立つ人をここまで見送りに来ることが多かった。大名行列が通り過ぎる日の出の頃には、すでに茶店なども開店している。

其の二:川崎「六郷渡舟」

多摩川の渡しを船で渡ると川崎大師(平間寺)の門前町川崎の宿である。富士山の姿が少し大きく見えてくる。

其の三:神奈川「台之景」

神奈川は船着の地として繁盛したところ。大きな船が停泊している。町はずれの神奈川台は、真下に海を望む風光明媚の地として名高い。片側に二階建ての茶店が並び、旅人を引っぱり込む女たちの姿も見える。

其の四:保土ヶ谷「新町橋」

帷子川にかかる帷子橋(新町橋)を渡ると、保土ケ谷の宿である。大名行列の一行はすでに宿場の中に入ったようだ。

其の五:戸塚「元町別道」

戸塚は江戸から10里半(約41km)。江戸を早朝に発った旅人は戸塚で最初の夜を迎えることになる。戸塚の人口、吉田橋のあたり、「左りかまくら道」の道棟の見える茶店での一景。「えい!」とばかりに馬から飛び降りる旅人、それを迎える女などの複雑な人物構成と、巧妙な遠景の描写が魅力である。

其の六:藤澤「遊行寺」

藤沢の宿は時宗の大本山遊行寺の門前町。遠方に見えるのが遊行寺である。橋は藤沢橋、鳥居はここから南へ5kmも離れている江ノ島弁天の第一の鳥居でここから「江の島道」が始まる。

其の七:平塚「縄手道」

馬入川(相模川の下流)の渡しを船で渡ると平塚の宿である。景はすでに平塚を通過した所であり、遠方、正面には高麗山が見える。田の間の道が長く続く景のなか、走り来る飛脚の息づかいと足音がこの穏やかな景の程良いスパイスとなっている。

其の八:大磯「虎ヶ雨」

化粧坂を経て大磯に入る。仇討で有名な曾我兄弟と虎御前は化粧坂で別れを惜しんだ。本図の重くわびしい雨は、虎御前の涙なのであろう。5月28日(曾我兄弟の仇討の日)の雨が「虎ヶ雨」である。

其の九:小田原「酒匂川」

酒匂川を歩いて渡る「徒渡し」の遥か向こうにみえるのが小田原の宿である。彼方の山は箱根の山々。有名な箱根の図と同様、山肌はモザイク状に描かれている。

其の拾:箱根「湖水図」

箱根は東海道の最大の難所である。芦ノ湖越しに富士を遠望しながら大名行列はゆっくりと山間の峠道を行く。実景ではなくさまざまな場所からの兆めを合成したもののようだが、広重の構成感覚の鋭さをよくあらわした秀作。モザイク状の山肌の表現はきわめて印象的である。

其の拾一:三島「朝霧」

宿場の朝は早い。三島大社の一の鳥居を傍らに見ながら、早くも旅人たちは出発の様子である。広重がシルエット表現に巧みであったことはのちの諸作でも明らかだが、その最も早い成功例である。遠近によってシルエットの色を変えるテクニックは見事。見る人は、三島の朝はいつも霧がかかっているかのように思うに違いない。

其の拾二:沼津「黄昏図」

保永堂版唯一の月の景である。白い満月が夜道を明るく照らす。猿田彦の面を背負った金比羅詣の行者の背中は、哀愁をさそう。広重は、後ろ姿でも語りかけてくるのである。

其の拾三:原「朝之富士」

原は昔、浮島ケ原といわれ、沼地が多い所であった。鶴の姿も見える。五拾三次の中で最も近くに富士を望むところであり、富士の頂上は画面を突き破るほどに高くに見える。画面上端の“一文字ぼかし”が朱でなされ、朝らしい雰囲気をかもし出す。

其の拾四:吉原「左富士」

江戸から京に上るとき常に東海道の右に見える富士の姿が、このあたりでは「街道の左に富士が見える」と評判であった。「左富士」以外に、およそ何もなく単調に道が続く様子がよく表されている。馬の乗り方は「三宝荒神」といい、三人乗り。馬上の一人は、退屈のあまり居眠りの様子である。

其の拾五:蒲原「夜之雪」

富士川を渡って海岸沿いの街道を行くと蒲原である。ごく普通の宿場だが、雪の夜という設定の保永堂版の一図によって忘れられぬ場所となった。人物のわずかな色を除いて、モノクロームの世界。色のみならず、音までも、すべてが雪の中に消し込まれてしまう。静かな雪の夜である。

其の拾六:由井「薩埵嶺」

東名高速道路を東へ向かい薩埵トンネルを越えると、急に眺望が開け富士山がはっとするほど美しく見える。青く広がる駿河湾と富士山が、弓なりに続く海岸線をはさんで、ほどよいバランスを保って見えるこの場所は、かつては険峻な峠越えであるだけにひとしお印象的であった。手をかざしながらこわごわと、のぞき込む旅人の姿がそれを物語る。

其の拾七:興津「興津川」

難所の薩埵峠を越えると、眺望の優れた場所に出る。この興津の宿の中心は清見寺であるが、ここでは道中の関取衆を描く。

其の拾八:江尻「三保遠望」

江尻は今の静岡市清水区。港と駿河湾に伸びる三保の松原を望む景である。遠方に見えるはずの箱根連山や伊豆半島の山々は描かずに海にしてしまっている。広々とした趣の図に仕立てるための広重のテクニックである。

其の拾九:府中「安部川」

府中は現在の静岡市の中心部。ここでは阿部川の輦台渡しを主題とし、例によって背景は自由に再構成している。広重の風景画は自由な筆使いが中心であるが、ことに女性となると、彼自身の美人画そのものであり、その対比もおもしろい。

其の二拾:鞠子「名物茶屋」

丸子とも書く。名物「とろろ汁」を売り物にする店は現在でも繁盛している。いかにものんびりとした景は、広重独特の俳句的な世界で、名作である。

其の二拾一:岡部「宇津之山」

宇津山は、かつては在原業平が「つたかへでは茂りて、もの心細く」と書き記した淋しい山道で蔦の細道と呼ばれていた。後にひらかれた宇津谷峠をこえると岡部の宿がみえてくる。

其の二拾二:藤枝「人馬継立」

宿場で荷駄の引継をする人馬たちを、俯瞰してとらえている。帳面を広げ、役人に説明する人物の他は、荷の整理をしたり、休んだりとさまざまである。旅の途中の何でもない光景であろうが、こうしたつかの間の休息の時こそ、旅情を感じるものではないであろうか。

其の二拾三:嶋田「大井川駿岸」

大井川は、東海道第一の急流であり、徒渡し(歩いて渡ること)の最難所であった。河原で順番を待つ人々の姿が描かれる。駿岸は大井川の駿河(島田)側の岸のこと。

其の二拾四:金谷「大井川遠岸」

大井川の西側は遠見国である。遠くに金谷の宿を眺める。ひときわ大きな輦台には、駕籠が載せられている。河原には、さまざまな休憩の姿が見え、のどかな景である。

其の二拾五:日坂「佐夜ノ中山」

道の真ん中に大きな丸石が転がっており、旅人が立ち止まって見ている。その昔、妊婦が山賊に襲われて殺され、その際産み落とした赤子を慕って、その母の魂のこもったこの石が夜泣きをしたと伝えられる「夜啼石」である。

其の二拾六:掛川「秋葉山遠望」

季節は田植えの頃か。遠くの田んぼに菅笠の人々が姿を見せる。高く上がった凧が、画面の枠を突き破っているのは、現在のコミック風でもある。

其の二拾七:袋井「出茶屋ノ図」

宿場のはずれにある出茶屋である。わずかな木陰を利用し、簡単な葭簀がけである。店のおかみが火吹竹で火をおこす一方、駕籠かきは煙管を差し出して火を拝借。土手に腰掛けた旅人は、茶を所望し、立札にとまった鳥を眺め、ほっと一息である。こうした何でもない風景を取りあげ、しみじみと旅情あふれた図に仕立てるのが広重の特技なのである。

其の二拾八:見附「天竜川図」

天竜川は船渡しである。遠景近景の両方に大小の渡し船を配して遠近感を深めた単純な構図である。ここでも人物の背中に味わい深いものがある。

其の二拾九:濱松「冬枯ノ図」

天竜川の岸から浜松に向かう街道筋であろう。遠くに見えるのは浜松城。大きな木の下で農夫たちが焚火をし、旅人が振り返り、子守りの少女もいる。これも街道での何と言うことも、しかしほのぼのとした一景である。

其の三拾:舞坂「今切真景」

舞阪とも書く。「今切」と呼ばれる舞坂と新居の間は、1948年の大地震で海と浜名湖の間が切れて入海となったところであった。

其の三拾一:荒井「渡舟ノ図」

舞坂と荒井(新居)間は船で渡る。海上を二艘の船が行き交うシーン。手前の船では、客たちが退屈の様子である。新居の関所は箱根とならび、最も取り調べのきびしい所として知られていた。

其の三拾二:白須賀「潮見阪図」

東海道を西から来ると、豊橋の台地を過ぎたあたり、不意に広大な青い海原が眼下に開ける。そこから下に降りるのが汐見坂である。ここで初めて雄大な太平洋を望むのである。はるばる京からやってきて出会うこの景は、旅の疲れを一気に吹き飛ばすものであったに違いない。

其の三拾三:二川「猿ヶ馬場」

白須賀を出ると、猿が馬場を経て、二川の宿に入る。猿が馬場は小松の生える広々とした台地であった。そこの茶店は柏餅が名物であった。

其の三拾四:吉田「豊川橋」

現在の豊橋市中心部。吉田藩の城下町。吉田城の天守閣には修理の足場が組まれ、職人たちが働いている。城を大写し、はるかに遠景を望むこの構図は櫓に登った職人達の視覚に近いものであろう。

其の三拾五:御油「旅人留女」

手をつかみ、あるいは首を引っ張り客を引く女たち。いずれも強そうで、勝負はすでに明らかだ。右端の宿屋には客が今到着したところ。その後ろには、このシリーズの絵師・彫師・摺師さらに版元の名までが記されている。この御油から次の赤阪の間は、今も旧街道の松並木が連なっている。

其の三拾六:赤阪「旅舎招婦ノ図」

旅籠の中をのぞかせてくれる。ひと風呂浴びた客や、寝ころんで一服する客。食膳を運ぶ様子や化粧に余念がない女達に旅籠の活況が伝わってくる。江戸後期の旅籠の様子を具体的に示す資料としても興味深い。

其の三拾七:藤川「棒鼻之図」

棒鼻(棒端)とは宿場の出入口に立てられた宿場の目印。そこを通り過ぎるのは、8月1日に幕府が朝廷に献上する馬の一行である。実は広重はこの行列に従って東海道を京へ上ったのだ。じゃれあう子犬がやかましく、かしこまっていた宿場役人が思わず頭をあげた描写がほほえましい。

其の三拾八:岡崎「矢矧橋」

「東海道名所図会」に「東海道第一の長橋なり」とでてくる矢矧橋(矢作橋)である。長くゆるやかに曲線を描くその美しさも矢作橋の見所であり、広重はその美しい橋を強調するように描く。対岸に見えるのは岡崎城。

其の三拾九:池鯉鮒「首夏馬市」

風そよぐ草原に、たくさんの馬がつながれている。池鯉鮒(現知立市)では、かつて毎年4月下旬から5月上旬にかけて馬市が開かれた。すがすがしい景である。「首夏」は陰暦4月。

其の四拾:鳴海「名物有松絞」

鳴海の手前、有松の町は「絞り」が名物。絞りの店がならぶ街道を旅の駕籠や馬が行き交う。現在でも一部こうした町並みが見られる。手前の店先の暖簾に描かれた菱形の模様は、広重の「ヒ」と「ロ」をあしらったものである。

其の四拾一:宮「熱田神事」

「宮」は熱田の町のこと。熱田神宮の門前町である。今はもちろん名古屋市内であるが、かつては城下町名古屋とは別の町であった。描かれているのは6月の馬追祭である。右から左へと強い動線を強調し、本シリーズ中、最もダイナミックな図となっている。

其の四拾二:桑名「七里渡口」

熱田(宮)から桑名の間は、木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)があり船で渡ることになる。その距離7里。船はすでに帆をおろし、桑名の港へ入る準備をととのえている。

其の四拾三:四日市「三重川」

桑名から四日市までは、砂浜の続く海岸沿いを歩く。近代的な化学コンビナートばかりで有名な現在でも、こうした景は見ることができる。強い風にあおられた合羽姿の男と吹き飛ばされた笠を追う男の姿の対比がおもしろい。

其の四拾四:石薬師「石薬師寺」

日暮れの重く、わびしい空気がつたわってくる。寺にたどり着いた旅人は閉ざされた門の前で、かたわらの石柱を眺めるのみ。冬の農村のはやい夕暮れの情景を、しみじみと描き出す。

其の四拾五:庄野「白雨」

突然の「白雨」(にわか雨)に帰りを急ぐ農夫、先を急ぐ駕籠の一行が描かれる。広重の東海道絵が、宿場の説明を目的としていないことは、この一図でも明らかであろう。竹やぶと坂道、そして雨脚の線が不安定な三角形を作り出し、雨の突然さと、人々の急ぎ慌てる心理と共鳴する。雨の画家広重の傑作中の傑作。

其の四拾六:亀山「雪晴」

雪の降った翌朝の空気の清澄さ、冷たさをこれほどまでに表現した作を他に知らない。明快な斜めの構図、白にわずかな赤と青を加えたのみのさわやかな彩色のいずれもが効果的である。台地の上にある亀山城に向かって歩を進める大名行列の一行である。

其の四拾七:関「本陣早立」

関の宿は鈴鹿峠にいたる要所。参勤交代の折、大名の一行の宿所として各宿場に本陣が設けられた。図は、本陣での朝早い出発の様子が描かれる。玄関にはすでに駕籠が用意され、駕籠かきたちは準備万端のようすである。

其の四拾八:阪之下「筆捨嶺」

関から景勝の地「筆捨山」を経て、坂之下へ入る。鈴鹿峠への険しい山路の下にある宿場である。ここでは坂之下の町を描かずに筆捨山を描く。険しい山道の途中にある茶店から眺める筆捨山は旅の疲れを癒やしてくれたに違いない。

其の四拾九:土山「春之雨」

雨の画家広重といわれるが、雨の表現にたけているのみではない。雨中の景に登場する人物の描き方や環境描写にも意を注いでいる。土山は鈴鹿峠を越えた山間の宿場。一行は雨のため間近に迫った町の方を見ようともせず、うつむきながら歩を進める。近くの川は増水し、流れを速めている。これら雨に付随する描写が強い印象を与えるのである。

其の五拾:水口「名物干瓢」

鈴鹿の山々をぬけ低いところにおりてきた。水口名産の干瓢造りを描く。世の時の流れと関わりなく緩やかに過ぎゆく時間がここにはある。さらにまた無関心のように歩き行く旅人の姿が印象的である。

其の五拾一:石部「目川之里」

石部とありながら、図はずっと草津に近い目川の町を描く。立ち寄る旅人で繁盛するのは、名物の「菜飯でんがく(菜飯に田楽豆腐)」の店か。

其の五拾二:草津「名物立場」

草津は、東海道と中山道の追分(分岐点)でにぎわった町である。奥行きのある店には名物の「うばがもち」を目当てに休憩する人々でいっぱいである。手前の4人で運ぶのは大型荷物である。行き交うのは、早駕籠、それも超特急のようだ。

其の五拾三:大津「走井茶屋」

大津は、東海道最後の宿場。米俵や柴を満載にした牛車は、京都に向かうのであろう。「走井」は、谷川や走り流れる清水を引いて用水とする場所のことで、ここではこんこんと水が湧き出ている。

終点:京師「三條大橋」

江戸から約500km、やっと京都鴨川にかかる三条大橋にたどり着く。橋上は大原女が行き、京女も渡る。江戸からはるばる来るとすべてのものが珍しくまた、まぶしく見えたに違いない。東海道の終点である。

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