皇朝12銭

  • 皇朝12銭

    • (1)
      和同開珎 [わどうかいほう(ちん)]
    • (2)
      萬年通宝 [まんねんつうほう]
    • (3)
      神功開宝 [じんごうかいほう]
    • (4)
      隆平永宝 [りゅうへいえいほう]
    • (5)
      富壽神宝 [ふじゅしんぽう]
    • (6)
      承和昌宝 [しょうわしょうほう]
    • (7)
      長年大宝 [ちょうねんたいほう]
    • (8)
      饒益神宝 [にょうやくしんぽう]
    • (9)
      貞観永宝 [じょうがんえいほう]
    • (10)
      寛平大宝 [かんぴょうたいほう]
    • (11)
      延喜通宝 [えんぎつうほう]
    • (12)
      乾元大宝 [けんげんたいほう]

 唐の時代には、日本から遣唐使がしばしば派遣されて、中国文化が盛んに輸入されるようになり、それと同時にお金の造り方も伝えられました。そして、慶雲5年(708年)に武蔵の秩父郡ではじめて多量の銅が発見されたので、年号を和銅と改め、開元通宝(かいげんつうほう)を手本にして、銀銭と銅銭の和同開珎(わどうかいほう[ちん])が律令国家によって造られました。これが日本最古の法定貨幣となりました。しかし、当時の一般社会の人達はお金を使うことに慣れておらず、一部の上層階級だけしか流通しなかったので、朝廷では銭を使うことを奨励するために、銭を蓄えた者には位を授け、納税は銭で納めることをすすめ、また旅人には、銭を携帯させたり、官吏の俸給を銭で支給するなど、各種の奨励策を講じました。ところが鋳造方法は幼稚で、模造し易く、偽造する者が多くなったので、銭文を次々と変えて改鋳し、和同開珎が鋳造されてから平安中期の天徳2年(958年)に、乾元大宝ができるまで250年の間には12種類の銅銭が造られました。

  和同開珎・萬年通宝・神功開宝・隆平永宝・富壽神宝・承和昌宝・

  長年大宝・饒益神宝・貞観永宝・寛平大宝・延喜通宝・乾元大宝

これを皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)といいます。そして、改鋳毎に新銭1個に対して、旧銭10個の不当な交換率が決められ、その上新銭が出るたびに重さが減り、品質も悪くなり、又各地の産銅額が年々減少したこと、銭貨の退蔵が行われたことなどのために、一般の流通は円滑にゆかず、なお律令国家の体制もゆるんだので、皇朝銭はついに乾元大宝を最後として、その後600年間貨幣の鋳造は中止の止むなきに至りました。