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浮世絵展「広重 二つの近江八景」 同時開催 森 玉僊 名古屋名所団扇絵

広重と近江八景

中国湖南省にあり当時中国最大の淡水湖であった洞庭湖(どうていこ)付近の名勝の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)にならい、近江の琵琶湖畔の名勝8か所を選んだものが近江八景(おうみはっけい)です。
各景のタイトルは、(1)「瀬田夕照(せたのせきしょう)」(瀬田の唐橋(からはし)の夕暮れ)、(2)「石山秋月(いしやまのしゅうげつ)」(石山寺の秋の月夜)、(3)「粟津晴嵐(あわづのせいらん)」(粟津が原の松並木の晴天)、(4)「唐崎夜雨(からさきのやう)」(唐崎の松の夜雨)、(5)「比良暮雪(ひらのぼせつ)」(比良山の雪景)、(6)「堅田落雁(かたたのらくがん)」(堅田の浮御堂(うきみどう)を背景に飛ぶ雁(かり)の群れ)、(7)「矢橋帰帆(やばせのきはん)」(矢橋の船着場と帆船)、(8)「三井晩鐘(みいのばんしょう)」(三井寺(みいでら)の鐘堂の夕暮れ)で、前半が地名、後半が季節や天候を象徴的に表す景物となっています。
広重は生涯で20種類ほど近江八景を描いていますが、今回はそのうち二つの近江八景シリーズを見比べます。共に各景は同じタイトルで、近衛信尹(このえのぶただ)の作と伝わる和歌を配する横物と竪物(たてもの)のシリーズです。

近江八景(栄久堂・保永堂合版 横大判錦絵 8枚)

天保5 年(1834)、名作「保永堂版東海道五拾三次」が完結した直後に刊行された最初の近江八景で、近江八景の代表作です。水墨画調の淡い彩色で自然の風景を前面に押し出し、摺りのぼかし技法が利いた格調高い佳作群で、和歌は色紙形の枠内に記されています。

堅田落雁   唐崎夜雨

堅田落雁

唐崎夜雨

近江八景(魚屋栄吉版 竪大判錦絵 8枚)

安政3年(1856)、広重最後の近江八景です。各図の上部に雲形で装飾的に仕切られた枠の中に金の砂子や切箔(きりはく)に似せた装飾を背景に和歌が記されています。縦長の画面にモチーフが巧みに積み上げられた穏やかな画面で統一されています。

堅田落雁   唐崎夜雨

堅田落雁

唐崎夜雨

同時開催 名古屋名所団扇絵

森 玉僊(もり ぎょくせん) 名古屋名所団扇絵(なごやめいしょうちわえ)

尾張の絵師 森 玉僊(1791〜1864)が文政7年(1824)から天保12年(1841)にかけて描いたとされる22枚からなる浮世絵集です。神社・仏閣が15景と最も多く、それ以外の名所は、四季の花の有名な場所です。この絵集の特徴は、そこを訪れて風景を楽しむ人々の風俗、生態、服装の美などを面白く描き込んでいることでしょう。彼が団扇絵(うちわえ)を描いたのは、小さな版画に絵をまとめる技量と、題材配置の趣向に自信があったためでしょう。

堀川花盛   片端檀尻車朝祭

堀川花盛

片端檀尻車朝祭

森 玉僊(もり ぎょくせん) 

玉僊は別号を高雅(たかまさ)といいます。吉川一渓(よしかわいっけい)に就いて狩野派の画法を学び、ついで中林竹洞(なかばやしちくどう)の門に入って南画を学びました。また浮世絵は牧墨僊(まきぼくせん)に就いて学んでいます。
その後一家を開き、もっぱら浮世絵婦人画を描いています。「尾張名所図会(おわりめいしょずえ)」には森高雅の号で数十葉の挿絵を描いています。また彼の遺作となった「名古屋名所団扇絵」には、玉僊の号で22枚の浮世絵を描きました。

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